友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

昔懐かしい人に会えた

2016年09月06日 18時59分07秒 | Weblog

 昔懐かしい人に会うことができた。見ると、ちょっと痩せている。「痩せちゃったけど、どうしたの?」尋ねると、「胃を切った」と言う。「胃潰瘍?」と私が聞くと、「そう、どうしてわかった?」と言う。この人は楽天家だと思っていたが、今は年商26億円の企業の社長だ。どこかで無理が積み重なってストレスがあってもおかしくはない。

 出会いは戦後すぐに建てられた6畳と4畳半の借家を私が伺った時だった。それが「入浴サービス」の事務所で、彼は昭和58年の暮れに会社を設立し、この事務所を起点に入浴サービスを展開していた。彼以外の従業員は2人くらいだったと思う。彼が車を運転し、他のふたりが入浴介護にあたっていたようだ。

 私は昭和60年に地域新聞を発行する会社を立ち上げたから、彼より2年遅れることになる。どうしてこの会社を訪ねたのか覚えはないが、とにかく街中をくまなく歩いていたので、看板が目に付いたのかも知れない。上がり込んで話してみると、明るくて愛想がよくて話好きな男だった。知らない土地で仕事を、同じような時期に始めたことが縁で付き合いが始まった。

 私は1件でも広告が欲しかったが、この当時の彼は広告を出すほどの余裕はなかったのかも知れない。それでも最初の年の新年号を見ると名刺広告に彼の名が載っている。彼にしてみれば、この地域の名士と同じところに名前を出すことに意義があったのだろう。彼は全く誰の後ろ盾もなく事業を始めているが、私はもう少し巧妙だった。

 地域の前の首長に新聞の計画を話して発起人になってもらい、地域の新聞販売店の社長を地域新聞の社長に戴き、文句のない後ろ盾を構築して発行へたどり着いた。新聞は広告収入が入らなければ存続出来ないから、とにかく1日中広告集めに歩き回った。私の理念は「人の和は人を知ることから生まれる」、地域新聞はその手助けなりたいというものだった。

 人の役に立つことを目指して仕事をした点でも彼とは共通するが、今日、彼からいただいた半生をまとめた手記を読むと、「入浴サービス」にたどり着くまでの波乱万丈は私の比ではなかった。とても私のような人間では彼のようには乗り越えられなかったと思う。人生は適材適所、うまく出来ている。もう少しだけ、頑張ろう。

コメント
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