7月になると3歳になる孫娘が、高校3年生の孫娘に連れられて、昨夜我が家にやって来た。母親が歯医者に行くのでその間、面倒をみて欲しいというのだ。ところが、3歳になる孫娘は歯科医院で母親と別れた時から大泣きで、「ママ、ママ」と叫んでいる。母親の力が偉大なのか、孫娘が甘えん坊なのか、母親と別れることを一番嫌がっている。朝、保育園に行く時はどうなの知らないが、高校生の孫娘も同じ年の頃、母親が夜勤で出かける時は大変で、姿が見えなくなるまで泣いていた。幼い子どもにとって、母親ほど安心していられる存在はないのだ。
孫娘をよく見ると、大泣きしているけれど、悲しいといった感情とは違うように思った。赤ん坊は言葉を知らないから、とにかく泣くことで何かを知らせる他ない。3歳になる孫娘も随分と言葉を使うようになってきたけれど、微妙なものはまだ人に伝えることが出来ないから、赤子と同じように泣いて伝えようとしているのだ。そういうことが分かってくると、黙らせるというよりは安心させればいいのだと分かる。カミさんは「手を洗って、一緒に食べようか」とか言いながら、カミさんのペースに持っていく。次第に、泣くよりは食べる方に関心がいき、いつの間にか泣き止んでしまった。
泣き止んでしまえば、後は3歳の孫娘のペースである。私の部屋にやってきて、飾り棚の中にある玩具を散り出して話しかけてくる。「ママはどうしたの?」と意地悪く聞くと、「ママ、お口痛いの。バイキンがいっぱいだから」とケロリとして言う。「歯磨きしないとお口痛くなるよね」と言えば、「ウン、お口にバイキンいっぱい」と顔をしかめて見せてくれた。「あなたは歯磨きしているの?」とたずねると、「ちゃんとしているの。オリコウ」と自分で言う。充分に会話は成り立つし、因果関係も分かっている。「電車が来るね」と踏み切りの警報音を聞き取るし、電車が通り過ぎると鳴き出すカエルに「カエルもいるね」と言う。ふたりで長い時間、玩具を片手に、電車やカエルや踏切の音など、片言の会話が弾んだ。
テレビで、民主党のドタバタ劇を観ていて、フランスの物理学者、パスカルの言葉を思い出す。「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。正義と力を結合させねばならない」。一体どちらに正義があり、どちらに力があるのだろう。パスカルの有名な言葉、「人間は自然のうちで最も弱い1本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である」。なるほどうまいことを言う。パスカルは江戸時代の初期の頃であるから、そういう時代にこんな風に人間を観察していたのかと驚かされる。ちなみに、27歳で「パスカルの原理」を発見し、31歳の時に僧院に入り、39歳でこの世を去っている。
パスカルの言葉をもう少し引用しておこう。「人間は天使でもなければ獣でもない。しかし、不幸なことには、人間は天使のように行動しようと欲しながら、獣のように行動してしまう」。高校生の時にパスカルの言葉に出会ったが、それから50年も経つのにまだ克服できていない。高校生の孫娘、そして3歳になる孫娘、ふたりはどんな人生を歩くのだろう。世の中が今とは全く違う世界になっているのだろうか。