左目が霞んでいるみたいで、運転していてもよく見えていない。眼科に行こうとするとカミさんが、「午後にして!」と言う。午後に行って正解だった。午前中は結構混んでいるが、午後は空いていた。
いつもなら診察時間も僅かなのに、今日は何度も診察され、所要時間を合計すると1時間ほどになった。結論から言うと、白内障の手術を6月に行うことになり、手術の20日前に血液検査などを受けることになった。
右目の白内障手術の時、なぜ左目は手術されなかったのかと疑問に思ったが、とにかくこれで、よく見えるようになればそれでいい。白内障は年齢とともに、発症率が高くなるのだろうか。ここまで生きてきたのだから、見えなくなることだけは避けたい。
そう言えば、太宰治の短編集の中に、盲目の少年を讃える箇所があったのを思い出した。
「(彼は)朝も昼も夜も、幾日も幾月も、何も見ていないのだ。不平を言ったり、癇癪を起こしたり、わがままを言ったりして下されば、私もうれしいのだけれど、何も言わない。不平や人の悪口言ったのを聞いたことがない。その上いつも明るい言葉使い、無心の顔つきをしているのだ」。
こう綴っているのは少年と同じ歳の女生徒で、思春期の憂鬱さに悩んでいる。「顔を畳にくっつけるようにして、身体をくねくねさせて、笑いむせぶのだ。可笑しいことなんてあるものか。そうして大袈裟に笑い伏すのが、何か上品なことだろうと、思い違いしているのだ」と中年の女性を批判する。
「こんな階級の人たちが、いちばん悪いのではないか。いちばん汚い。プチ・ブルというのかしら。小役人というのかしら」と軽蔑しながら、「そんな気持ちを、みんな抑えて、お辞儀をしたり、笑ったり、話したり」「まるで嘘ついて皆をだましている」。
確かに人は、そんなことを積み重ねながら人は生きている。まだ、本は読めるし、パソコンに向かうことも出来る。有難いことだと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます