車があり、昨日の例会に欠席した人に資料を配布する準備も出来ていたのに、なぜか何もしたくなくて結局一歩も外に出なかった。気持ちが充実していない。まあ、いいか、そういう時もあると合点してしまっている。テレビを見たり、本を読んだり、横になったり、自分はナマケモノなのだと開き直っている。
テレビは相変わらず東京都の豊洲市場の汚染対策疑惑を取り上げていた。小池知事が「都職員は一体何をやっているの」と怒るのは無理ない。何度も専門家会議を立ち上げ検討し、その上で工事にかかっていると誰もが思っていたのに、それぞれの専門家会議は何も引き継いでいない。いや、それでも役所というところは必ず誰かが仕切って次へと進んでいるから、「いつ、どこで、どのように決めた」は調べればすぐわかるはずだ。
それなのに「調査中」と逃げている。日本の役所は遠い昔から、誰かが責任を取る体制を持っていない。合議という素晴らしい無責任なシステムを作り上げ、「全員で決めたから」と逃げる。「全員で決めたのなら、全員が責任を取ればいい」のに決してそうはしない。しかも「税金は使い切る」のが公務で働く者の務めと心得ている。
税金は払っている者が困らないために使われる金である。しかし、毎年確実に入って来るから、使い道だけを考えている。税金を支払っている人々のためにどうすることがよいのか、公務の人たちは互いに検討するのかといえば、決して他所のことには口を出さない。税金を執行する側を監督しチェックする議会議員はそんな意識などほとんどない。
今日もテレビで取り上げられていたけれど、富山市議会のかなりの議員が政務調査費を、領収証を偽造して受け取っていたり、架空の報告会をでっち上げていたり、詐欺罪となる行為を平気でしている。全国の地方議会議員の政務調査費の使途を調べたら、さらにこうした類の犯罪が出てくるだろう。
税金の使い方についてこの国は滅茶苦茶に甘い。緊張感など全く存在しない。どうしてなのか?『世界「最終」戦争論』(集英社新書)で姜尚中さんとの対談で、内田樹さんは「どこで道を誤ったのか、どの政策選択が悪かったのか、制度のどこに瑕疵があったのか‥それを事後に逐次吟味してゆけば、同じ失敗を繰り返さないで済む」と言う。その通りだけど‥‥。