友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

普通高校は大学予備校なの

2007年04月08日 19時04分29秒 | Weblog
 昼間は晴れていて暖かかった。
 午前9時半に家を出て投票を済ませ、かつての同僚が入所している介護施設へ見舞いに行ってきた。同僚といっても同じ学校に勤めたことがあるというだけで、私が親しくお付き合いをしていたわけではない。むしろ同じ教科だった私の友人が見舞うのに同伴したというほうが良いのかもしれない。私と友人は大学を出たばかりの同期の新人だったが、その入所している先生はおそらく当時は40代で、ベテランの女性教師だった。

 私の同期は7人だったので、私たちは自分たちを7人の侍と自負していた。実際に勤め始めて何年かすると、決して7人が同じ方向を向いていないことがわかったが、それでも仲良しであることには変わりなかった。あの頃は労働組合が強い頃だったから、教員になるということはそのまま日教組の組合員になることで、何の躊躇もなかった。しかし、しばらくして、組合に入れない若い助手の人たちとの交流を図ろうと、組合の青年部とは異なる遊ぶことだけを目的とした青年会を立ち上げ、ハイキングなどにも出かけた。

 職員会議では、新人は沈黙を守るのが普通のようだったけれど、何しろ7人もいることをいいことにして、生活指導部の指導に反対したり、教頭の学校運営に異議を唱えたりした。職員が全員参加する親睦会の席で、生活指導部長が私の席に来て、年下の若造のところへ酒を注ぎに来たのは初めてだと言いながら、自説の教育論を話してきた。話すというよりはまあ脅しであった。それでも学校全体は古きよき伝統が色濃く残っていたので、おおらかで自由な雰囲気が漂っていた。卒業式に私たち新人の7人が舞台に立って歌ったこともあったし、そんなことが許されてもいた。

 しかし、次第に学校は窮屈になっていった。私は途中で退職してしまったので、その後の学校の事情は知らないが、今も教壇に立っている彼の話には驚嘆するばかりだ。私が高校生となって疑問に思ったのは、普通高校は大学の予備校なのかということだった。本校から東大に何名入ったとか、この問題はどこの大学で出たとか、ここが入試のポイントだとか、そんなことを学ぶための学校なのかと思うといやになった。新聞部で「普通高校は予備校か」をテーマにして議論を巻き起こしたかったが、2度目かの論説が校長の逆鱗に触れ、他校との交流が禁止された。また、校長室に呼び出され厳重注意を言い渡された。そこで学友からカンパを集め、自分たちの新聞を発行したこともあった。

 あれから半世紀近く経たが、むしろ普通高校は完全に大学の予備校と化している。先生たちはテストを統一して行っているので、同じところを同じように教えている。各先生の個性などはないし、学校も生徒も保護者もそれを必要としていないのだ。先生は大学入試に向けたティーチングマシーンだ。人生がどうの、愛することは何か、社会はどうあるべきか、そんなことは話す必要がないばかりか、自分を語る教師は異端者扱いだそうだ。よくそんな学校で勤めていられるものだ。私はやはり落伍者だなと思った。
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