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川上未映子『あこがれ』その1

2017-02-23 05:30:00 | ノンジャンル
 今朝の朝日新聞に鈴木清順監督の訃報が載っていました。『けんかえれじい』、『殺しの烙印』がすぐに思いだされますが、それ以外でも『東京流れ者』、『野獣の青春』、『河内カルメン』、『春婦傳』、『悪太郎』、『刺青一代』、そしてもちろん『ツィゴイネルワイゼン』など忘れがたい傑作を多く残してくれた映画監督です。私も生前、地下鉄丸ノ内線で、真正面の席に鈴木監督が座られているのを見かけたことがあり、何かしら因縁を感じた監督でもありました。心からご冥福をお祈りいたします

 さて、川上未映子さんの’15年作品『あこがれ』を読みました。『ミス・アイスサンドイッチ』と『苺ジャムから苺をひけば』の2つの中編小説からなる本です。
 『ミス・アイスサンドイッチ』の冒頭の部分を引用させていただくと、
「フロリダまでは213.。丁寧までは320。教会薬は380で、チョコ・スキップまでは415。四十代まで430、野菜ブーツはいつでも500。512は雨のお墓で、夕方、女子がいつもたまってる大猫ベンチは607。
 話しかけられると数がわからなくなってしまうから、ぼくはいつもうつむいて、できるだけ誰とも目をあわさないように、白い線のうえを歩いてゆく。ときどきひび割れてときどきとぎれる線のうえを、規則正しく、かくじつに、ぼくはスニーカーの靴底をぴったりつけてリズムをふんで歩いてゆく。731で記念品。820でウェナミニ、ウェナミニ。880で大作家。912でフランス人。ここからうんと人が多くなって、自転車が未来のヤギみたいにならんでいる。
 自動ドアから出てくるのは食べ物を入れてずっしりした白いビニル袋を両手にもって、これからきっと家に帰る人たちだ。だいたいは大人。五人にひとりは白くて頭が緑のネギを買っていて、はちきれそうな底もある。あそこに入ってるもののほとんどが誰かの口に入っていくんだなと思っていると、こんばんは、こんにちはって、急に声をかけられてはっとする。ぼくも挨拶をなげかえす。ぶつからないように人をよけて、じゃがいも帯までは930。そしてミス・アイスサンドイッチまでは、いつだってちょうど950。

 そこで売ってるいちばん安いサンドイッチは卵のやつで、ぼくはふたつ入ってるけどすごく薄っぺらいそれを、毎日か、それか二日に一度は買いにくる。(中略)もちろんぼくはサンドイッチがすきだというわけじゃぜんぜんないし(中略)それにぼくはあんまりお腹がすかない。給食も半分くらい食べるともういっぱいになってしまうから、そのせいでぼくの腕も足も細いままで身長だってうまく伸びないのかもしれない。でも食べられないものはしかたないし、ママがそのことで悩んで学校に相談に来たり、ぼくを先生にみせたりしたのは気がつけばもうずっとまえのことになっていて、最近はもう忘れちゃったというか、あきらめたというか、たんに時期がすぎたっていうのか、まあそんな感じ。(中略)
 駅前には薬局と踏切と、このスーパーぐらいしか夜には光る場所がない。(中略)ミス・アイスサンドイッチはひとつしかない入口からみて何台かならんだレジの左のちょっと奥にある、まるくて大きなガラスケースのむこうでいつも驚いたのとつまらないのをまぜたみたいな顔をして立っていて、お客さんにサンドイッチとかサラダとか、パンとかハムとかそういうのを売っている。
 ミス・アイスサンドイッチっていうのは、もちろんぼくがつけた名前で、それはミス・アイスサンドイッチをみた瞬間にぱっと決まった。
 ミス・アイスサンドイッチのまぶたはいつもおんなじ水色がべったりと塗られていて、それは去年の夏からずっと家の冷蔵庫に入っていて誰も食べなかったかちかちのアイスキャンディーの色にそっくりで、それで毎日あそこでサンドイッチを売ってるからで、でもミス・アイスサンドイッチはそれだけじゃなくて下を向くとそのふたつの水色のうえにマジックで描いたみたいな、まるで目をつむってからもうひとつ目を描こうとして途中でやめにしたみたいなくっきりした黒い線が入ってる、すごいまぶたの持ち主だ。そしてふつう前をむくとそれがぐんとなかにのみこまれて、目が、すごくすごく大きくなるのだ。(中略)
 はじめてミス・アイスサンドイッチを見つけた日はママと一緒だったんだけど、ママ、あの人の目をみてよ! と驚いたぼくの声にママは聞こえないふりをした。そしてぜんぜん関係のない話をしながらレジをすませてスーパーを完全に出たあとで、やめてよ、聞こえるじゃない、そういうこと言わないでよ、と面倒くさそうに言うのだ。(後略)」

 この後、幼い頃に父に死なれた「ぼく」は同じく、幼い頃に母に死なれた同級生の女子ヘガティーと仲良くなり、彼女がマイケル・マン監督の『ヒート』における銃撃戦に夢中になっているのを知り、クラスでミス・サンドイッチの悪口を言う女子がいるのを知った「ぼく」が、彼女に会いにいくのをやめたことを知ったヘガティーは、「ぼく」にミス・サンドイッチに会いに行くようにアドバイスし、「ぼく」が描いた彼女の笑顔の絵を彼女に贈り、彼女の夢を見るという話になっていきます。その中でヘガティーは「人って、いつぽっかりいなくなっちゃうかわからないんだからね」「わたしはね、『できるだけ今度っていうのがない世界の住人』になったんだよ。いましかないんだ、ってね」と言います。終わりはおばあちゃんの葬式の場面ですが、とてもすがすがしい終わり方になっています。(明日へ続きます……)