友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

議論することが苦手

2018年07月10日 17時11分39秒 | Weblog

  東海豪雨の時も、朝、目の前に見えた遠景は湖だった。西日本の各地で泥水が溢れて、田畑ばかりか各家までも覆っている。山は崩れ、家を押しつぶしている。凄まじい自然の猛威だ。「助け合い」の日本人はただちにボランティア活動を始めているし、義援金の募集も行われている。そんな時、「誰もいなくなった家に入り込む不審者を見かけたら警察に通報して」とアナウンサーが言う。ボランティアもいるけど、盗みもいるのか。

 今晩、初めて議員になった人の話を聞く。当選証書を受け取りに行った時、「政党に属さない新人は集められて保守系の会派に入れられた」と言っていたが、「会派には属さずにやっていきます」と「言える雰囲気ではなかった」と自分を弁護していた。まっとうな世界ではないことが徐々に理解出来てきたようだった。そんな彼が「議会が終わったので話がしたい」と言う。愚痴を聞いてあげるのも応援した私の努めだろう。

 夏祭りの件で、市長に手紙を出した。決して抗議というような強いものではなく、市長の権限で実行委員会の暴走を止めてくださいという懇願文だった。長い間返事がなかったが、20日ほど経て総務部長名の手紙が届いた。市長に宛てたのに、返事は市長ではないことに驚いたが、これが日本の行政の仕組みなのだろう。そこには財政が厳しいので理解して欲しいとあった。税金を何につぎ込むのかは市長の政策判断だから、夏祭りは重要事項ではないということである。

 私たち日本人は、他人への思いやりがあり、礼節を大事にする。その代わり、議論することは苦手だ。決めてもらったことは守るが、自分たちでは決められない。もう一度原点に立ち返って、「皆さん、いかがですか」と図るより、「上で決めてもらった方が早い」と平気で言う。民主主義はただの形式に過ぎないのだ。「民主的に」と発言すれば、「では採決します。賛成多数で決まりました」となる。やれやれである。

 


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