5月23日に行ったマドリード州アランフェスはRio Tajo(タホ川)沿岸の肥沃な土地を活かしたイチゴとアスパラの産地として知られており、マドリードから南へ47km、電車で45~50分のところに位置しています。5~6月及び9月~10月半ばの週末にはイチゴ電車がマドリードの鉄道博物館駅(Museo del Ferrocarril)から出ており、ノスタルジックな車両に揺られながら名物イチゴを楽しめるというアトラクションがあるのですが、2019年5月23日は木曜日でしたので普通の電車で行きました。マドリードからC3で約50分(南へ50km)。片道5€ですが、往復切符は8.10€です。
駅を降りると右手にバス停があり、そこから市街地までのバスが出ています。
夏の離宮Placio Realまで行くには市街地の市場Mercadoあたりで降りて5分ちょっと歩くことになります。私たちは駅のバス停を素通りしてプラタナスの並木道(Avenida del Palacio)を徒歩で離宮へ向かいました。
ゆっくり歩いて20分ほどですが、その後広大な庭園を散策することを考えるとバスに乗った方がいいかもしれません。この日は26000歩を超える新記録を出しました( ̄∇ ̄;)
並木道が終わるところはPlaza Elipticaという離宮の前庭のようなところ。そこには素敵なベンチがあったのでひとまず休憩しました。
足元を見てみると、水たまりに燕が数羽戯れていました。燕が地面にいるところを始めてみました。
この夏の離宮はフェリペ2世によって1560年に建造されました。もともとはサンチアゴ修道会の領地でしたが、イザベラ1世とフェルディナンド2世が修道会の権力をそぐためにローマ法王を説き伏せて1493年フェルディナンド2世を修道会の管理者に任命させ、実質的に領地を取り上げました。その後カルロス5世が1516年にアランフェスを王領とし、狩猟のための居城および庭園の造設を開始しました。フェリペ2世がアランフェスを公式の【夏の離宮】として体裁を整えました。その後ブルボン王家のフェリペ5世の時代から城と庭園の拡張がなされ、バロック様式に作り替えられていきました。
アランフェスは宮廷人とその使用人のみに立ち入りが許可されていましたが、Puente de Barcasがタホ川にかけられ、厳しい検査はあったものの一般人の立ち入りも許されるようになりました。18世紀中葉から一般人の居住も認められるようになりました。そのための都市計画が実施され、現在でも旧市街にはその名残がはっきりと残されています。つまり、町としては歴史が浅いと言えます。
離宮の入場料はEU市民は無料。通常料金は5€みたいです。
広大な庭園は無料です。噴水がたくさんあって、散策を楽しめます。私たちは取りあえず庭園の方から見学することにしました。
まずは離宮の東側にあるJardin del Parterra。
Jardin del ParterraからJardin de la isla(島の庭)へ行くにはTajo川に掛けられた小さな橋を渡ります。その川域は段差というか斜面が作られていて、カモやガチョウのたまり場になっていました。
Jardin del islaの方には孔雀もいます。近付いてもびくともしない奴です。つつかれたら嫌なので2mくらいまでしか近付きませんでしたが。
写真を見てお分かりかと思いますが、この日のお天気は晴れ時々曇りでした。
散策の後は遅いランチ(スペインではまだ普通のランチ時間)にしました。アランフェスの代表的な料理はアスパラオムレツとキジ料理です。FBFによればカエルの脚も名物らしいのですが、ドイツ語の観光案内ではそれを確認することができませんでした。まあ、結局そういった名物料理とは無関係のランチを取ったのですが。
さて、イチゴ電車に乗れなかった代わりにランチのデザートでイチゴを食べて満足していた私ですが、旦那がトイレに行くのでその間に支払いを済ませてくれと頼まれてリュックの中を探りお財布がないことに気が付いて焦りました。朝お財布をリュックに入れた記憶がなかったのでホテルに忘れてきたのではないかと思い、その場はダンナが支払ったのですが、結局ホテルにもなかったんですよね。それでよく考えてみたら前の晩もお財布をリュックから出した記憶がなく、最後にお財布を見たのは前日朝にセゴビアに行く前だったことに思い至りました。おそらくチャマルティン駅でセゴビア行の電車を待っていた間か観光中のどこかで盗まれたか、可能性は低いですがバスやトイレの中でリュックを倒してしまった時に財布が外に出ていたのに気づかなかったかだろうと思いました。現金は300€程入っていたので痛くないわけではありませんが、他によけておいた現金もありましたし、旦那も十分な現金を持っていたので旅行中困ることはありませんでした。また、財布に入れておいた身分証明書(IDカード)はなくなってしまいましたが、パスポートは別の場所に入れていたので帰国するにも困らないため、後日電車の落とし物預かり所や駅の交番などに問い合わせはしたものの、ちゃんとした盗難届は時間もないので出さずに、カード類の停止のみで済ませました。
帰国後のことを考えると憂鬱でしたが、とりあえずそのことは忘れて旅行を続行しました。
アランフェスには地元観光局の勧める散策コースが3つあり、赤いルートはランチ前にほぼ網羅したので、
折角だから市街地の方に行く青いルートの散策をすることにしました。
ほとんど使われていない市場(Mercado de Abastos)。
市場の東側はCasa de Infantes(子どもの家?)とツーリストインフォ。
Real Convento de San Pasucualという修道院。
Calle del Capitanでマンゴージュースなどを飲んで休憩。フレッシュジュースとはいえ4€は高め。
離宮の中を見る時間が無くなるので青いルートは半分で強制終了。たいして見るべきものがなかったというのが主な理由ですが。
というわけで荷物検査を受けて離宮の中に入りました。ファサードはルネサンス様式ですが、バロックの影響も出ています。
階段室は馬車で乗り付けた賓客たちが最初に目にするところであるため、見栄を張るために大理石などを使って凝った作りにするのが常道です。
写真の撮影が許されているのはこの階段室まで。この後は見張りの人がかなり居て撮影する隙がありませんでした。
豪華な絨毯、家具、陶器、時計、絵画などの装飾を施された女王や王様の謁見の間や控室、談話室、グラナダのアルハンブラ宮殿修復に携わった建築家によるイスラム教の祈りの間のような凝った天井と壁の正方形の喫煙室(!)、壁に陶器のレリーフが施されている陶器の間(Sala de China)など眩暈がするほどキラキラを目にすることができます。これがスペイン王家の宮殿の1つに過ぎないというのですから、さすが大航海時代以降公然と他文化を植民地化し、そこから富を略奪してきただけはあると感心してしまいました。
離宮から出ると20時近くになっていたので、もう1つの大きな庭園Jardin del Principe(王子の庭)の方は見ることができませんでした。近くまではいきましたけど。
夕食をアランフェスでとるかどうか迷ったのですが、お財布のことが気がかりだったのでマドリードに戻ることにしました。そしてホテルの部屋を捜索し、昨夜ご飯を食べたところと立ち寄ったところにお財布が落ちてなかったか聞いた後、庶民の味方のレストランMuseo del Jamon(Sol駅に近い方の店舗)で夕食にしました。
メロンとハムの前菜にコシードというスープ。ハムとメロンは美味しかったですが、スープの方は塩分が多過ぎて飲めるものではなかったので、具だけを食べました。
翌日5月24日はコルドバへAVEで移動しました。