友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

消してしまいたい過去

2008年03月14日 23時12分10秒 | Weblog
 「消してしまいたい過去はありませんか?」。私はたくさんの過ちを犯してきてしまった。あの時、ああしなければよかったなどということは数え切れないくらいある。しかし、だからといって過去を消してしまいたいとは思わない。今、ここにいる自分は、間違いなくたくさんの過ちを犯したために、その結果として存在している自分である。

 「消してしまいたいとは思わないけど」と、答えると、「完璧に生きてこられたのですね」と言われる。とんでもない。いつもいつまでも不完全で、悔しい思いばかりだ。そればかりか、人を恨んだこともある。こんな目に合わせたと人のせいにして、その人を恨んだ。結果がうまくいかないと、自分を責めずに人のせいにして呪った。自分が努力しなくてはならないのに、ほかの人や時流のせいにもした。

 実直に生きようとはしたけれど、そうでなかったことは自分自身が一番よく知っている。恥ずかしい人生だし、生きていくことは「恥の上塗り」のようなものだと知った。だから、決して自慢できるような人生ではない。それでも「過去を消してしまいたい」とは思わない。そんなことをしてしまったら、自分が自分でなくなってしまうような気がするのだ。

 「消してしまいたい」人は、よほど苦しいことや嫌なことや耐えられないことなど、思い出したくないつらいことがあったのだろう。そうしたことが私に全くないわけではないけれど、私はいつも「選択したのは自分なのだから素直に受け止める以外にない」と考えるようにしてきた。運命は定まっているのかもしれないし、私自身はそうだろうと考えてはいるが、だからこそ精一杯に生きていきたいと思う。

 生きていくことはつらいことが多い。けれども、つらいこと以上に楽しいことがたくさんある。いや、楽しいことをたくさん創っていけば、生きていること自体が楽しくなる。ここでもうおしまい!と決めるのは自分ではない。生きていても意味が無ければ、そう神は判断されるだろう。ということは、生きている間は求め続けて生きるということではないだろうか。

 人は誰もが、自分を受け入れてくれる人を求めている。だから恋もするし、家庭もつくる。家庭が恋の場ではなくなると、さらに他に求めようとする。人は一生かけて、求愛と償いの連鎖の中にいるのかもしれない。12年間も友だち以上恋人未満の関係を維持してきた友だちがブログにこんなことを書いていた。

 “〈ある女性が友だちに向かって〉「自分の都合のいい日に、自分の行きたいところへ付き合ってくれる男の人がいて、12年経っても恋愛関係に発展しないなんて、結局は利用さていたと思う方が自然でしょ?土曜日か日曜日、あなたが女の人とデートしたい気になったら、いつでも電話頂戴。友だち以上恋人未満の関係で、喜んで付き合ってあげるから」。 女性が放った渾身のブラックユーモア、ずしんと私の胸に響いてきた。”

 女性の言葉をブラックユーモアと受け止めるべきではないと、私は思った。おそらく2度ばかり、友だちが連れて行ってくれた店の女性であろうが、私は、これは女性の本心だと思う。友だちが付き合っていた彼女も、女性が言うように利用していただけとは思わない。彼女は彼女なりに友だちのことを愛していたけれど、決して踏み込んでこない友だちのことを思い悩み、苦しんでいたのだと私は思っている。

 老いてからの恋は悲しいものなのだ。
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