昨夜、お祈りしていたK姉が召されました。
クリスチャンの弟夫妻であるHさんが、「お姉さんもいっしょに教会に行きましょう!」と誘っても、「あなたたちで行ってらっしゃい!」と拒んでこられたそうですが、9月にはほんとに素直にイエス様を信じました。
「全てに時がある。」
と、聖書に書かれていますが、K姉のここ数ヶ月を思い起こすと、ほんとに神様は良い時を備えておられると感じます。
忍耐強く救いのために祈り続けてこられたHさんご夫妻は、涙を流しながらも、「イエス様を信じて良かったね!」と感謝しておられました。
私も数回お会いしただけですが、心に通じ合うものがあって、感謝とさびしさが入り混じっています。
K姉、この世から御姿がなくなって寂しくなりましたが、天国に行くことができて本当によかったです。H兄姉たちの祈りが聞かれたのですね。この間一周年をした義母の思い出と重なり面識はありませんが、わがことのようです。
「すべてに時がある」の御言葉もわかりつつ、義母のことを思い出すと、病に伏せる前に心に受け入れられればもっと喜びでいっぱいになっただろうに...とつい考えてしまします。
私も、主人、その兄弟、子供、自分の母兄ために日々祈り、心に受け入れるときを待つ一人です。一人ひとりが神様にいただいた賜物を輝かせて日々生活することができるようにと祈っています。
賛美にもありますが、私たちは神様に作られた器、日ヒビも欠けもたくさんある小さな器です。そこから差し出す神様の光を私の周りにいる人に感じていただける存在、また、地の塩として効きすぎず、塩気を失うことなく用いていただけるように日々通勤電車の中で祈っています。