2015年の「粟田神社」の祭りもいよいよクライマックスへ。氏子町を巡行した神輿が、境内へと帰ってきました。
「ホイット~ホイット~」の声が上がり、何度も本殿の前で神輿を高くさし上げて、激しく揺すぶります。
そう、何度も何度も…「いつもより差し上げの回数多いよね~」と、一緒に拍手しているミモロがポツリ。
江戸時代からみんなに担がれた神輿も、この姿は、今年が最後…還幸祭の後に、すみやかにトラックに積み込まれ、修復のために、彦根へと向かうことになっているのです。そのため、古い神輿を担ぐのもこれが最後に…。そんな思いからでしょうか、神輿会の人たちの名残を惜しむ思いが、何度も何度も差し上げることで、見物人にも伝わってきます。
きっと子供のころから、担いだ神輿…もちろん修復され、美しい姿に蘇る悦びもありますが、名残惜しさもいっそうでは?
最後の差し上げが終わり、神輿は木の馬の上に…
還幸祭で、神輿から本殿に神様が移動なさると…。
そばにトラックが駐車されました。
「これに乗るの?」
トラックは、神輿積み込みの準備が…。
神輿は、担ぐ柄の部分が外されます。
そして、「粟田神社神輿会」の人たちを中心に、神輿が、トラックの荷台へと移されました。
荷台に積まれた神輿から、移動で損傷しないように周囲の飾りなどが次々に外されてゆき、本体だけに…
「わ~御神輿の本体ってこんなにキレイな装飾がされてたんだ~」
瓔珞を外した神輿は、江戸時代の装飾がよくわかる姿に…。
鳥居には、隙間なく見事な細工が施されています。
そして、屋根の内側は、まるで日光の東照宮を思わせる、極彩色の獅子や花などが…。
「すごい見事な細工…まさに芸術品だね~」と、その美しさに感動するミモロです。
すべての飾りが外され、安全ベルトで固定された神輿には、やがてカバーが掛けられます。
その姿を、じっと見つめる人たち…。
すっぽりとカバーに覆われた神輿、いよいよ出発の時を迎えます。
「粟田神社」は、東海道である三条通に面し、京都を出入りする人たちの旅の安全を守る神さまとして崇敬を集める神社です。
そこの神輿が、今回、生まれてから初めて京都を離れ、彦根へと旅立ちます。「御神輿にとっては、すごい旅だよね~。きっと本殿にいらっしゃる神様が守ってくださいね」とミモロ。
「みなさまが、大切になさっている神輿を確かにお預かりいたします。しっかり修復させていただきますのでご安心ください。来年9月には、またこちらにお戻しいたします」と、彦根の修復工房の方のご挨拶。
佐々貴宮司、清々会会長の前田さん、粟田神社神輿会会長の一澤さんも、その言葉を受け止めます。
神輿の旅立ちを祝い、皆で万歳をすることに…。
そして、神輿を乗せたトラックがゆっくりと動き出したとき、神輿会の角田さんが、「ホイット~ホイット~」と拍手しながら声を…。その声に見送る人たちも合わせ、みんなで大きな声で、「ホイット~ホイット~」と、掛け声で神輿のトラックが境内を出るまで、見送ります。この掛け声ほど、神輿を見送るのに相応しいものはありません。神輿の旅立ちを祝う掛け声が、夜の静かな境内に響く中、トラックは、境内から動きます。
「あ~行っちゃう…」ついさっき、多くの担ぎ手によって上ってきた神社への坂を、ゆっくりと今度はトラックで下る神輿です。
闇に浮かぶ赤いテールランプがしばしのお別れをみんなに告げるよう…。
トラックの姿が見えなくなるで、じっと見送る佐々貴宮司…。ミモロもそばで、じっと見ていました。
神輿が、神社を留守にすることは、130年以上なかったこと…。この歴史的旅立ちに、ミモロは、ただただ感動…。
次の修復は、また130年以上たってからとか…「もう誰もいないね~。でも神輿は、ずっとあるんだよね。きっとその時代に、かの平成の時代に修復されたんですよ~っていうんだろうね」とミモロ。江戸時代からの長い年月…日本は、徳川幕府から明治政府に代わり、日清、日露、太平洋戦争を経る激動の時代を過ごしてきました。次の修復までの時代…一体、日本は、いえ、地球は、どんな歳月を過ごすのでしょう。その時代になっても、神輿が担がれることを…。
「ともかく来年が楽しみだね~すごく立派になって帰ってくるんだって…」と、ミモロは、目を輝かせます。
江戸時代から愛され続けた神輿…何人の人が、担いだのでしょう。江戸、明治、大正、昭和、そして平成へ。常に氏子の人たちを見守った神輿です。長い年月に渡り、揺さぶられ、神の力をアップさせた神輿…来年には、蘇り、新たなパワーで氏子町を守ることに…。
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