蓮實重彦先生が言及していた、ジャン=ピエール・リモザンの'02年作品『NOVO/ノボ』をDVDで見ました。事故で記憶障害を起こした男と、彼が勤める会社の女社長、同僚の派遣会社員の女性、妻と息子をめぐる話でしたが、短いショットのたたみかけるような編集が特徴的な映画でした。
さて、山田詠美さんとの対談本『文学問答』の中で、終戦後に書かれ、戦争というものがよく分かると河野多惠子さんが言う、林芙美子さんの'53年作品『浮雲』を読みました。
24才のゆき子は、5月にハイフォンを発っていた富岡を東京へ尋ねてみようかと思っていました。富岡は先に帰って、すべての支度をして、待っていると約束はしていたのですが、日本に着いてみて、現実の、この寒い風にあたってみると、それも浦島太郎と乙姫の約束事のようなもので、2人が行きかってみなければ、はっきりと、確かめられるわけでもありません。実際、船が敦賀に着くなり、電報も打っていましたが、収容所へいた3日の間に、富岡からの返事は来ませんでした。ゆき子は昭和18年の秋以来、仏印のパスツウル研究所の、キナ園栽培試験所のタイピストとして働いていて、そこから帰国したばかりなのでした。
ゆき子は気が変わって来ました。ゆき子はまっすぐ東京へ出て伊庭を訪ねてみようと思いました。焼けていなければ、富岡に逢えるまで、まず伊庭の処へ厄介になってもいいのです。厭な記憶しかありませんが、仕方がありません。伊庭の家を訪ねると、そこには別の夫婦が住んでいて、伊庭は3年ほど前から、静岡の方へ疎開しているとのことでした。しかし雨で濡れそぼっていたゆき子の姿を見て、その夫婦は一夜の宿を提供してくれます。
伊庭は姉のかたづいたさきの弟で、妻子もありました。ゆき子は静岡の女学校を出るとすぐ、伊庭の家に寄宿して、神田のタイピスト学校へ行きましたが、ゆき子が寄宿して、丁度一週間目の或夜、ゆき子は伊庭の為に犯されてしまいました。その夜の事があって以来、ゆき子は、伊庭の妻の真佐子に、顔むけのならないような気がしていましたが、ゆき子は、夜になると、伊庭の来るのが何となく待ちどおしい気がしてなりませんでした。将来に就いて語りあうというでもなく、まるで娼婦をあつかうようなしぐさで、伊庭は、ゆき子をあつかいました。ゆき子が、仏印行きの決心を固めたのも、こうした不倫から自分を抜けきりたい気持ちからなのでした‥‥。
と、ここまで読んで、先を読むのを断念してしまいました。全468ページ中、23ページを過ぎた辺りです。理由はページをみっしりと埋めた活字の多さと、細部にわたる説明的な文章についていけなくなったためです。今後、仏印で職場の同僚として富岡と知り合い、そこでの明るい生活と、戦後の日本でのわびしい生活が描かれていくはずなのですが、そこまで読めなかったことが残念です。読点が多用されているのが特徴的な文章でした。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、山田詠美さんとの対談本『文学問答』の中で、終戦後に書かれ、戦争というものがよく分かると河野多惠子さんが言う、林芙美子さんの'53年作品『浮雲』を読みました。
24才のゆき子は、5月にハイフォンを発っていた富岡を東京へ尋ねてみようかと思っていました。富岡は先に帰って、すべての支度をして、待っていると約束はしていたのですが、日本に着いてみて、現実の、この寒い風にあたってみると、それも浦島太郎と乙姫の約束事のようなもので、2人が行きかってみなければ、はっきりと、確かめられるわけでもありません。実際、船が敦賀に着くなり、電報も打っていましたが、収容所へいた3日の間に、富岡からの返事は来ませんでした。ゆき子は昭和18年の秋以来、仏印のパスツウル研究所の、キナ園栽培試験所のタイピストとして働いていて、そこから帰国したばかりなのでした。
ゆき子は気が変わって来ました。ゆき子はまっすぐ東京へ出て伊庭を訪ねてみようと思いました。焼けていなければ、富岡に逢えるまで、まず伊庭の処へ厄介になってもいいのです。厭な記憶しかありませんが、仕方がありません。伊庭の家を訪ねると、そこには別の夫婦が住んでいて、伊庭は3年ほど前から、静岡の方へ疎開しているとのことでした。しかし雨で濡れそぼっていたゆき子の姿を見て、その夫婦は一夜の宿を提供してくれます。
伊庭は姉のかたづいたさきの弟で、妻子もありました。ゆき子は静岡の女学校を出るとすぐ、伊庭の家に寄宿して、神田のタイピスト学校へ行きましたが、ゆき子が寄宿して、丁度一週間目の或夜、ゆき子は伊庭の為に犯されてしまいました。その夜の事があって以来、ゆき子は、伊庭の妻の真佐子に、顔むけのならないような気がしていましたが、ゆき子は、夜になると、伊庭の来るのが何となく待ちどおしい気がしてなりませんでした。将来に就いて語りあうというでもなく、まるで娼婦をあつかうようなしぐさで、伊庭は、ゆき子をあつかいました。ゆき子が、仏印行きの決心を固めたのも、こうした不倫から自分を抜けきりたい気持ちからなのでした‥‥。
と、ここまで読んで、先を読むのを断念してしまいました。全468ページ中、23ページを過ぎた辺りです。理由はページをみっしりと埋めた活字の多さと、細部にわたる説明的な文章についていけなくなったためです。今後、仏印で職場の同僚として富岡と知り合い、そこでの明るい生活と、戦後の日本でのわびしい生活が描かれていくはずなのですが、そこまで読めなかったことが残念です。読点が多用されているのが特徴的な文章でした。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)