わくわく記録帳

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ワンダフルな恋=コミュニケーション⁉ ~なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?

2018-11-29 07:25:27 | ドクショ



WSD(ワークショップデザイナー)仲間であり、尊敬するファシリテーターでもあるザキさんが書かれた「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」。
一気読み。はじめてザキさんのワークショップに触れたときもそうだったけど、なんていうんだろ?体の底からじわじわっとくる手ごたえや温かさがあって、いろんな人に知ってほしい!という気持ちが沸々と湧いてくる、そんな本だった。


ザキさんは、会社員時代から長く「対話型鑑賞」を実践なさっていて、ビジネスパーソン、学生、子ども・・・さまざまな人に向けてワークショップや研修を行っている。その知見と思いが詰まった1冊。


ここからは、わたしのリフレクションも兼ねただらんだらんな記録です(汗)


アート作品を見ることがなぜ研修になるのか?いろんな意味付けはできると思うし、本の中で紹介されているワークを行うことで身に着く力はあると思う。けど、合目的的に「対話型鑑賞」を体験するのってなんだかもったいない気がしてならないのです。


ワークショップを体験すると、それが自分にとって新しい体験だったり、思いもよらない発見や感覚があったりすると、「やる側」に回りたくなる。新しいネタを求めてワークショップやセミナーに精力的に参加する人も少なくないと思う。もちろん、わたしにもそういう側面はある。


けど、これが何の役に立つのか、どんな力がつくのか、今のワークにはどんな意味があるのか・・・そんなことを考えずにただただその時間、そのワークを味わいたい。そう思わせる何かがザキさんのワークショップ(ファシリテーション)にはある。


わたしが「対話型鑑賞」が好きな理由は、いくつかあって、無理にしゃべろうとしなくてもいいこと、他者の発言を聞くだけでもいいこと、そして何より同じものを見て話すこと、これが一番大きい気がする。


1枚の絵を見て何を感じたか、どう思ったか?という「解釈」を語ることが対話型鑑賞でもあるんだけど、解釈っていうのは人それぞれ違う(別の言い方をすれば価値観みたいなものかも)。じゃあ、解釈はどうやって生まれてきたのか?というと、絵に描かれている「事実」から導き出されてきたってこと。絵に描かれている「事実」は誰にとっても同じだけど、それをどう見るか?は人によって違う。赤いリンゴが描かれていたとしても、「おいしそう」と思う人と「毒が入っているかもしれない」と思う人と、ここにりんごが描かれている理由を考える人などなど様々だ。なぜそう思ったのか?それを絵に描かれている事実(要素)から紐解いていく思考の旅がおもしろいんだよなぁ。


こう書くと、対話型鑑賞は思考のプロセスを詳細化していくことができるから、思考力を養うのに役立ちそうだ、とか、絵の細部を見ていくから観察力がつきそうだ、とかすぐに考えてしまいがちなんだけど、そんなことを考えずに味わいたいのだよなぁ。


そして、対話型鑑賞におけるファシリテーターの関わり方がまたステキ。本の中で、「自己主張しない研修講師に初めて会いました」と感想をもらったと書かれていたけど、ザキさんのファシリテーションは本当に心地よい。自己主張はしないけど(笑)、だからといって個性がないとか、なにやったかわかんない、みたいなこともない。


対話の場におけるファシリテーターの役割って、参加者同士が相互に対話ができるように問いを投げかけ、参加者同士が学び合う、対話し合うようになったら姿を消すくらいがいいとされている。ファシリテーター⇔Aさん、ファシリテーター⇔Bさんではなく、Aさん⇔Bさんの対話がなされていることを目指す。
対話型鑑賞では、ファシリテータ―は発言の交通整理役として介在する。一見、ファシリテータ―⇔Aさん、ファシリテータ―⇔Bさんの構図のようにも見える。でも、AさんとBさんはお互いの発言の中から何かを感じとって学んでいる。AさんとBさんは直接的には対話をしていないかもしれないけど、発言を聞くことで、何かを感じ、考える。これこそがコミュニケーションであり、対話なのかもしれない。


(こんなイメージね。)


それってなんでだ?
1枚の絵、同じ対象物を見て話をしているから。そして、問いが具体的で、絵=対象物から離れないから、な気がする。


これが、人の話を聞いて感想を言い合いましょう、的な問いだと、どこを切り取るかは人によってまちまちで、一見、対話が促進されているように見えても、その実、違いを知ったり、発見や学びは少ないのかもしれない。


「学び」ってなんだ?
この問いに対する答えは難しい。けど、ひとつ答えを出すなら、思い込み=これまでの価値観を壊す、外す、ことなのかもしれない。思い込みの覆いを外すのは他者であり、自分もまた相手の覆いを外す他者である、ってことを対話型鑑賞では教えてくれる。


自分のモノの見方を疑って、じっくりと見てみるってことが大切で、それをこの本の中では「ワンダフルな恋」と言っています。アート作品のことはわからなくてもいい、でも、じっくりと見続けることでアート作品と自分との間に恋が生まれ、コミュニケーションが続くんだって。なんだかとっても素敵でドキドキしちゃうよね。


美術館に行きたくなっちゃう、画集をじっくり見てみたくなる、そしてザキさんに会いたくなる(笑)、そんなご本でした。


ザキさん、ステキな本を世の中に送り出してくれてありがとうございますー、多くの人に届きますように。




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2 コメント

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恋する絵本 (ひろよん)
2018-11-29 18:15:11
ビジネスリーダーとアートの関係は、昨年位からずっと気になっていて、「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」「世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること」の2冊も読みたいと思っていました。
紹介されている本、読みたいと思います。
あとで・・なんて、言ってる暇はありませんね(笑)

絵を観る事、ブログに書いていただいたことを読むと、それは私が絵本で研修を行っていることに繋がっていると考えます。
本ブログもじっくり読んで、本も読んで、楽しみたいと思います。

追伸
なぜか、FBにコメントできませんでした。
Unknown (ひめ)
2018-12-04 21:54:06
ひろよん、コメントありがとうございます!

ひろよんの研修、参加者のみなさんにどんなメッセージが伝わっているのか、どんな受け止め方をなさっているのか、とっても興味あります!
絵本における「絵」って挿絵(添え物)なんかではなくて、もうひとつのストーリーくらいに重要なものなんじゃないかなーと思います。
大人の悪い癖で(汗)どうしても文章を読んで内容を理解しようとしちゃうんですが、絵をじっくり見ることで違う物語が生まれてくるかもしれないですよね。

「世界のビジネスリーダー~」はまだ読んでないので、チェックしなくちゃ!

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