友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

お互いに歳をとりました

2012年06月11日 19時31分35秒 | Weblog

 河和駅に着いたけれど、それらしい人がいない。名古屋駅で特急に乗るべきかと迷った。駅にいれば誰かが声をかけてくるだろうと思っていたがそんな人はいない。特急に乗れば河和駅で30分待つことになるから、その次の準急で行くのだろうと思って乗り込んだけれど誰もいなかった。おかげで40歳くらいの男女の激しい喧嘩を眼の当たりにすることになった。同じ電車の座席も隣で、聞きたくなくても聞こえてきた。喧嘩の原因は、約束の時間に男が遅れてきたことにあるらしい。

 女はヘラヘラしている男に、「あんたはいつもそう。全く懲りずに同じことをする」と目を吊り上げて怒っていた。男は泣きそうな顔で、「そうか、そんなことないと思うけどなあ」と言う。「そういうところが嫌。どうして反省しないの。いつも同じ」。「反省してるって」。「全然反省してないじゃない」。「そんなことないよ」。「口も利きたくない。バカみたい」。「そんなに怒ることでもないじゃーない」。男は困り果てている。女は黙って窓の方を向いている。男は座席に着く時も女を誘導して腕と腰を捕まえていたが、座席についてからも手は女の手を握っていた。

 こんなに喧嘩しているのに、これだけみんなの前で罵倒されているのに、男は女の手を握っている。女は男を言いたい放題に罵っているのに、男の手を拒否する素振りはない。恋愛の神様として、私は男に「この女とは別れた方がいいです。いつもこんな思いをすることになります」と告げてあげたいと思った。そのうちに静かになり、私は電車に揺られて眠ってしまった。河和駅で降りる時もこの男女と一緒だった。ところが電車を背景に男が歩いてくるところを女が写真に撮っている。ニコニコ顔で男を迎え入れ、ふたりは手を取り合って歩いて行った。名古屋駅から河和駅に着くまでのわずかな間に仲良しになったのだ。

 そんなことがあったので、退屈はしなかったけれど、やはり誰も乗っていなかった。改札口を出て、宿泊先からの迎えの車を探した。その車の運転手さんが、「皆さんはそこでコーヒーを飲んでいますよ」と教えてくれた。店に入ると何人かいた。高校3年生のイメージからは大きく違う老人たちである。3年前に一度出会っていなければ思い出せなかったかも知れない。3年前に彼らが還暦を迎えた年のクラス会に呼ばれて初めて参加したが、その時は1年、2年、3年の担任だった先生が中心だったのに、今回は私ひとりだと言う。

 私は新任で3年生の授業はなかったように思っていたけれど、逆に「油絵をやった」と教えられた。22歳だった私は教師というよりも友だちのようなもので、ある意味で彼らに可愛がられたと言っていいのかも知れない。体育大会ではマスコット人形を一緒になって作った。文化祭では新任の7人の仲間で歌を歌った。授業の中心は実習だったから、平面グループの製作は見て回った。教えると言うよりも一緒に作業をするといった方がいいだろう。背の高い生徒はわざと肩を組んできたし、女の子は年上の女性のように私を扱うこともあった。今年、63歳になる彼女たちは立派な腰周りになっていた。

 1泊のクラス会だからかも知れないが、昔話に花が咲いた。男17人、女4人、私を含めて総数22名。案内状を39名に送っているそうだから出席率は高い。音信不通者は男1人、女2人と少ないのもクラスの仲間意識が高いからだ。残念なのは故人となった者が男4人、女1人もいることだ。みんな働き過ぎなのかな。まだ現役で働いている人もかなりいる。何時までも元気でやっていて欲しい。

コメント (1)
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