友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

普通の生活を捨てられない人は芸術家にはなれない

2022年11月06日 18時02分41秒 | Weblog

 朝の8時前から昼過ぎまで、全日本大学駅伝を見てしまった。ただ、大学生が必死に走るだけなのに、どうして見続けてしまうのだろう。箱根駅伝は2日間も見てしまう。プロ野球の日本シリーズも、別に応援しているチームでもないのに気が付けばチャンネルを合わせていた。

 最近の相撲は面白くないのに、やはりテレビを見てしまう。特別にやらなければならないことが無いから、テレビで時間を潰しているのだ。情けない。昨夜もBSで、ベートーヴェンを取り上げていたので見てしまった。小学校の音楽教室に掲げられていたベートーヴェンの肖像画を思い出す。

 ドイツが東西に分断されていた頃、東はベートーヴェンを社会主義者に祭り上げ、西はベートーヴェンブームに便乗してレコード産業が盛んになったという。確かに、交響曲第9の歌詞を見ると、「生き方が違ってしまっている私たち、全ての人々は兄弟となる」とか、「兄弟たちよ喜び勇んで君たちの道を進め」とかある。

 シラーの原作をベートーヴェンが加筆したというが、キリスト教の世界にいたなら誰でも、これくらいの詩は書くだろう。私が面白いなと思ったのは、ベートーヴェンが恋多き人だったことだ。音楽家として名前が知られていたが、身分の低い出身で背も低く美男子でも無かった。貴族の女性に何人も恋して振られ、生涯独身だった。

 でも、恋するたびに自分の気持ちを伝える曲を作っているところはさすがだ。芸術は表現なので、創り出すにはエネルギーが必要である。ベートーヴェンは16歳の貴族の少女に恋してピアノソナタ『月光』を、『エリーゼのために』も伯爵令嬢に、ブレンターレという人妻にのぼせて『不滅の恋人』への手紙を何通も書いている。

 恋することはベートーヴェンの創作の泉だったのだろう。芸術家の中には、狂おしいほどの恋に落ち度に、それをエネルギーに替えて創作した人がいる。平々凡々の規範となるような生活を送っていては、人間の魂を揺さぶるような作品は生まれないだろう。普通の生活を捨てられない人は、芸術家にはなれないということか。


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