徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:木内昇著、『漂砂のうたう』(集英社文庫)~直木賞受賞作

2018年01月01日 | 書評ー小説:作者カ行

木内昇著、『漂砂のうたう』は、2010年度・第144回直木賞受賞作品です。受賞から大分経っていますが、2・3か月前にどこかの記事で紹介されていたので買っておいて、大晦日・正月にようやく読むに至りました。

舞台は「御一新」から10年後の根津遊郭武士という身分を失い、出自を隠して根津遊郭の美仙楼で客引きとなった定九郎。苦界に身をおきながら、凛とした佇まいを崩さない人気花魁・小野菊。美仙楼を命がけで守る切れ者の龍造。噺家の弟子という、神出鬼没の謎の男・ポン太。御一新前に長州から江戸に来て、賭場で働く山公。変わりゆく時代の中で急に「自由」という新語を突き付けられて持て余している市井の人たちの情景が、空虚な日々を過ごす定九郎の視線を通して浮かび上がってきます。

定九郎は元武士とはいえ、大した家柄でもない家の次男坊で、出来の良い兄と比べられて不貞腐れて家を飛び出してしまうような放蕩者なので、「武士」という身分を失ったこと自体にはそれほど執着も持たず、職を失って不満を明治政府にぶつけて反乱を起こす元武士たちを人ごとのように感じている一方、「自分は廓の立ち番で終わるつもりはない」と思っていて、かといってでは何をするのか、どう生きていくのかということは分からないまま結局ぼんやりと適当に仕事をしながら日々を過ごしていきます。正体不明のボン太に付きまとわれ、また以前吉原で一緒に番頭をしていた吉次に脅されて花魁・小野菊の「足抜け(と見せかけた転売)」の企みに巻き込まれていきます。そこには小野菊とボン太の策略も錯綜します。

物語の中心はこの小野菊を取り巻く陰謀なのですが、やはり読みどころは定九郎の心情の動きですね。時代設定とかは全然違いますが、ちょっと『若きウエルテルの悩み』みたいなぐちゃぐちゃとした悩みに通ずるものがあるように思いました。と言って分かる人はそんなにいないかもしれませんが。

定九郎は他人の機微には疎いので、彼を取り巻く人たちの心情は彼がその人たちから聞いた言葉を通じて想像する以外ないのですが、私が味わい深い人物だなと思ったのが、美仙楼を仕切っている番頭の龍造です。かなり無愛想で厳しく、決して友達になりたいような人物ではないのですが、履物からその人物の経歴まで分かってしまうという素晴らしい観察眼を持っています。定九郎は物語の最後の方でこの龍造の観察眼を通して自分を初めて客観的に見つめることができ、救いというほどではないですが、自分という存在を受け入れられるようになったようなところがあります。そしてポン太の残した謎めいた言葉を咀嚼して理解する余裕も出てくるといいますか。

ポン太は「水底で人の目には留まらなくても、砂粒は常に動いて時の跡を刻んでいる」というようなことを定九郎に語るシーンがあり、それがこの作品のタイトルの「漂砂」になっていて、まさにその砂粒のような一般的には取るに足らない人物たちの生きざまを指していると解釈できます。そこに日本的な無常感も見いだせるかもしれません。

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