徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:桜木紫乃著、『ホテルローヤル』(集英社文庫)~第149回直木賞受賞作

2018年01月14日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

直木賞受賞作ということで、桜木紫乃の『ホテルローヤル』を読んでみました。著者は北海道釧路市出身で、作品の舞台も出身地かその周辺であることが多いようです。そして「ホテルローヤル」はなんと父親が釧路市で経営していたラブホテルの名前だそうで、ご本人も部屋の清掃などで家業のお手伝いをしたようです。そのせいかこの短編集には性愛に対するあっけらかんとしたリアリズムと同時に妙に冷めた距離感がにじみ出ているように感じました。つまり、そこに恋愛的ときめきがないのです。描かれている男女関係もどこかいびつで。

収録作品は、「シャッターチャンス」、「本日開店」、「えっち屋」、「バブルバス」、「せんせぇ」、「星を見ていた」、「ギフト」の7編。

「シャッターチャンス」は、恋人から投稿ヌード写真の撮影に誘われた女性事務員が、誘われるまま廃墟となった北国の湿原を背にするラブホテル「ローヤルホテル」の一室で撮影のリクエストに応えつつも違和感を感じ、抵抗を試みて、また言いくるめられる倦怠感漂う女性の話。挫折から立ち直ろうとなぜか投稿ヌード写真に熱を上げる男との温度差は激しい。

「本日開店」では、小さなお寺の大黒が檀家からお布施をもらうために肉体関係を持つというお話。檀家総代が代替わりして、今まで枯れたおじいさんを介護するような感覚でお相手をしていた彼女はちょっとときめいてしまい、罪悪感に心が揺れるお話。ここでは「ホテルローヤル」の社長だった男のお骨の引き取り手がないために、彼と親しくしていた檀家の一人がそのお骨を大黒に預けます。

「えっち屋」は、母親が家出して10年後、70代半ばの父親が肺を患って入院中のため、「ホテルローヤル」を廃業作業をする娘の話。就職試験に全部失敗したので家業を手伝っていた彼女は廃業を機に旅に出る決意をします。無謀かもしれませんが、前向きな感じがいいと思いました。「えっち屋」と呼ばれる取引業者の境遇もなかなか興味深いです。

「バブルバス」は、お墓参り帰りの夫婦が久々の夫婦の時間を「ホテルローヤル」の一室で過ごすというお話。お寺の住職がダブルブッキングで来れなかったために浮いたお金を使って。「本日開店」の大黒がちょっとだけ再登場します。

「せんせぇ」には、私が重大な見落としをしたのでなければ、「ホテルローヤル」は全く登場しません。妻が高校3年の頃からずっと付き合ってきた高校教師で現校長の仲人で結婚した小心の高校教師。妻は結婚後も校長との関係を保ったままだったことが発覚して、なおも怒れない小心さ。単身赴任先から連休に釧路の自宅へ予告なしに帰ろうと電車に乗ります。彼を追いかけるように電車に乗ってきた彼の生徒。借金をきっかけに母親が出ていき、父親もいなくなってしまい行き場をなくしてキャバクラ嬢にでもなるかと函館へ向かおうとする彼女。全体的に悲哀が漂うストーリーです。

「星を見ていた」は、「ホテルローヤル」で清掃婦として働く60歳女性の話。元漁師の夫は10歳年下で現在無職。長男長女は中学卒業後すぐに家を出てしまい、消息不明。唯一次男だけが左官職人に弟子入りして、夜間高校を自力で卒業し、定期的に連絡してきていました。この短編が一番インパクトが強かったです。「毎晩下着の中のものを大きくして妻の帰りを待っている夫(50)」もアレですが、なによりも主人公の彼女が指針としている母親の教えが凄い。

『いいかミコ、おとうが股をまさぐったら、なんにも言わずに脚開け。それさえあればなんぼでもうまくいくのが夫婦ってもんだから。』

え?.......

『いいかミコ、何があっても働け。一生懸命に体動かしている人間には誰も何も言わねぇもんだ。聞きたくねえことには耳ふさげ。働いていればよく眠れるし、朝になりゃみんな忘れてる。』

え?.......

そうですね、そうできるならそれも処世術の一つかなとは思います。

そうしてミコは次男が起こした事件をきっかけに優しくなる周囲の態度を受け止めきれずに一人涙して星を見る。。。純文学的な雰囲気ですね。

またミコは中学を卒業してからずっと働き詰めで自分が「苦労している」とか「貧乏である」とかいう自覚が全然なかったというのもリアリティがあって、先日『続・下流老人』を読んだばかりなので、余計に「ああ、こういう人たちが受けられるはずの保護のことも知らずにただひたすら頑張って疲弊していってしまうのだな」と思わずにはいられませんでした。

 

「ギフト」は「ホテルローヤル」サーガの始まりの話で、「大吉」という縁起のいい名前を持つ男がラブホテル建設の契約をした途端に妻に離婚届を突き付けられ、戻る気配がないので、今までかわいがっていた愛人が妊娠したこともあって、彼女と結婚することを決意し、ラブホテル事業に夢見るお話です。「えっち屋」ですでにこの愛人が逃げ出してしまう結末が分かっているだけに、人の営みの悲哀を感じてしまいますね。

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書評:藤田孝典著、『続・下流老人 一億総疲弊社会の到来』(朝日新書)

2018年01月14日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

 『続・下流老人 一億総疲弊社会の到来』は、前作の『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』が現状報告と問題的に重点が置かれていたのに対し、「ではどうすればいいのか」という解決の糸口の比重が大きくなっており、その際に財政社会学を専門とする慶応義塾大学経済学部教授の井上英策の考察やフランスの社会保障制度などが紹介されているのが興味深いです。

著者の最も切実なメッセージは「汝、理想を語るバカになれ」ということではないでしょうか。「仕方ない」とあきらめてしまうのではなく、「自己責任」論を振りかざして助けを求める人たちを攻撃するのではなく、また困難を「自分で何とかしよう」と個人の限界を超えて頑張って自殺したり家族と共倒れしたりするのではなく、みんなが安心して健康で文化的な生活を送れるような社会にしていくために、一人一人が声を上げ、つながりを形成し、少しずつでも社会がよくなる努力をしていくことが肝要ということですね。権利は「与えられる」ものではなく戦って「勝ち取る」もの。

以下は目次です。

はじめに

第1章 深刻化する下流老人

第2章 生きるために働く老後 ―死ぬまですり減る、心と体ー

第3章 誰もが陥る「死ぬまで働く」という生き方 -なぜ高齢者は働かざるを得ないのか―

第4章 日本の老後はカネ次第 ―不気味な顔を見せる格差社会―

第5章 下流老人を救うカネはどこにある? ―これから「財源」の話をしよう―

第6章 一億総下流化を防ぐ解決策 -持続可能な未来~子ども世代へ

 

「一億総活躍」といわれる国策の裏には、「老後に働かない」選択の自由を奪い、「死ぬまで働く」ことでしか生きていけない状況を作り出す社会保障改悪が隠れていると、著者は鋭く指摘します。

また社会保障を改悪していき、「自己責任」で、ありとあらゆるリスクを「家族の問題」にしてしまうことによって、家族のキャパを超える問題が複合的に発生する可能性が大きくなるという指摘も、政治家の皆さんには是非とも考えていただきたいことです。具体例として年金生活に入ったばかりの「前期高齢者」が、親の介護のために時間と金を取られ、その上、嫁に行った娘が離婚して鬱病を患い、その子どもを連れて実家に戻ってきたため、娘と孫たちの生活費も賄うためには年金だけでは到底足りないので、老骨に鞭打って新聞配達のアルバイトをするケースが挙げられています。

類型的に見ると、老親の介護と成人した子どもの非正規労働などによる貧困の板挟みで、家庭内ではにっちもさっちもいかない状況が体制的に生み出されているいうことです。

そもそも生涯未婚率が記録的に高くなっている昨今、「家庭」を前提にした福祉制度そのものが時代遅れで現状に合致しないものになっていると言えます。

労働市場の規制緩和の結果、大量の非正規雇用を生み出し、ボリュームゾーンにあたる所得の「中の下」層が下流シフトしたため、平均年収が下がり続け、貧困が拡大しました。

日本の最低賃金は先進国最低のレベルで、フルタイムで働いたとしてもまともに生活できないレベル。

OECD諸国のうち日本のジニ係数(格差を表す指数)は9位、相対的貧困率は6位で、以前に比べて社会全体が貧しく、また格差が広がっています。一方で「格差の是正に賛成」と解答している人の数は58ヶ国中39位で、「不平等な社会だとは思わない」人の割合が12位、「格差が大きすぎると思わない」人の割合が13位。実際に格差が拡大していて、自分も貧しくなったと実感している人が多いのに、格差の解消に対する関心が薄いのが日本の社会だと慶応義塾大学経済学部教授の井上英策は指摘しています。

その理由として、政治不信や納税に対する受益の不公平感を起因とする租税抵抗(税金を払いたくない気持ち)が他国に比べてもかなり強いこと、勤労を美徳とする意識、基本的人権や民主主義の意識の低さが挙げられています。いずれにせよ先進国として実に恥ずかしいお粗末な状態と言えます。

国民経済の観点から見ると、貧富の格差はむしろ経済成長を阻害し、停滞を招くというデータはあっても、トリクルダウンが成功した客観的データは存在しません。このため、まずは経済成長ありきで、供給側の支援を減税などの形で行い、福祉を後回しにするという発想自体が間違いだと言えます。福祉国家と言われる北欧などの税率の高い国の方が軒並み日本より高い成長率を示しているその意味を改めて考えるべきでしょう。

社会保障の提供する最も重要なものは生活に関する「安心」です。人は現在や将来に不安を抱いていれば、「もしものため」を考えてやたらと貯蓄する傾向が強くなります。その結果消費が落ち込むため、国内需要に依存する企業の収益も落ち込むことになります。そうした企業はブラック化しやすいため、そこで働く労働者たちの雇用不安が増し、さらに消費が落ち込むという悪循環に陥ります。逆に社会保障がしっかりしていて、失業しても、病気になっても最低限の生活が保障される社会であれば、人はその安心感からやたらと貯蓄することなく、消費を増やします。結果として国内需要も拡大するので、企業収益も上がり、全体的な経済成長も適度に実現します。

詳しい著者の提言については本書に譲るとしてここには書きませんが、「救済型」の福祉ではなく、みんなが一定の公共サービスを受けられる「共存型の再分配」を目指すのは、僻み・妬み・嫉みから来る「受益者」に対する非人道的なバッシングを失くすために有効な道だと思います。

また、マクロ経済学的に見ても、所得が低いほど貯蓄傾向が低く、消費傾向が高い、つまり増えた所得がそのまま消費に回りやすいため、経済活性化には低所得層を支援する方が、トリクルダウン幻想に基づいた供給側の助成よりも有効です。

そのための財源を獲得するためには増税は避けて通れないのですが、その前に日本は税金の使い道についての透明度を高めるべきですし、政治家や官僚のモラルハザードを許さないシビリアンコントロールを強化するべきです。政治家のモラルの低さは、国民の意識の低さを反映しています。政治不信とは、結局のところ自分自身への不信でもあるわけです。そうした不信感をある程度まで払拭することができれば、生活に必要な公共サービスの充実のための増税に対する社会的合意も形成されてくるのではないかと思います。


書評:藤田孝典著、『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新書)