友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子育ての意味

2017年02月09日 17時34分34秒 | Weblog

 スーパーマーケットの中にあるコーヒー店はセルフで、店員はレジにしかいない。ここを自分の仕事部屋にしている人がいる。話を聞くと、子どもの頃、自分の部屋があったにも関わらず「台所のテーブルで勉強していた」と言う。「みんながワイワイ言っているのを聞きながらするのが好きだった」と言い、「意味のない音が流れていた方が集中できるみたい」と説明する。本を読んでいる時も「音楽を流している」と言う。

 子どもの頃のクセは老人になっても変わらない。子育てはやはり後々まで影響する。子どもの頃に興味を持ったことをいつまでも追い求める人もいる。それで偉大な学者になった人もいるが、逆に犯罪者になった人もいる。神戸の少年Aによる「酒鬼薔薇事件」、Aは小学校の時に猫を解剖している。母親が我が子の異変にもう少し早く気が付いていたら、両親がAにもっと真剣に向き合っていたら、事件は起こさなかったかも知れない。

 子どもは大人が思っているより善悪の判断が出来ない。出来ないというより〝しない“ と思う。何が良くて何が悪いか、親が口うるさく言わなくなったから余計そうなった。高齢の女性を殺害した名古屋大学の元女子大生は高校生の時、同級生二人に劇物の硫酸タリウムを飲ませ、その症状を観察ノートに記録している。妹へのメールには「未成年のうちに絶対殺ってやる」とか「あははは。人の人生狂わすのは面白い」と書いている。

 彼女が高校生になるもっと前、異常な兆候はあったはずだ。どんな家庭で、どんな育て方だったのだろう。子どもを自由に伸び伸びと育てることは大切だが、子どもの変化に無頓着であってはならない。小学校に入った頃から子どもは家庭から離れて世界を広げていく。それは大人へ成長していく大切な過程である。この時こそ親は子に、善悪や美醜を教える必要がある。

 今日は国府宮のはだか祭り。雨の中、男たちは出かけていった。厄を一身に受けて、払ってもらう大事な祭りだ。風邪など引かないようにと祈りたい。

コメント (1)
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