友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

チューリップを眺めながら

2017年04月21日 17時27分42秒 | Weblog

 曇り空で風もなく、絶好の「チューリップの会」だった。我が家を加えて7家族10人が集まると広いルーフバルコニーも狭く感じる。今朝は趣向を凝らして、まず日本酒を小さな杯で飲んでもらった。先日、カミさんの弟夫婦と妹が来た時、義弟が「これ、飲んでみて」と花見酒を持ってきてくれたのだ。よく冷やしておいたのでワイン感覚で飲めるが、それを敢えて杯でほんの少し味合ってもらう。

 「これ、いいねえ、グイグイ飲めてしまう」と女性たちは言うが、10人で飲むから杯に2杯も飲めればいい方だろう。呑み助の男性にはちょっと物足りないだろうが、あくまでも屋外で花を愛でながら話をするのが目的なので我慢してもらう他ない。気が付く人は気が付くようで、「昨年より花が少なくなっていない?」と聞かれた。その通りで100球近く減らした。鉢の数は変わりないが、チューリップの代わりにビオラを多くした。

 春の嵐の影響を心配したが、何とか皆さんに「きれいねー」と言ってもらえた。折れたものや花弁がないものなどは目立たない場所に移し、眺めた時に見応えがあるように並び替えた。皆さんがそれぞれに手づくりの菓子やつまみを持ってきてくれたので、酒の後はお茶の時間となる。コーヒーを淹れるのは私の役目だ。10人分を一度に淹れることは出来ないから急いで用意しないと、前の人たちのコーヒーが冷めてしまう。

 7家族のうち、ひとり暮らしの人がふたりいるけれど、「こうした機会がないと家から滅多に出ない」と言う。結婚したばかりだったのに1カ月で転勤になったことや、知らない街で寂しかったことなど昔話を語ってくれた。このマンションには日本の高度経済成長を支えてきた転勤族が多い。転勤先の街が共通していたりするとまたその街のことで盛り上がる。そんな転勤族夫婦の話を聞くと、どれほど我武者羅に働いてきたかが分かる。

 出身地も違えば職種も違う、年齢も違うし体験も違う。けれどもなぜかよく分かる。同じ時代を生きてきたからなのだろう。朝10時から始めて正午を過ぎてしまったので、長老が「そろそろ」と言い出した。残ったお菓子を女性たちが手際よく分配する。「チューリップも好きなだけ切って持っていって」と花切りハサミを差し出す。それでも皆さんは遠慮して、まだまだ花は残った。

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