新聞の著者紹介コーナーに「変な規則への違和感」と題して、遠野遥さんの『教育』(河出書房新社)が掲載されていた。その書き出しは、「いったい自分は何を読まされたのだろう。そんな不穏な読後感を求める人は手に取ってほしい」とあった。
まんまと紹介記事に嵌められた。書店に行ったが無かったので、注文してすぐに読んだ。けれど、何も分からない。全くチンプンカンプンだ。舞台は全寮制の学校で、成績が落ちればムチで叩かれ補習を受ける。成績向上のために、1日3回以上のオーガズムが課せられ、生徒たちはセックスとポルノビデオの鑑賞に励む。
異様なノルマと規則と指導なのに、生徒たちは無心に成績向上を目指している。でも、いったい生徒たちはこの学校で学んだことを足掛かりに、何を目指しているのかと不思議に思う。トップに立って、それで社会に出て、あるいは大学に進学し、いったい何をしたいと考えているのだろう。それが全く分からない。
著者の遠野さんは、「現実世界にも変な校則や社内規範、習慣は存在する。冷静に考えるとおかしいことがなぜかその集団では正しいとこととされ、みんな従っている。その違和感を投影した」と小説の意図を語っている。確かにその通りだが、余りにも唐突過ぎてジイジには理解できない。
教師だった友だちに本を貸し読んでもらったけれど、彼は「別の作品を読んでみようという気は起きなかった」と話す。奇想天外であるけれど、奇に溺れてしまっている。ジイジにはそうとしか思えなかった。遠野さんの狙いはそこにあったのかも知れない。