友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

私の姉のこと

2008年03月16日 23時08分20秒 | Weblog
 有松開村400年記念行事の一つ、竹澤恭子コンサートに行ってきた。私は子どもたちにヴァイオリンを習わせていたが、自分は音楽が好きな割りに全く音楽に疎い。中学生の時、級長・副級長を集めてブラスバンド部が作られ、私も何がなんだかわからないままに、大太鼓の係りとなった。ブラスバンドの顧問が放送部の顧問も兼ねていたことから放送部にも属すことになり、この時、部屋にあったレコードを片端から聴いたことが、自分の音楽の基礎になったと思う。

 竹澤さんというヴァイオリン演奏者は初めて聞いたが、なかなかの人だと思った。演奏曲はかなりポピュラーではないヤナーチェクで始まった。きわめて現代的なそれでいて重々しい曲だった。竹澤さんという人はこういう曲が得意なのかと思った。2部からはヴァイオリンとチェロとピアノの三重奏だったが、特に、最後の曲は竹澤さんのヴァイオリンとウェン・シン・ヤンのチェロがまるで男と女の恋のようだった。

 チェロが叫ぶとヴァイオリンが後を追い、追いつかず離れず、求愛の演舞であり、男と女の営みのようでもあった。竹澤さんがウェンさんを、ウェンさんが竹澤さんを見つめながら、クライマックスを迎えるから、私にはよりそんな風に思えたのかもしれない。ヴァイオリンの演奏を聴きながら、こんな風に感じたのははじめてのことでもある。

 カミさんが昨日から、ひどく咳き込み、熱もあって、とてもコンサートには行けそうも無いというので、姉に電話したらぜひ聞きたいというので一緒に出かけた。私の姉だけあって、やれピアノの音が大きすぎるだの、竹澤さんの衣装が地味すぎるだの、うるさいことを言い過ぎる。それでも久しぶりに二人だけで出かけたので、いろいろ話せてよかったと思っている。

 姉は秋川雅文のフアンで、大阪や東京まで追っかけていく。78歳になるのにすこぶる元気なことが唯一ありがたいと思う。姉の友だちに、50年もの間、不倫を続けている人がいるそうだ。今は、男の方が妻を亡くし、息子夫婦と暮らしているのだが、姉の友だちである彼女は食事を作ってその男のもとに通っているのだそうだ。息子の嫁は、彼女が現れると「ごゆっくり」と言って、どこかに行ってしまうそうで、姉の友だちは「こんなボケた人をわたしに押し付ける」とぼやいているとも言う。

 私の姉は離婚の経験があり、その後に親しい男がいたから、少なくとも二人の男の肌を知っているはずだが、姉の友だちのことを「50年も付き合ってきながら、他にも付き合った男がいるのよね」などと話す。そしてまた、「瀬戸内寂静を知っているでしょう。死ぬまで恋をしなさいといっている」とも話す。「瀬戸内さんは、男を断ったけれど、だから体の関係はもうないけれど、好きになった男は数え切れないと言うのよ」と。

 そこで私は、姉も知っている中学高校の友だちが、12年間も友だち以上恋人未満を維持してきた話をすると、「そんなのはありえないね。もしそうなら、女の気持ちが全然わかっていないね」と言い切る。なるほど、そうなのかと78歳になる姉をチラッと見直した。
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