友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

母親と娘

2012年06月22日 19時59分45秒 | Weblog

 台風一過、風は強いが澄んだ青空が清々しい。昨日の朝、友だちは「これから母を連れて、東京スカイツリーを見に行くの」と言っていた。80歳を越えた彼女のお母さんはお元気で、四国松山から彼女のところに来て、ふたりで東京へと向かうというのである。以前は、松山から名古屋空港への直行便があったから、飛行機でやって来ていたけれど、今はどうしているのだろう。広島へ渡って、新幹線で名古屋まで来るのだろうか。飛行機便が廃止になる時、お母さんがテレビインタビューに答えて、「困ります」と言っている姿が写っていた。いつまでも若々しく、何にでも興味を持ち、探究心が強いところは彼女にも受け継がれている。

 友だちの場合は遠く離れて暮らしているけれど、娘が結婚して親とは別性になっても、娘の親と同居しているケースは多い。同居ではないが、スープの冷めない距離で生活しているケースも多い。私の住むマンションでも、別々のところに所帯を構え、時々一緒に食事をする家族もあるし、食事はもっぱら親元でする家族や、親が娘夫婦の分まで食事を作って届けている家族もある。娘のダンナも、妻の親が傍にいることで安心しているフシもある。ふたりの生活にまで口を出されなければ、ふたりだけでは得られない余裕が生まれて快適なのかも知れない。私は両親を早く亡くしたから、カミさんの両親と食事をするのが楽しかった。

 母親は、娘とは血がつながっているから遠慮が要らないし、娘のダンナは息子のようなものだから、気難しい人でなければ苦にならない。父親の方は、娘とはそこそこの付き合いができるが、ダンナとは男同士で話さなくてはならないから緊張する。それでも世代の違いを理解していれば、娘同様にそこそこの付き合いができるだろう。私の知り合いなどは、父親も酒飲みだけれど娘のダンナはそれ以上に酒飲みなので、毎週末が宴会で盛り上がるそうだ。父親も娘のダンナも酒飲みで真っ正直な人なので、馬が合うのだろう。この家族も母親と娘の絆は固く、娘と母親はコンサートやショッピングに一緒に出かけている。

 昔は連続テレビ小説『カーネーション』に出てくるような父親像だった。家父長制度が残っていたから、父親の権力は絶対だった。けれど、戦後の生活スタイルは大きく変化した。男女は平等となり、家族は友だちのような関係になった。父親も母親も権威ではなく生き方で、子どもたちの見本とならなくてはならない。子どもを叱りつけるよりも愛情を注ぐことで、規範を示すことが求められた。しかし、愛情を注ぐことは甘えさせることにもなり、そのバランスは難しい。私は子どもは甘えさせてかまわないと思っている。どうすればいいのかは、子どもが大きくなるにしたがって自分で考えていくものだと思う。

 嫁に来て、子どもをもうけ、しかし夫に早死にされた女は気の毒だ。子どものために再婚しないで生きてきて、その子どもが巣立っていくと、夫の両親と3人の生活になってしまう。好きな人ができても再婚することも出来ず、夫の両親と歳を重ねていくことになる。男だったら再婚しただろうが、女であるために再婚できないのは悲劇ではないだろうか。結婚が入籍という形を取る限り、こんなケースが生まれてしまう。

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