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フリッツ・ラング監督『西部魂』

2021-12-21 11:50:00 | ノンジャンル
 フリッツ・ラング監督の1941年作品『西部魂』をNHKプレミアムで観ました。
 サイト「MOVIE WALKER PRESS」のストーリーに加筆修正させていただくと、
「1861年、ウエスタン・ユニオン電信会社は、ネブラスカのオマハから、未開なインディアンの集落の点在する荒野を横ぎって、ユタのソルト・レイク・シティまで、電柱を建てて通信網を延長しようとしていた。技師長エドワード・クレイトンは単身その実地下検分に出かけ、落馬して重傷したのをお尋ね者らしい若者に救われた。
 傷も治っていよいよ電柱建設工事に出発することとなり、作業員を募集するとその中にかの若者がいた。ヴァンス・ショウというその若者(ランドルフ・スコット)は、其夜逃亡しようとしたがクレイトンは何もせん議はしないからといって留め、ショウを道案内役に任命した。
 クレイトンの父の親友ブレイクの息子リチャードは、電信技手として1行に加わるが、彼もショウもクレイトンの妹スウに一目ぼれして、期せずしてサヤ当を演じたが、共に惜しい別れを告げて荒野に向かった。
 数日後の1夜、一行の牛が数頭盗まれたのでショウが調べに行くと、以前彼が仲間だった海賊団の仕業だった。頭目スレードはショウに復帰を勧めたが、彼は拒絶して走り、クレイトンにはインディアンの仕業と報告する。
 翌日スウ族インディアンが襲って、一行のキャンプを焼き馬を盗み去った。近くの町に馬を買いに行くと、盗まれた馬をスレードが売立てていたが、証拠がないのでクレイトンは5千ドルで盗まれた馬を買いもどした。其折スレードとショウが旧知である事を知り、クレイトンは怪しんだが何もいわなかった。
 目的地に近づいたころ、一夜ショウはおびき出されてスレード一味に縛られて了ったが、綱を焼いて解きキャンプにもどると、スレードの放火で大火となっていた。
 翌日クレイトンはショウに説明を求めたが、ショウは沈黙を固執し解雇された。去るに臨んで彼はリチャードに、スレードはおれの兄弟だといい残した。リチャードが追跡すると、ショウは近くの町でスレード一味と銃弾戦を変え、子分2人を倒しスレードにも負傷させたが、自らも重傷を受けて死んだ。そこに来合わせたリチャードはスレードを射殺した。数日後ウルト・レーク・シティでは電信開通の祝があり、スウは先着して待っていた。」

 ラスト近くの火事の場面は迫力満点でした。