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川上未映子『あこがれ』その2

2017-02-24 05:48:00 | ノンジャンル
 昨日、横浜市民ギャラリーへ『マグナム・シネマ』という、ロバート・キャパらが作っていた写真家集団マグナムが撮った映画撮影の現場の写真展を見に行き、ジャン・ルノワール、ロッセリーニ、オードリー・ヘップバーン、トリュフォー、ゴダール、ミケランジェロ・アントニオーニ、そして老年のチャップリンを見ることができたのですが、同時に開催されていた『映画の中のヨコハマ』という展示で、日活映画の予告編も上映されていて、そこで中原康監督の『月曜日のユカ』を見ることができ、当時の加賀まりこさんの素晴らしさに度肝を抜かれました。また、先日亡くなられた鈴木清順監督の作品に出演していた、高橋英樹さん、渡哲也さん、二谷英明さん、和泉雅子さん、山内賢さん、川地民夫さんらの当時の若い姿を見ることができ、これも何かの因縁なのかなあ、などと思いました。

さて、昨日の続きです。2つ目の中編『苺ジャムから苺をひけば』も冒頭の部分を引用させていただくと、
「わたしは、後悔している。(中略)
 ことのはじまりはこう。
 水曜日の五時間目はパソコンを使っていろんなことをしてみようという時間なのだ。(中略)
 あと半年で卒業するわたしたちは、二学期いっぱいを使って六年間の思い出がつまった雑誌みたいなものを作るということになっていて、みんなけっこうはりきっていた。(中略)みんなの写真のページを担当する班、みんなの作文を集める班、これまでの行事をまとめる班、というふうに班ごとに役割があるのだけれど、わたしの班は、この六年間のあいだに社会で起きた大きな出来事についてまとめるということになっていた。
 わたしを入れて女子が三人、男子も三人。班長はリッスン。(中略)
 この六年間にはもちろんいろいろなことがあった。(中略)
 わたしたちはノートを広げて、パソコンでは世界中の出来事がぱっとわかるようなページをひらいて、どの出来事をとりあげるかを話しあった。でも、六年前というのはいったい何年なのだ? 2009年? 2010年? そんなことすらすぐにわからないような始末だった。(中略)
 そうするともう、なんだかみるみるうちにやる気がゆるんで、みんなすぐにちがうことをやりはじめた。(中略)
 そんなふうになんとなく時間だけすぎていって、あと十分で終わりというときに、さっきからずっとパソコンのまえに座っていたリッスンがわたしを呼んだ。なに、と言いながらリッスンのほうへ歩いていくと、リッスンは、ほら、というように画面に目をやった。そこにはリッスンとリッスンの弟が大きな口を開けて、すいかにかぶりつこうとしている写真が映っていた。
『これ、うちのママがやってるブログ(中略)ヘガティーのとこはやってないの』
『やってないよ』(中略)
『でも、ヘガティーとこのお父さんって有名なんでしょ』
『有名じゃないよ』
『だってママが言ってたよ』
『有名じゃないって』わたしはちょっといらっとして言った。
『検索したら、いっぱい出てくるんじゃない? したことある?』
『ないよ、何もでてこないよ』
『おれやってやるよ』
『いいよ、やめてよ』(中略)
『でた、これヘガティーのパパ』
『このページにのってるってことはやっぱ有名なんだよ(中略)映画、これなんて読むの』
『ひょうろん、評論家』
『それって、どういうあれだっけ、本とかそういうの書く人だよね(中略)
『みてみ、なんかめっちゃ本の名前ある、これヘガティーのお父さんがぜんぶ書いたの』
 なんて三人で勝手なことを言ってうれしそうに笑っていたけど、わたしはぜんぜん笑う気持ちになれなかった。(中略)
 すると何か思いだしたみたいにとつぜんチャイムが鳴って、教室のなかがざっと騒がしくなった。(中略)さっきまでパソコンのまえにいたリッスンは、ごめんヘガティー、パソコン切っといて、なんて言い残して、ほかの男子と飛びだして行ってしまった。
 誰もいなくなったパソコンのまえに座ると、さっきリッスンたちがみていた画面がそのままになっていた。お父さんの名前、生年月日、写真もある。それから、いろんな説明が書かれてあった。そしていつもならそんなことしないのに、どうしてなのか------わたしはなんとなくマウスで画面をかちかちと下げていって、そこに書かれてあることを読んでみようという気になった。(中略)ふうん、というような気持ちでなんとなく読んでいると、思わず、えっ、という声が出た。それからもう一度、えっ、と言って、そこに書かれてあった文章からわたしの目は離れなくなってしまった。

------2003年4月、女児誕生。妻とはのちに死別。なお、前妻とのあいだにも一女をもうけている。」
 
 このあと、ヘガティーは、親友で『ミス・アイスサンドイッチ』の主人公だった「麦くん」たちの協力を得て、姉一目見たさに住所をつきとめ、「麦くん」に付き合ってもらって会いに行き、ついこちらから「妹です」と告白してしまい、家に招かれ、ケーキまで御馳走になりますが、やがてすべてが出来レースであることを知り、「麦くん」にも「嘘つき!」と言って、駆け出すと、涙が止まらなくなります。その夜、「わたし」は自分が幼い時に亡くなったお母さんに「会いたいな」と手紙を書き、気持ちの整理がついた「わたし」はまた穏やかな日常に戻っていくところで、小説は終わります。

 こちらの方でもマイケル・マン監督の『コラテラル』への言及があり、また「難しいこととか、いやなこととか、それはもういろんなことがわあってふえてくるんだろうけど、(中略)こっちだって、そうじゃないところに自分でさっといけるようになるんだ」という趣旨の文がありました。書かれつつある文を味わうという点ではオースターの小説を読んでいるような錯覚に陥り、胸にぐっとくる場面もいくつかありました。文句なしの傑作だと思います。

川上未映子『あこがれ』その1

2017-02-23 05:30:00 | ノンジャンル
 今朝の朝日新聞に鈴木清順監督の訃報が載っていました。『けんかえれじい』、『殺しの烙印』がすぐに思いだされますが、それ以外でも『東京流れ者』、『野獣の青春』、『河内カルメン』、『春婦傳』、『悪太郎』、『刺青一代』、そしてもちろん『ツィゴイネルワイゼン』など忘れがたい傑作を多く残してくれた映画監督です。私も生前、地下鉄丸ノ内線で、真正面の席に鈴木監督が座られているのを見かけたことがあり、何かしら因縁を感じた監督でもありました。心からご冥福をお祈りいたします

 さて、川上未映子さんの’15年作品『あこがれ』を読みました。『ミス・アイスサンドイッチ』と『苺ジャムから苺をひけば』の2つの中編小説からなる本です。
 『ミス・アイスサンドイッチ』の冒頭の部分を引用させていただくと、
「フロリダまでは213.。丁寧までは320。教会薬は380で、チョコ・スキップまでは415。四十代まで430、野菜ブーツはいつでも500。512は雨のお墓で、夕方、女子がいつもたまってる大猫ベンチは607。
 話しかけられると数がわからなくなってしまうから、ぼくはいつもうつむいて、できるだけ誰とも目をあわさないように、白い線のうえを歩いてゆく。ときどきひび割れてときどきとぎれる線のうえを、規則正しく、かくじつに、ぼくはスニーカーの靴底をぴったりつけてリズムをふんで歩いてゆく。731で記念品。820でウェナミニ、ウェナミニ。880で大作家。912でフランス人。ここからうんと人が多くなって、自転車が未来のヤギみたいにならんでいる。
 自動ドアから出てくるのは食べ物を入れてずっしりした白いビニル袋を両手にもって、これからきっと家に帰る人たちだ。だいたいは大人。五人にひとりは白くて頭が緑のネギを買っていて、はちきれそうな底もある。あそこに入ってるもののほとんどが誰かの口に入っていくんだなと思っていると、こんばんは、こんにちはって、急に声をかけられてはっとする。ぼくも挨拶をなげかえす。ぶつからないように人をよけて、じゃがいも帯までは930。そしてミス・アイスサンドイッチまでは、いつだってちょうど950。

 そこで売ってるいちばん安いサンドイッチは卵のやつで、ぼくはふたつ入ってるけどすごく薄っぺらいそれを、毎日か、それか二日に一度は買いにくる。(中略)もちろんぼくはサンドイッチがすきだというわけじゃぜんぜんないし(中略)それにぼくはあんまりお腹がすかない。給食も半分くらい食べるともういっぱいになってしまうから、そのせいでぼくの腕も足も細いままで身長だってうまく伸びないのかもしれない。でも食べられないものはしかたないし、ママがそのことで悩んで学校に相談に来たり、ぼくを先生にみせたりしたのは気がつけばもうずっとまえのことになっていて、最近はもう忘れちゃったというか、あきらめたというか、たんに時期がすぎたっていうのか、まあそんな感じ。(中略)
 駅前には薬局と踏切と、このスーパーぐらいしか夜には光る場所がない。(中略)ミス・アイスサンドイッチはひとつしかない入口からみて何台かならんだレジの左のちょっと奥にある、まるくて大きなガラスケースのむこうでいつも驚いたのとつまらないのをまぜたみたいな顔をして立っていて、お客さんにサンドイッチとかサラダとか、パンとかハムとかそういうのを売っている。
 ミス・アイスサンドイッチっていうのは、もちろんぼくがつけた名前で、それはミス・アイスサンドイッチをみた瞬間にぱっと決まった。
 ミス・アイスサンドイッチのまぶたはいつもおんなじ水色がべったりと塗られていて、それは去年の夏からずっと家の冷蔵庫に入っていて誰も食べなかったかちかちのアイスキャンディーの色にそっくりで、それで毎日あそこでサンドイッチを売ってるからで、でもミス・アイスサンドイッチはそれだけじゃなくて下を向くとそのふたつの水色のうえにマジックで描いたみたいな、まるで目をつむってからもうひとつ目を描こうとして途中でやめにしたみたいなくっきりした黒い線が入ってる、すごいまぶたの持ち主だ。そしてふつう前をむくとそれがぐんとなかにのみこまれて、目が、すごくすごく大きくなるのだ。(中略)
 はじめてミス・アイスサンドイッチを見つけた日はママと一緒だったんだけど、ママ、あの人の目をみてよ! と驚いたぼくの声にママは聞こえないふりをした。そしてぜんぜん関係のない話をしながらレジをすませてスーパーを完全に出たあとで、やめてよ、聞こえるじゃない、そういうこと言わないでよ、と面倒くさそうに言うのだ。(後略)」

 この後、幼い頃に父に死なれた「ぼく」は同じく、幼い頃に母に死なれた同級生の女子ヘガティーと仲良くなり、彼女がマイケル・マン監督の『ヒート』における銃撃戦に夢中になっているのを知り、クラスでミス・サンドイッチの悪口を言う女子がいるのを知った「ぼく」が、彼女に会いにいくのをやめたことを知ったヘガティーは、「ぼく」にミス・サンドイッチに会いに行くようにアドバイスし、「ぼく」が描いた彼女の笑顔の絵を彼女に贈り、彼女の夢を見るという話になっていきます。その中でヘガティーは「人って、いつぽっかりいなくなっちゃうかわからないんだからね」「わたしはね、『できるだけ今度っていうのがない世界の住人』になったんだよ。いましかないんだ、ってね」と言います。終わりはおばあちゃんの葬式の場面ですが、とてもすがすがしい終わり方になっています。(明日へ続きます……)

加藤泰監督『人生劇場 青春・愛欲・残侠篇』その4

2017-02-22 04:37:00 | ノンジャンル
 昨日の東京新聞に「今年がロシア革命の100周年にあたり、トランプの主席戦略官のスティーブン・バノン氏がレーニン主義者を自称している」という面白い記事が載っていました。興味のある方は是非、ご覧ください。

 さて、昨日の続きです。
 飲み屋。吉良常「一緒にどうです? 三州に帰るってのは?」瓢吉「そうしよう」「ありがてえ。一晩でも一緒に旅ができる」。吉良常、去る。
 吉良常「そうですかい。小説を書くために上海に。てっきり食い詰めたと思いました。つくづく世の中が嫌になりますね。ヤクザが暴力団と手を結び。大旦那はいいい時に亡くなった。辰巳屋は料理屋になりました。三平が主人です。大旦那に使われてた下っ端が」「変わるもんだね、世の中は」「瓢吉!」「酔っぱらってんのか? 止めなさい」「情けない。御新造さんは今も瓢吉さんの帰りを待っていなさるんですよ」「常さん、飲めよ」。
 “昭和二年・秋”の字幕。飛車角が出所。迎えに来ていた吉良常は小金組が皆殺しに会ったことを告げ、宮川とおとよのことも話す。「おとよは今は行方知らず、家では宮川が待っている」と吉良常。
 宮川「兄貴、申し訳ねえ」飛車角「大声で笑ってしまえば、それで済むことだ」吉良常「もうこの話は打ち切りだ。3人で飲みましょう。角さんの出所祝いだ」宮川「じゃあ酒買ってくる」。宮川、去る。飛車角「小金の親分には義理がある。俺もお供させてもらう」吉良常「とっつぁんに報告しましょう」。
 夕暮れ。刀持った3人。風。主題歌がバックに流れる。
 殴り込み。「デカ虎、出て来い!」。デカ虎は女と風呂にいる。馬のいななき。宮川、デカ虎を斬り殺すが、自分も手下に斬り殺される。「死んじめえやがった。馬鹿野郎」と慟哭する飛車角。
 “青成瓢吉出版記念会”の看板。早稲田の校歌。黒馬先生もいる。そこへ「キラツネキトク」の電報。
 “三州・吉良港”の字幕。吉良常「うるさくて、寝てられねえ。昼間から芸者遊びなんかしやがって。今日は調子がいい。若旦那の出迎えに行きてえな」。そこへおとよが現れる。見つめ合う飛車角とおとよ。おとよを殴り、去る飛車角。
 雪降る海岸。おとよ「待って。生きてたのね」「宮川は死んだぜ。小金親分の仇を取って」。海の中へ向かって歩いて行くおとよ。それを止める飛車角。「この8年間お前の顔見たさにどんな気持ちで生きてきたか」。ヤクザらが現れて、2人を囲み、「やいやいやい」。飛車角「おとよは俺の女だ」。乱闘。「~の身内だぞ。常にそう言っとけ」おとよ「お前さん、うれしい」「ここで別れよう。お前には俺の気持ちは分かりっこねえ」。
 「常さん」「若旦那、本当によく来てくださったねえ。これでいつ死んでも」「何言ってんだ」「寿命は自分で分かるもんです」
 お袖「お久しゅうございます。ご病人、いかがです?」肘鉄(谷村昌彦)「~の女将さんですよ」「5年前に東京を飛び出て、ここで芸者」吉良常「ああ、おめえさん、あの時の」「どこって?」「言いっこなしよ。これも縁ね」「若旦那にまたお叱りを受けるかもしれねえんですが、頼みがございます。これで大旦那の墓を建ててください。常はこれでも男になろうと思って」「常さんは俺たち一家を一生支え続けてくれたんだ」「若旦那の帰りを御新造さんにもお知らせください。お喜びになります」お袖「常さんはとりあえず私の家へ」。
 運ばれる吉良常。(中略)
 汽車。
 瓢吉「常さん、分かるかい? おっかさんも来てくれたよ」「御新造さんのこと、頼みます」「分かってる。常さん。(お袖を紹介して)おっかさん、この女将さん、学生の頃からの知り合い」お袖「ずっと前連れて来ていただきたいと言ったこともあるんですよ。お父様が亡くなられた時」母「このガマ口の? うれしいお土産でした」おとよ「あのー、ちょっと失礼します。もう一度だけ、あの人に会いたくて」「あんたのこと心配して、また海の方へ行ったわよ」。
 おとよと飛車角。波しぶき。
 瓢吉「苦しいかい?」吉良常「夢を見てました。大旦那の。じっとこっちを見て立っている。声をかけても、どんどんあっちへ歩いていってしまう。どうしても追いつかない」「それでうなされていたんだねえ」「大旦那、浮かばれてないんじゃないですかねえ?」瓢吉「お墓のことは心配しなくていいって。皆が皆浮かばれないことってあるかい?」「若旦那、吉良の二吉、だんだん楽しくなってきました。角さん、一緒に歌わねえかい?」。浪花節をうなり出す吉良常。そしてばったりと倒れる。皆泣く。瓢吉だけ神妙な面持ち。立ち上がり「常さん、そのうちお母さんと一緒にそっちへ行くからね」。瓢吉の顔のアップで映画は終わる。

 ワンシーンワンショットが多用されていました。出て来る男女の男っぷり、女っぷりが皆いいという映画も珍しいんじゃないでしょうか? 特に田宮二郎の吉良常が良かったと思います。

加藤泰監督『人生劇場 青春・愛欲・残侠篇』その3

2017-02-21 05:52:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 “大正十一年・夏 東京・浅草”の字幕。女郎の化粧をするおとよ。泣き出す同僚に「めそめそしないの!」「子供のこと、思い出しちゃって。息子も亭主もいるのよ。17歳の時に結婚して」「しっかりおし。こんな商売、借金返せば自由になれるんだから。私なんか好きな男がムショに入っちゃってて」。女将「おとよさん、この人、お蝶さん。いろいろ教えてあげえてね」。「よろしくお願いします」とお袖。『文藝日本』を持っていたお袖は、本を落とすと、瓢吉の小説が載っているのが分かる。
 女郎街。宮川と連れの男。「ちょっとお兄さん、寄ってらっしゃいよ」。連れの男は女を気に入り、無理やり宮川も店に引きずり込む。「お姉さーん、早く。お客さんよ」。出て来たおとよと宮川、体が固まったように見つめ合う。おとよ「いらっしゃい」。
 「随分ひさしぶりね。今日はゆっくりしてって」「観音様を拝みに来ただけだ」。おとよ、宮川の財布から金を抜いて「決まりなの」。上半身裸になった宮川。背中の刺青をなでるおとよ。
 帯を解き、明かりを消して服も脱ぐおとよ。真剣な目で宙を見つめる宮川。「ねえ、遊ぼうよ。ここは男と女が遊ぶところよ」。宮川、おとよを抱く。おとよ、全裸になり、宮川に抱かれる。
 雨。ムショ。飛車角に面会に来る吉良常。「小金の親分とデカ虎の奴が対立してる。おとよから便りはあるのかい?」「へえ、浅草の深野って店に落ち着いたらしい」「角さん、これ差し入れ」と衣類を渡し、「寒いから体だけは気をつけて」と言う。「ありがとうござんす」と飛車角。
 よがるおとよ。刺青にキス。口にキス。
 お袖「私のいい人紹介するわ」。いびき(笠智衆)。「これがあんたのいい人?」「私のいい人の中学時代の先生。ああ、そんなところで寝ちゃったら、風邪をひくわよ」と毛布を黒馬先生にかけるお袖。「どうしてんの、あんたのいい人?」「あんたこそ、本気で惚れちゃったんじゃないの?」。
 宮川「飛車角が出て来たら、全部言う」男「別れろ」「どうせ売った買ったの女だ」「本気で言ってるのか? やるんならやるぞ!」と男、短刀を出す。吉良常現れ、男を押しとどめる。男「もう言うな。分かったよ。角の女なんかどうでもいい」「短気になるなよ。今日は大晦日だ。飲み直そう」。宮川「一人で考えたい」。
 吉良常、おとよに会いに行く。お袖「おとよさん、先客があるの。にくらしいわ、がっかりして。どうすんの」「どうしようか?」「そうする?」「その代わり(ヒソヒソ話)」「馬鹿、スケベ」。
 宮川、おとよに「今夜2人で逃げよう」おとよ「私もこんな気持ちで商売できない。覚悟は決めた」「金はなんとでもなる。10時に抜け出して、“たぬき”っておでん屋で会おう」。おとよが部屋から出ると、お袖「悪いけど、今の話聞こえた。あとでゆっくり話そう。女将さんと~。少しうきうきしなさいよ。気どられないように。会いたいってお客、来てるわよ」。
 おとよ「お待ちかね」吉良常「角さんから便りはあるのかい?」「あんた、誰?」「ちょっとした知り合いだ。3月前に会って来た。なあ、角さんお前のこと心配してるぞ。一度会いに行ったら? 話によっては後始末をするぜ。体を自由にしてあげようってことよ。角さんには惚れた。何か役に立ちたい。どうせこれは上海で稼いだあぶく銭だ。名乗るほどの者じゃない。(ふさぎこんだおとよを見て)どうしなすった?」「私、そんな資格ないんです。私、あの人に会わす顔がないんです」「まさか他の男に惚れたんでもあるまいし」「それが……」。厳しい顔で酒をあおった吉良常は「とんだお邪魔」と言って去る。泣き出すおとよ。
 “たぬき”の看板。瓢吉「シナに行かないかと出版社から言われている」黒馬先生「断固行くべし。文学は度胸だ」。脱出してきたおとよとお袖だったが、お袖は店内に瓢吉がいるのを見つけ、「まだあの人、来てないわ。もう一回りしてこよう」とおとよに言う。おでん屋の片隅でヤクザが「さっきデカ虎の親分が小金を殺った」と話している。それを聞いた宮川は店を飛び出す。
 車で急行する宮川。
 殴り込みを受けた直後の現場。死屍累々。突っ伏して死んでいた親分をあお向けて抱く宮川。
 おでん屋で酒を飲むお袖と、うなだれるおとよ。お袖「このままどっか行っちゃおうか? 2人で逃げるんだから筋書通りじゃない? 落ちるところまで落ちたんだから。行こう。行こうよ」。
 雪。お袖「うわー、寒い。走ろっか? 私たち逃げてるのよ」。お袖が笑い、おとよもようやく表情が緩む。
 “大正十二年・夏 上海”の字幕。瓢吉、日本人が殺された現場に出くわす。「ここじゃ日本人は目の敵だ」。中国人たちの目、目、目。吉良常、ルーレットをしているが、隣でトランプ賭博をしている白人がイカサマやっているのに気づく。その場を去った白人を襲い、現金を奪う吉良常と出くわす瓢吉。「若旦那じゃありませんか?」「やっぱり常さんだね」。(また明日へ続きます……)

加藤泰監督『人生劇場 青春・愛欲・残侠篇』その2

2017-02-20 04:35:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 昼間。チンドン屋。奈良平の家。奈良平の妻「あーら、角さん」「兄貴は?」「もう帰ってくる頃よ。おとよさんが来てたのよ。昨夜は私と一緒に寝たわ。おとよさん、泣いてた。うちの人が横浜に送っていったわ」奈良平「おーい、けえったぞ。何だ。おめえ、来てたのか」飛車角「話したいことが山ほどある」「こっちもよ」「今晩は御馳走ね。じゃあお刺身でも」と奈良平の妻は電話をかける。奈良平「落ち着いて話そう。何か誤解してるんじゃねえか?」「横浜に連れ戻したな?」「もうここもやばい」「何で俺に相談しない?」「暇がなかった。今頃知らない客に抱っこされてるだろう」。飛車角、奈良平を斬る。飛車角「大した傷じゃない」奈良平の妻「今日のところはお引き取りを」「お騒がせしやした」「あんた!」。奈良平の妻、泣く。
 虫が鳴く音。人力車から降りる照代(任田順好)。瓢吉、吉良常に照代を紹介する。「同人誌の仲間だ。借金取りから逃れるために、今晩はホテルに泊まる」。吉良常、帰る。照代「どういうお知り合い?」「切っても切れない仲だ」。
 吉良常、飛車角に「ちょっと。やってきやすったね。まあ上がんな」「水を一杯だけ」「喧嘩ならいいんですが」「会っておきたい女が横浜に」「球磨焼酎がありますよ」「それはいい」「落ち着いてる。大したもんだ。私、吉良の二吉と申します。おじきに紹介されました。2人ともいい名前だ。いっそ自首したら?」「人を殺すと5,6年はムショ暮らし。一生日陰者だ」「女って待っててくれるもんですかね?」。
 横浜に向かう飛車角。人力車から飛び降りるおとよ。「私のために人まで殺して」「どうしてここに?」「逃げてきたの。横浜に帰るとこ」「逃げよう。駅まで行って待ってろ」。刑事に捕まる2人。
 瓢吉、照代とキス。雨。“鳴戸館”の看板。「困ったわ。朝まで起きてるって言ったの」。瓢吉に押し倒されて「ダメ、ダメ!」。
 雨止む。朝。
 瓢吉、起きている。照代「もう起きてたの? 私眠ってなんかいない。どうしたの? 急に変なこと考えて。私たち、このままじゃ滅びるわ。急に寂しくなってきた。きっとあなたのことばかり考えて、小説のことを考えられなくなったからよ」「一緒にやって行こう」「誰かの代わりに私を抱いただけでしょう? 自分にも嘘をついてる」。
 吉良常、浪曲をうなってる。巡査(坂上二郎)が現れ、「君はどんな仕事をしている?」「渡世。侠客だよ」。そこへ瓢吉が現れ、吉良常「若旦那、お達者です」「常さんも」巡査「戸籍調べで寄らせてもらいまいした。失敬」と去る。ヒグラシの声。瓢吉「小説を書いて立派な人間になるつもりだ」吉良常「どうせなら大説で」。
 お袖が瓢吉の許へ。「お久しぶり」「何しに来た?」「会いたくなったから。いけない?」。同人誌の仲間の石上「青成、ちょっと」。2人になると、「君はお袖を知ってるのか?」「カフェで会って知ってる」「彼女からゆすられてる。たった3回で妊娠し、始末に500円払えって。頼む。100円なら出すから、そう言ってくれ」。
 瓢吉、ベッドで寝ているお袖に「もう起きろよ」「あたし酔った。今晩泊めて」「石上をゆすったんだって?」「当然の権利よ。どうしてそんな目で見るの? まだ一人だって聞いたから。以前のように私が稼いで、あなたを助けてあげたっていいのよ」「よせ。今は大事な時だ」「昔と同じことを言って」「仕事にならない」「ねえ、不思議だと思わない? 石上があたしとくっつき、あたしがあなたとくっつき、これはきっと因縁ね。あなたのこと、随分ひどい人だと思ってる。時々殺してやろうかとも。悲しくって」「もういいよ。今夜はそこで寝てろ。俺のねぐらはどっかで探す」「あーあ、またあいつと寝ちゃおっかなあ」。にらみつける瓢吉に「殴りなさいよ」。電話かかって来て、お袖が出る。瓢吉「どこから?」「照代って人から」。瓢吉、お袖を殴って出て行く。泣き出すお袖。
 おでん屋で、浪曲をうなる吉良常。「俺はヤクザのなれの果てだ」と言うと、カウンターの隅に座る男(笠智衆)も「わしも中学教師のなれの果てだ」と言う。やがてその男・黒馬先生は、瓢吉の先生だったことが分かる。黒馬先生「瓢吉に会いに行こう。ところで君、金あるのか?」「いいえ」「こうなれば落ち着こう。あんたが寝る。わしが先に出る。30分して起こしに来たら、君は『初めてあった男で、あの男の奢りで飲んでた』と言えばいい。うまくやれなければ無銭飲食になる。ムショは波の音、三味の音が聞こえて、なかなかいいものだぞ。じゃあ必ず迎えに来る」と黒馬先生は去る。女中、横になる吉良常に「ちょっと。ずうずうしいわね。起きてよ」「まだ30分も経ってないぞ」。向こうで警官に捕まっている黒馬先生「2人でホテルに泊まることになったぞ」。
 “休憩”の字幕。(また明日へ続きます……)