「やっぱり、お休みだったでしょう」。素敵なお店があるからというので、出かけたが定休日だった。「この道で間違いない」と車を走らせたけれど、一向に目的地に辿り着かない。「尖閣諸島は台湾の東にある。石垣島のすぐ西だろう。えっ、違う。それは先島諸島のことだって。そうか、尖閣諸島は石垣島の北か」。
そんなたわいのない会話だったが、その時、彼のカミさんは「いつもそうなの。この人は間違ってても絶対に謝らないんだから」とクギを打ち込む。自分では定休日ではないと思っていたからであり、道だって間違っているとは思っていなかった。尖閣諸島の位置なんか、抗議をしている中国の学生だってよく知らないし、日本の政治家だった正確に答えらない人はいるだろう。
思い込みとか記憶間違いとか、みんなあるはずだ。そんなに鬼の首を捕まえたように、ぐいぐい締めなくてもいいだろう。彼は黙って頭をかいていた。もちろん、「間違ってしまった。ごめん」という気持ちはある。確かにカミさんが指摘するように、「男が廃る」という意識が働いて、素直に謝れないのかも知れない。男たるものと言う時代に生きてきたのだから、大目に見て欲しい。
夫婦は長年一緒に暮らしてきたのだから、何もかも分かり合えているかといえば、そういうわけでもないし、ましてや相手の欠点を許し合っているかとなると答えは暗い。夫婦は似たもの同士の場合もあるが、だいたい性格も趣味も好きなものも違うことが多い。「だからこそ、うまくやっていけるのさ」と先輩は言うが、そんなものかも知れないと思う。
夫婦ふたりだけの家でトイレットペーパーの使い方でケンカになったところもある。ペーパーの減り方が早いとカミさんはダンナに使い方を問いただした。ダンナの方は正直に長々と引っ張り出したペーパーを半分に折り、それをまた半分に折りと繰り返して使うと答えた。すると、彼のカミさんは「どうしてそんなに長く引っ張るの。もっと短く使って」と言う。そんなことまで言われたのでは、息も詰まってくる。
「たまには何もかも忘れて、どこかへ行ってしまいたくなる」時があるそうだ。毎日、食事をつくり、掃除や洗濯をして、夫と子どもたちの世話を繰り返す。夫も子どもたちもそれを当たり前のように思っている。「ちょっと手伝って」と言えば手伝うけれど、言わなければ知らん顔だ。そんな馬鹿なことってあるの。どうして私ばかりが何もかも抱え込まなくてはならないの。「1週間でいいから蒸発してしまいたい」。
カミさんも孤独だけれど、ダンナの方も孤独だ。謝ることも出来ず、そうかと言ってカミさんの思いを汲み上げることも出来ず、どうしようもなく一日を過ごしていく。「人生はそんなことの繰り返しだよ」と先輩は教えてくれるが‥。