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ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」などを務めたライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。

重森三玲のモダンなお庭が調和する 東福寺の古き庵

2011-05-21 | 旅行

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東福寺の塔頭のひとつ龍吟庵にやって来たミモロ。
室町時代の作と伝わる日本最古の方丈で時を過ごします。

ここには、昭和の天才作庭家、重森三玲作の3つの庭園があります。

南の庭を鑑賞した後、「こっち、こっち」ミモロが手招きするのは、西の庭です。


そこには、白と黒の砂が作るモダンなお庭が広がっています。


「ここのお庭は、何を表現しているの?」ミモロは、濡れ縁に座りながら庭を眺めます。


西の庭は「龍の庭」と呼ばれ、お寺の名前に因み、龍が海から黒雲を得て、昇天する姿を点在する石組みで表現しているのだそう。青みを帯びた石が龍の大きな頭、そして白と黒の砂が渦巻く雲を、さらに竹垣が稲妻を表しています。


「そういわれると、龍が見えてきたー。モクモクした雲もいっぱい。そうだ
龍の背中に乗ってみよう」

ミモロは、ぴょこんと飛び上がり、龍の背中につかまるポーズを。
どこが龍がわかりましたか?


旅のポイント:今は、周囲は新緑に包まれていますが、秋になると、鮮やかな紅葉がこの庭を縁取ります。陽光に照らされた紅葉の赤が、庭にも映り、龍の姿にもいっそう迫力が。季節により庭の趣は、変わります。また1日だけでも、朝の陽射し、夕方の陽射しでは、庭の表情に違いが。庭は、一回だけ訪れのではなく、一度行ったことがあるお庭に再び訪れることで、以前とは全く違った印象を受けることも。特に枯山水の石庭は、ちょっと見ただけでは、ただ石が並んでいるだけと思う人も、じっくり腰を据えて眺めることで、石の色、砂に映る影などの微妙な変化が見られます。ぜひ、石庭は、時間をかけてゆっくりと。


そして、最後の3つ目のお庭は、東にある「不離の庭」です。


赤い砂が敷き詰められた庭は、中ほどに長石を伏せ、その前後に白黒の2つの石を配しています。

「これは、何を表現してるの?」ミモロは想像力をめぐらしますが、わかりません。

東の庭は、大明国師が子供の頃、狼に襲撃されそうになったのを、2匹の犬が守ったという故事に基づいて作られた庭だそう。

写真、中ほどの横に置かれた石が、倒れている国師、そのそばの2つの丸めな石が2匹の犬、そしてちょっと鋭い感じの6つの石(ここでは、片方の3つの石と手前に1つ見えています)が狼を象っています。


「うーそれを想像するのは、むずかしい。そのお話を聞いても、よくわからない。
かなり想像力がいるねー」とミモロ。

「でも、じっと見てると、石が動いているみたい・・・おー狼が見えてきたー」
ホント?

すべての石は、垂直ではなく、斜めに立っているのと、赤い砂に描かれた波の
模様が、庭に不思議な動きを感じさせます。

「この赤い砂は、雨で濡れるといっそう赤味を帯びて鮮やかになるんですよ」とスタッフの方。

雨に次第に濡れてゆく赤い砂の変化。石もその色を深めてゆくのです。
反対に乾いてゆくときも、赤い砂はまだらに色を変えてゆきます。きっともっと動きが感じられるかもしれませんね。

「そういうことも考えて作られているんだね。きっと・・・。すごーい・・・」
やたら感心しているミモロです。


さぁ、そろそろ閉館の時間。
もっとお庭の変化を見ていたいけど、そろそろおいとましましょうね。

「今度は、秋のお庭が見たい!また、来ます」
ミモロは、スタッフの方にご挨拶して、そこを後にしました。

旅のポイント:
重森三玲のお庭に興味のある方は、ぜひ重森三玲庭園美術館へ。予約にて旧宅のお庭などが拝見できます。

また、東福寺の特別拝観などに関しては、東福寺へ。




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日本最古の方丈建築、東福寺の龍吟庵と重森三玲作の庭を鑑賞

2011-05-20 | 旅行
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東福寺の三門を拝観した後、ミモロは、境内の奥に位置する龍吟庵に行くことに。

「ここも特別公開のときしか入れないんだって・・・」

庵に行くには、また屋根のある橋を渡ります。

東福寺には、境内の川に掛かる屋根付きの3つの橋があり、独特の趣を添えています。


新緑に抱かれたようにひっそりと佇む庵には、今日は人影もまばら。
雨上がりの路地は、打ち水をしたようにしっとりとした雰囲気が漂います。


龍吟庵は、東福寺の塔頭のひとつで、東福寺第三世住持、大明国師の住居跡。
その方丈は、室町時代初期の作で、応仁の乱以前の現存するわが国最古の方丈建築。書院造と寝殿造の手法を融合させた名建築と言われ、国宝に指定されています。


「あれー何にもないよ」
方丈に上がったミモロが、まず目にしたのは、木も草も、花も、そして石も灯篭もない
白砂敷きの広いお庭です。

ここは南の「無の庭」と呼ばれるもの。
その名の通り、まさに何もない、無の世界が広がっています。

何もないという不思議な空間・・・でも、静かに庭に面するとき、心が鎮まってくるようです。

「あれ、庭の竹垣が変わってる・・・」ミモロが気づいたのは、庭の脇にある竹垣。

まっすぐな竹の組み合わせではなく、竹で何かが描かれています。
「これ稲妻じゃない?」その通り、竹垣には、稲妻がデザインされています。

龍吟庵の東・西・南に配された3つの庭園は、昭和39年、
昭和の天才作庭家、重森三玲(しげもりみれい)が手掛けたもの。

資料によると、
重森三玲は、昭和に活躍した作庭家。庭園研究のみならず、茶の湯、生け花など多彩な分野でその才能を発揮したアーティスト。庭園を「芸術作品」ととらえ、普遍的な美と永遠のモダンの表現とした多くの作品を残しています。



「でも、ここに住んでいた大明国師さんは、もちろん、このお庭は見てないんだよね。
室町時代と昭和時代が、いっしょになって、新しい世界が出来てるってことね。
時代に大きな開きがあるのに、すごく調和してる、不思議!」

なかなかミモロいいますね。

例えば、「ここは室町時代に創建されたお寺ですよ」と言われても、京都は、とても火災が多くて、創建当時の建造物は、実は、あまり残っていないそう。
つまり創建の時期と、現存する建造物の建築時期は、もちろん同じでないほとがほとんどです。その後、時代を経て、その当時の有力者が再建したり、復元した建物が多いんです。いろいろな時代のものが、集まって今に至っています。きっと時代の流れの中で、再建や復元されず消滅した建物は多いはず。その中で、再建されたというのは、それだけ大きな意味をもっていたということなんですね。


あれ、ミモロは、どこ?
「ここだよ」
柱のかげから、ちょこんと覗きます。かくれんぼの好きなミモロです。


「こっちにもお庭がある・・・」ミモロは、さらに方丈の奥、西の庭へと進みます。


そこには、南の無の庭とは、全く違った景色が広がっていました。









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かつては極彩色の別世界が。東福寺三門の天井画を拝見

2011-05-19 | 旅行

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春の特別拝観で訪れた東福寺。ミモロは、禅宗三門で最古、最大と言われる東福寺の
三門に上りました。


急な階段を一生懸命上って到着した楼上。
そこに佇むミモロです。

京都の町を取り囲む山々がはるか遠く連なります。
「あ、京都タワーだ」
白い蝋燭のような形の京都タワーが、ちょこんと景色の中に。

「なんていい気持ちなんだろ?風が爽やか・・・フー」

楼上の欄干に寄りかかるミモロに、心地よい風が吹きます。

楼上の中には、釈迦如来像が鎮座していらっしゃいます。
「説明をします。どうぞ中に・・・」
ミモロは、急いで、向かいます。

「待ってー。説明を聞きたいです!」
転がるように走って入口へと急ぎました。

*中は、撮影禁止なので、想像してください。

薄暗い内部の正面には、宝冠を戴いた釈迦如来像のお姿が。
室町時代初期の作と伝えられる像は、かつては金色に輝いていたのでしょう、
顔や体には、当時のまばゆさを想像させる金色が古色の中に見られます。

後の世に作られたという円形の金色の光背は、可愛らしい花々が色鮮やかに描かれています。
「おだかやなお顔・・・きっと出来たばかりのころは、さぞやキレイだったんだろうね」ミモロは、像を見上げて、昔へと思いを馳せているようです。

内部の天井、柱には、極彩色の天女や鶏、龍などの絵がびっしりと描かれています。
それらを描いたのは、東福寺に「桜の木を植えないで」とお願いした、画僧の明兆たちです。

さらに釈迦如来像の両脇には、十六羅漢像が並んでいます。
大きな香木が、ゴロゴロとまるで岩を思わせるように像たちの後ろ、壁に沿うように
配置されていて、ダイナミック印象を作っています。

「みんな色あせてしまっているけど、出来たばかりの頃は、すごく鮮やかで、
極楽を思わせるような別世界だったんじゃないなぁ?そういうのを見てみたいー」


楼上の外、その正面には、室町幕府四代将軍足利義持の筆跡による「妙雲閣」の額が。
よく見ると妙の文字が、女ヘンではなく、玄ヘンになっています。
禅宗の寺だけに女は、禁物と、あえて女ヘンを変えたものだそう。


「タイムマシーンが欲しいなぁ。完成したばかりの頃に行ってみたい」
歴史的建造物を見ると、ミモロは、いつも思います。
「だって、今、わたし達が見てるのは、時間がすごーく経って古くなったものばかりでしょ。渋くていいね。という人も多いけど、昔はピカピカだったんでしょ。
作った人が、本当は、どんなものにしたかったのか、今の色じゃわからない」
というのが、ミモロの意見です。

きっと色鮮やかな建造物は、当時の人々を驚かせ、また心躍らせるものではなかったかと、想像したくなります。

「どの建物も、その時代の斬新なデザインと最先端の建築技術を使ったはず。
今のスカイツリーと同じだよね」



ミモロは、もう一度、周囲の景色を眺めると、
また急な階段を一歩ずつ慎重に下がります。


「昔の人って、大変だったね。今ならエレベーターが絶対付いてるよね。フー」

無事に地上に降りたミモロは、次の特別拝観場所へと急ぎます。

「今度は、お庭を見るんだよ」

さて、どんな庭に出会えるかな?楽しみね。











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東福寺に桜がない理由は・・・そして特別拝観で上る国宝・三門。

2011-05-18 | 旅行
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春の特別拝観の期間が終了する間際に、ミモロは、紅葉で有名な東福寺いに出かけました。

秋は、人でいっぱいのお寺も、今日は人影もまばら「ゆっくり見られるね」。


東福寺は、鎌倉時代の1236年、摂政九条道家の発願により建立されたお寺。
聖一国師(しょういちこくし)を開山に仰ぐ、臨済宗の大本山です。

当時は、りっぱな伽藍をもつ大きな寺院でした。もちろん今もかなり大きいお寺で、
国宝の三門、竜吟庵方丈をはじめ、多数の重要文化財など、
貴重な建造物が見られます。

さて、ミモロ、ここで質問です。
東福寺の名前は、有名な2つのお寺に由来します。それはどこでしょう?

「エーと2つのお寺?お寺っていっぱいあるしなぁー」ミモロはちょっと悩みます。
みなさんは、わかりますか?

ミモロも行ったことがあるお寺よ。「え?行ったことあるの?」
しばらくして「わかった!」ミモロの目が輝きます。

「それは、東大寺の東と興福寺の福の字ね。それで東福寺・・・」
正解!

奈良の最大の寺院の東大寺と隆盛を極めていた興福寺を合わせたような大きなお寺を作りたいという願いから名付けられたといわれます。
「なるほど・・・だから大きなお寺なんだ、納得!」


境内には川が流れ、その渓谷を埋めるように茂る楓。
自然の地形を巧みに取り入れ、変化に富んだ景色が楽しめるようになっています。


ミモロが立っているのは、屋根の付いた臥雲橋。そこからは、楓の木々越しに、
通天橋が眺められます。


「あの橋知ってる!」とミモロ。時代劇ファンならご存知のテレビ番組「鬼平犯科帳」。その最後に流れるエンディングロールの秋のシーンに登場する橋です。

「芸者さんや旦那衆が、紅葉見物しているシーンだよね」。
ミモロも大好きな時代劇で、必ず最後まで見ています。

「秋の紅葉は見事だけど、ここは、お花見もきっと素適なんじゃない?」とミモロは、辺りを見回しながら・・・。

残念!京都のお寺には珍しく、ここの境内には、桜の木がほとんどありません。

「お花見できないの?えーどうして?」

それはね・・・昔(1400年ごろ)、このお寺に、仏様のお掃除やさまざまな仏具などの調達をする殿司(でんず)という職にいた明兆(みんちょう)という僧がいました。、
彼は、とても絵が上手だったので、お寺の法要などに使われる絵画の製作をよく任されていたのです。
さまざまな作品のなかでも、「大涅槃図」という大作を描いたときに、将軍足利義持が、「これは見事・・」と感激して、「褒美をとらす・・・」と言ったそう。

「ミモロなら、お菓子とか、お洋服が欲しいなぁ」
まぁ、ミモロはともかく、

普通の人なら、ご褒美に地位や名誉、お金なんか頂きたいと言うんじゃないの。
でも、明兆は違ってた。
「桜の花があると、人々が浮かれて騒いだりして、修業の妨げになるので、境内には、桜を植えないで欲しい」ってお願いしたそう。

その言葉に、ますます感激した義持は、境内の桜を全部切らせてしまったそう。
それ以来、このお寺では、ほとんど桜が見らなくなりました。おしまい・・・。

「なんかもったいない気もするけど・・・このお話を聞いて、紅葉を見ると
なんかいっそうスゴイことに思えてくるね。秋が楽しみ、絶対来よう!」


そこから、ミモロは、トコトコと広い境内を歩き、
特別拝観ができる国宝の三門へと向います。

三門は、高さ22m。堂々とした大仏様式を用いた入母屋造りで、禅宗三門では、最古、最大と言われています。

「特別拝観では、ここに上れるんだよ」
ミモロは、いそいそと三門の上り口へ、でも、急に歩みが重くなりました。

「えーここを上がるの?」ミモロの前には、傾斜が急な階段が。

梯子を上るような感じの急な階段、しかも段差もかなりあります。

「うー大変・・・」懸命に上る小さなミモロに、
「足元、気をつけてくださいねー」という声が。

「よかった無事に上れて・・・」ガイドなどもしてくれるお姉さんたちに迎えられ、
ホッとしたミモロです。


一息ついたとき、
「わーすごい眺め・・・」思わず声を上げたミモロです。

さて、眼下には、どんな景色が広がっているのでしょう。












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葵祭の斉王代一行の行列を追いかけて、人ごみを進むミモロ。

2011-05-17 | 旅行
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今年は、海外からの観光客が激減している京都ながら、さすが葵祭という大きな
イベントには、大勢の人が集まっています。
「観光バスは、少なめなのに、どうしてこんなに混むんだろ?
例年並みの人出なら、もっとすごいのかなぁ・・・」
人の波にもみくちゃにされながら、ミモロは思うのでした。

さて、
下鴨神社から、最終到着地点の上賀茂神社へと、斉王代一行の行列は、進みます。

「先回りして、行列を待たなくちゃ・・・」ミモロは、急いで北大路通へと向かいますが、途中も見物人がいっぱい。思うように歩けません。
それに、思ったより行列の進む速さは、速くて、後ろ姿しか見えません。

「もっと先回りしなくちゃ・・」そう思うミモロですが、ミモロの歩くスピードは、行列と同じくらいで、行列の最後を進む牛車を見るのがやっと。


やっと見られた牛車は、藤の花が下がっていて、とても美しいもの。
「あれに乗ってみたいね。どんな景色が中から見えるのかなぁ」
ミモロの想像は膨らみます。

「でも、もっと、もっと、前の行列が見たい!」ミモロは、必死に人ごみを縫うように、早歩きで進みます。

あ、突然、行列が止まりました。
ミモロのすぐそばには、若い女官と彼女に傘を差す若い男性の姿が。

「キレイだね。相合傘みたい・・・・」
花で飾られた花傘で、なんて優美な雰囲気でしょう。

風に揺れる花・・・でもきっと傘を持つ人は、大変ですね。

さて、それから、ミモロは、行列より少し早く歩き始めます。
「少しは、行列を追い越したみたい・・・」
横を見ると「あ、斎王代だ」

山車に乗った斎王代のところまで、やっと追いつきました。


ミモロの頭には、前に見た斎王代の雅な様子が思い出されます。
今回は、遠くだったし、人が前にいたので、小さなミモロには、
よく見えなかったようです。

「前に見といて良かったね」確かに、あの禊の日は、今よりもグッと見物人が少なくて、よく見えました。斎王代などが、よく見たい人には、今年は、4日に行なわれた禊の儀がおすすめです。

「行列を見るなら、もっと早く来て、場所取りしなくちゃね」
あれも、これも見たいと思ったミモロは、結局、正直、あんまりよく見えなかったのです。

旅のポイント:葵祭など、京都の祭りは、行列を見るものなので、どこか一ヶ所、場所を決めて、早めに見物の場所を確保することをおすすめ。あちこち移動すると結局、なにも見えなかったことになりかねません。欲張りは禁物です。

「次にお祭りを見るときは、いろいろ準備しよう!」反省するミモロです。


「えーと次は、祇園祭?」
まだ少し気が早いとおもいますよ。


さて、以前、ミモロが育てていた小さな花が、たくさんピンクの花を咲かせました。
「この花の名前、なんていうの?」名前が知りたいミモロです。

ご存知の方は、ぜひ教えてください。よろしく!!







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