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内田樹『期間限定の思想 「おじさん」的思考2』

2010-05-30 14:39:00 | ノンジャンル
 内田樹さんの'02年作品『期間限定の思想 「おじさん」的思考2』を読みました。関西地方の情報誌『Meets Regional』に毎号連載された文章や、著者のサイトに掲載された文章などを集めた本です。
 なるほどと思ったことは、家族の構成員数が減るほど、家族は解体しやすくなるということ、「ほんとうに成長した女」とは「どこまでいっても人間は他者の支えなしには生きられないこと」を学び知った女であるという指摘、「自立者」というのは堅牢な基盤の上に立っているもののことなどではなく、自分がつかまっているネットワークのうちに、自分の「いるべき場所」を見つけだすことのできる人間だということ、またシステムの中で生きる正しいマナーとは、その「動く座標系」に即して自分の位置を決めるということ、女性を支えてくれる男とは「変化した後の女性」を「変化する前の女性」よりも常に好きだと言ってくれる男性であるという指摘、人間は本来的にモノをくるくる動かすのが好きだという指摘、私たちはたいてい原因と結果を取り違えるという指摘、私たちは無秩序に耐えられない心性を本来的に持っているということ、「君を理解したい」という言葉は女性を優しい気持ちにさせる決め言葉だが、「君を理解した」という言葉は女性を侮辱する言葉であるという指摘、近代ヨーロッパの金利生活者は、16世紀から20世紀初頭までほとんど貨幣価値が変わらなかったので先祖の残した財産の金利で何代にもわたって徒食できたのだという事実、職がないのは自分の責任だと思う人は自力で窮状を脱出する方法を考え、公的支援に頼らないという事実、地べたに座る若者たちは、日常常に監視されているため、地べたに座ることによって一時的にこちらからは見ることができるが、あちらからは直視されない者となることを無意識のうちに選択しているという指摘、人間がその存在をかけて欲望するのは「他者と物語を共有すること」であるという指摘、「物語られた想像的な苦痛」は本人にとって、やがてそのリアリティを失ってしまうという指摘、「今がよければいい」という考え方は未来を消して過去に導き、やがて「『原初の清浄』が『異物の侵入』によって汚され、それによって『本来私に所属するはずであった様々なリソース(資源)が異物によって奪われた‥‥それを『奪回せよ』」という物語へと導かれ、ネオナチなどにつながっていくという指摘、泣きたり、わめいたり、怒鳴ったり、総じて「自分の弱さを担保にして」発言する人間は相手にされなくなる危険を多く持ち、したがって発言しようとする度に場が静まり、皆の注意を引くといった存在になることが望まれるという指摘、マンガといった時、そこには諸星大二郎の『西遊妖猿伝』や岡崎京子、大友克洋も含まれていることを想起し、「幼稚」といったイメージと離れる必要があるという指摘、ユニークであろうとする欲望には、必ずそれを標的とする憎悪が存在するという指摘、一人の人間の中に様々な人格が存在し、それの使い分けをしていくことが可能性が開けるという指摘、壊れやすく守り抜かねばならないものを抱えていると、人は非常に攻撃的になるという指摘などでした。また、 内田さんの本は読んでいて何か縁を感じさせる部分が多々あって、例えば開巻早々デュルケームの『自殺論』に言及されているのですが、私が大学に入ったばかりの頃にこの本についての折原先生の講義を受けていて、今だに印象に残っていることや、幼い頃から多数派に組みしない性格があったことなど、他人とは思えないエピソード満載でした。
 言葉使いが堅く、断定的な物言いに違和感を感じたりもしましたが、気持ちよく読めました。人生に迷っている方には特にオススメのエッセイです。