友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

頼られているのに拒否はできない

2017年04月02日 17時24分02秒 | Weblog

 太陽は明るく輝き、日差しは春そのもの、昨日の寒さが嘘のようだ。朝、電話があった。話を聞いていて結局、車で迎えに行き家まで送ってやって欲しいということだと分かった。私が出かける準備をしていると、カミさんは怪訝な顔で「どうして?」と聞くが、説明している余裕がない。

 喫茶店に行くと、奥にひとりで座っていた。この女性に呼び出されて喫茶店まで連れてきた彼は、自分の母親を退院させるためこれから病院に行かなくてはならない。そこで私に電話してきたというわけだ。女性は大きな手提げを2つも抱え、その1つからこわばった手で袋を取り出し、袋の中の包紙をやっとの思いで開け、「貴乃花のテレホンカードを差し上げる」と言うので、「そういう趣味はないので欲しい人に上げて」と答える。

 すると何枚かの「貴重なテレホンカード」を見せて、「何百枚と持っている。欲しい人にみんな上げている。アクセサリーも社長や常務がいっぱいくれたが、私はつける気もないのでいっぱいある。プロ野球の有名な投手のサインボールもあったから彼に上げた」と始まった。1時間ほど女性の話は続いた。満員だった客も次第に減り始めた。話の中味はいつも同じだ。休むことなく自分がいかに優秀な人材で、会社の役員に頼られたかを話し続ける。

 昨日は曇り空の下、桜の花は咲いていなくて花見客もいないのに、私たちは恒例の「桜の宴」を行った。そんな中でマンションも高齢化が進んでいることが話題になった。建物の管理だけでなく、高齢者が気楽に集まれる機会や場所が必要であること、核家族で子どもの面倒が見られないので周りの年寄りが勉強や遊びを教える、そういうことも考えていく時が来たと酒宴でありながら真面目に話し合った。

 ひとり暮らしは寂しさからか、話し出すと止まらない人は仲間にもいる。相手のことなどお構いなしに自分の話に終始する。誰かが受け止めてあげなければならない。「どうして?」と私も思うけれど、頼られているのに拒否はできない。女性は「明日、検査入院で病院に行く」と言う。

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