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ひとつすっきりして、またひとつもやもやを持ち帰る~「ワークショップをとらえなおす」読み語り会

2018-12-04 21:43:17 | オトナの学び



今年の夏に飛行機の中で興奮状態で一気読みした加藤先生の「ワークショップをとらえなおす」。
ちょっと涼しくなったころ、WSD仲間のうらりんの「この本で読み語り会するって言ったら来る?」というつぶやきに反応して、ほんとに読み語り会が開催されちゃった。しかも著書の加藤先生までいらっしゃるという超スペシャル豪華な会に行ってきました。


この本は、かれこれ20年近く前、はじめて「ワークショップ」というものに出会った長岡先生と加藤先生が「ワークショップがやりたい!」「何かやろう!」とゼミ生たちと宿泊型のゼミ合宿?ワークショップ?を実施した報告書が出発点なんだそう。
まだ、「ワークショップ」という言葉がなかった時代。あったのかもしれないし、既に「ワークショップ」をやっている人はそこかしこにいた時代。それから約20年経って出版されたわけだけど、20年も経てば考え方も変わるし、ワークショップを取り巻く環境も変わる。何よりも「ワークショップがやりたい!」という思い自体が「そうは言ってもワークショップってツールだから、ワークショップやりたい!ってどういうこと?」と自分で自分を否定するような感じでもある。加藤先生曰く「終わらない宿題」をやっと片づけた、そんな感じなんだって。


昨日の読み語り会では、いろんな話が出た。その場で結論が出ることなんてなくて、著者である加藤先生から「答え」がもらえるわけでもない。フルスロットルで頭ん中で考えて、たくさんのことを学んで掴んで、そしてもやもやもさらに増幅させて帰ってきた、そんな場でした。


会の中でかなりの時間をかけて語られたワークショップの「質」というお話。
質と言ってもいろいろあって、提供するワークショップの質を担保するということ、でも、それって、いつなんどき誰が対象でも同じことができるってこと?でも、それってマンネリというか、ある型の中に収まってしまうってことじゃない?ファシリテーターの質なの?ワークショップ≒コンテンツの質なの?参加者にとっての質ってどういうこと?などなど、ほんとうにいろんな話が出た。


質ってことに関連して、わたしの中で腑に落ち切れていないのが「場数」ってこと。
確かに場数は必要だし、グラレコ講座では「場数だいじです!」と言っているけど、でも、相手があるワークショップを、ファシリテータ―の場数のために開催するってありなんだろうか?ともやもやもやもや。
これはいいワークショップだ!だから体験してもらいたい!わたしはファシリテーターとしては初心者だけどみんなに知ってもらいたいからやらせて!っていう論法なら納得するんだけど(ワークショップに出会った頃のわたしがこんなだったw)、コンテンツの使い手になるために、人を集めて場を作るっていうのがどうにも腑に落ちない。
この人にどうなってほしいか、そのために〇〇っていうコンテンツが必要だ、だからやる。ファシリテーターとして未熟であったとしても、目的がちゃんと握られているから、技術の未熟さはカバーできると思う、そうやって場って作られていくんじゃなかろうかと。そんなことを日々つらつらと考えていたわけです。


昨日の会で、この疑問、もやもやに明確な答えを得たわけではないけど、ひとつすっきりしたのが、ワークショップやる人にとって領域を問わず普遍の力ってどんなことだろう?という問いに対して、観察することじゃないかな?という話。
ヒアリングやインタビューなど「聞く」ことだけではわからないことがあるし、参加者その人自身を見ていくってこと。それはやっぱりワークショップは相手があって成り立つことだし、他者との関係性の構築であったり変化であったりが、ワークショップの神髄なのだから、コンテンツも大事だけど、人を見るってことがやっぱり何よりもだいじなんだよなーと思う。
その力(観察する力)ってどうやったら身に着くか?って言ったら、場数じゃないのかもしれないね。その場での集中力や深くかかわろうとする覚悟や責任だったり、五感を研ぎ澄ませてその場にいることであったり。そうなると「まずは100回」みたいな指標はそんなに重要じゃない気がする。


今から10年くらい前に、はじめて加藤先生にお会いして、墨東大学や自画持参などいろんなワークショップに参加した。いつもその場は楽しいんだけど、なにかしらもやっと、ざらっとしたものをおみやげに持って帰る、そんなワークショップだった。そして、もやっと、ざらっとしたことを、なんとか解消、咀嚼、消化したくて、あれこれ振り返ってみたり、意味づけしてみたり、ワークショップが終わったあともずーっと活動が続いているようなそんな感覚だった。長岡先生もそう。その場は楽しいし、なんだかわかった気になるんだけど、帰り路で「で、いったいなんだったんだ?」「あのときのあれはどういう意味だったんだろう?」ともやもやの絶頂になる。それが、わたしのワークショップの原点なんだなー。
昨日の読み語りの会に参加して、久しぶりにそんな感覚を味わった。そう、ひとつすっきりして、また別のもやもやが生まれた、そんな感じ。そして、そのもやもやをしつこく内省して、言語化しておきたい、そんな衝動に駆られております。


(たぶん、この本を興奮状態で一気読みしたのも、同じ感覚なんだと思う。読んでるときは、「そうそう!そうなんだ!」と明快に感じたことが、あとから「あれ?」となる。その「すっきり⇔もやもや」の往来がわたしをフローに持っていったのかもしれない。)


SNS慣れして、すっかり長文が書けなくなってしまったので、今日はこのあたりでw
昨日の読み語りの会ではあと2つくらい書きたいトピックがあったので、しつこく内省してまたブログ書こう。


あらためて、つぶやいてくれたうらりん、加藤先生、ご一緒したみなさん、本当にありがとうございました。

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