友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

相性は様々

2014年05月01日 18時20分52秒 | Weblog

 今年のクレマチスは花が多い。昨年は、カミさんが園芸書を見ながら手を入れていたが、花の数は少なかった。今年は寒さが続いたためか、カミさんはルーフバルコニーに出ることがなかった。手入れすることなく成長し、2日前から花が咲き出した。今朝、観ると花がたくさん開いていた。手を加えすぎれば花は少なく、野放しに育てれば花の数が多い。花は声をかけるように手をかけないと、見事な花を咲かせてくれない。しかし、余りかまいすぎてもうまくいかない。人間を育てるのと同じだ。その手加減が本当に難しい。

 「ウチでは育てられないから」と鉢をもらうことがある。「これはあなたからいただいたものですよ」と観てもらうと、「どうしてこんなに大きくなったの?」と不思議そうに言う。「何もしないから。きっとかまい過ぎたのでしょう」と説明する。我が家ではうまく育てられなかったクンシランを義弟は見事に育てている。シンピジウムもシクラメンもシャコバサボテンもポインセチアも、みんな毎年見事に花を咲かせている。どうしてなのかと不思議だが、ひとつは義弟が根気よく熱中するタイプだからだろう。

 人同士でも相性のようなものがある。7月に5歳になる孫娘とマーケットに行った時も、先日のように遊園地へ行った時も、同じくらいの歳の子を見つけるとすぐに友だちになって走り回っている。4歳になるまでは決して自分から声をかけることはなく、親や私たちジジババが「遊んでやってくれる」と頼むことが多かったのに、今では見ず知らずの子でも平気で一緒に遊んでいる。この子の母親も小さい時、恐いもの知らずだった。何にでも挑戦するし、同歳くらいの子がいればいつの間にか仲間に入れて遊んでいた。

 同じ姉妹でも次女の方は恐がりで、決して自分から何かをすることはなかった。姉について回り、姉のやることなら少しやってみて、すぐに姉の後に隠れてしまう。姉は花を育てることには熱中しなかったが、妹は部屋に観葉植物を置いていた。それでもふたりとも友だちが多い。人の輪をつくり育てることはできている。長女は常に挑戦する人だが、次女は今も安定を望む人だ。人は皆、それぞれの生き方があり、相性も様々だ。当たり前のことだが、子どもたちが孫たちが、幸せであってくれればそれでいい。

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