蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分は、何様なの?

2013-08-15 | 人生

 

異性とのお付き合いにおいて、
わたしは、あまり好きでなくても、むこうが好いてくれたら、とりあえず付き合う。
自分が好きでも、相手が好いてくれなければ、付き合わない。
強引に押しかけ女房とか、ありえない。
努力し続けて、自分を好きになってくれるよう、頑張らない。

自分からアポとか、しない。
女性の友だちでも、延々と長い間、連絡があるまで待つのみ。一方的、受身。
相手は、わたしのことを、おそらく、「乗る気がない人」だと思っていることだろう。

なぜか?
しんどいからだ。

わたしは、サボりなので、なんの努力もしなくても、無条件に自分のことを好いてくれる人がいい。
と、書きつつ・・・
あ、これって、厳密に言えば違うなあ、ということに気づく。
細かいところは、またの機会に。

異性の場合、

自分のことを好いてくれるのが、第一条件。
こちらは、さほど好きでなくても、である。
しかし、いくら好いてくれても、絶対的に嫌いな人とは、付き合わない。
そして、その、絶対的・・・の条件が、案外、厳しい、狭き門になっている。

まず、わたしよりアタマの悪い人は、だめ。
わたしより、運動神経が鈍い人は、だめ。
わたしより背が低い人は、できれば避けたい。
わたしより、要領が悪い人は、だめ。
どんないい人でも、ギャンブルをする人は、だめ。
どんな素敵な人でも、女ったらしは、だめ。
ケチは、だめ。
下品も嫌い。
器の小さい、せせこましい、みみっちい、狭量は、だめ。
親兄弟、家族を大切にしない人は、だめ。
歪んでいる人、拗ねている人は、だめ。
絶対にはずせないのは、お金にルーズな人。
だからすごく若くてイケメンでもだめ。ホスト系は、生理的にも精神的にも拒絶反応。

そうすると、我慢できることと言えば、見かけぐらいになってくる。
見かけだけがよくて、あとは、全部だめ、という、いわゆる「一目惚れ」というパターンは、ない。
あるいは、惚れた弱みで、なんでもかんでも、許す、必死で尽くす、というパターンもない。
あほらしい。

逆のパターンはある。
尽くされるほうが、うまくいくことが多い。
尽くしても、相手をつけあがらせるだけだ。
高飛車、大きな態度に出たほうがいい。
(あくまでも、わたしの場合。わたしは、受身でおとなしいので、なめられる傾向がある)

ど演歌の歌詞で、「尽くして、捨てられて」「いまでも、あなたを愛してる」「あなたを忘れない、忘れられない」
などというのがあるが、
あれは、男性が幻想、幻影を抱いて、実際にはありえないことをわかって、確信犯で作詞しているのだろう。
そんな女性は、見たこともないし、知っている人にはひとりもいない。
男性のほうが、いつまでも、女々しく、捨てられた女性のことをぐじゅぐじゅ思い続ける。
たいがい、堪忍袋の尾が切れて、男性を捨てるのは、女性だから。
女性は、見切りが早い。だめなものは、だめ。あんた、だめ。はい、次。
もちろん、男性に捨てられる女性もいるが、こんなんじゃあ、捨てられても仕方ないというパターンが多い。


で、どんどん話は、それているが・・・

つまり、見かけが少々気に入らなくても、上記の条件を満たしていると、付き合うということだ。
付き合うイコール好きになる、とは、また違うのだが。

見かけがよくない、見かけのせいで、異性にモテない人は、中身や行動で、頑張る。
(才能があっても努力しないと大成しないが、そこそこの資質でも、熱意と努力で、花を咲かせるのと同じ)
なので、付き合うと、見かけがいい人より、ずっと努力家である。
ワケありセールで、本来は高価なのだが、割安で出ている、蚤の市で見つけた高級品みたいなかんじで、気に入れば、お得だ。

知らず知らずのうちに、自分が不幸にならないタイプを選んでいる。

あ、関係ないけれど、
わたしより歌が下手な人でもオッケー。(わたしも、かなりオンチだが)

どちらかというと、スポーツ選手や芸能人より、
政治家や実業家、コメンテイター、記者、作家、教授系のほうが好き。
芸術系や哲学系、クリエーター系は、オプション。

どうぞご勝手に!と言われそうだ。

夫にする人は、自分より能力が上の人を望んだ。
子供への遺伝子も考えた。
夫選びの基準にも、わたしのサボり精神、手抜き根性が色濃く現れている。


わたしの親の世代は、頑張り世代だ。
戦前派、戦中派が多いと思う。
なので、とても忍耐強く、よく働く。そして厳しい。
そんな親と比べると、一世代若い我々は、頑張りが劣る。
なので、夫は、わたしの父親に比べると、劣る。
わたしは、夫の母親に比べると劣る。
まあ、しかたない。
どっちも、そんな立派な親と比べて、配偶者に幻滅したりしても、しかたない。
自分が、甘いんだから。
甘く育つことができて、時代に感謝しなければ。


割れ鍋に、綴じ蓋。
いつまでたっても、このパターン。
自分が成長しなければ、相手に多くを求めることはできない。
自分が努力して頑張れば、いつかは事態は好転する。
自分が変わらなければ、相手は変わらない。
自分も相手も、同時に次第に変わるとこもある。

夫は、自分を映す鏡だ。
子供も、そう。
みんな、自分の行いが、跳ね返ってくる。
長い時をかければ、かけるだけ、その反響、ブーメラン効果がある。
良い場合も、悪い場合も。

結果を焦らず、じっと時を待つ忍耐力も必要だ。
半ばあきらめつつ、ぼーーっとしてたら、ある日、突然、結果が現れる時が訪れる。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (キャロット)
2013-08-15 15:49:03
スロー人様

おひさしぶりですね。

長々と読み進めましたが、ようするに
「棚から ぼたもち」待ち。

スタンスがよーくわかりました。

気長にお待ちくださいませ。
おいしいぼたもちでありますように
返信する
作文力と読解力 (スロー)
2013-08-15 21:16:14
キャロットさま
おひさしぶりです。
わたしが言いたかったのは、「棚からぼたもち」ではありません。
わたしの書き方が悪いのでしょう。
そして、「ぼたもち」は、おいしいということが前提です。
おいしくないものは、ぼたもちの定義から外れます。


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