ポール・オースターの'87年作品『最後の物たちの国で』を再読しました。
ナチス下のユダヤ人ゲットーを思わせる街に私は今います、と彼女は書いています。ここでは新たな命は一つとして生まれず、路上には死体がごろごろところがり、それを埋めるかのように全財産を持ち込む新たな住民たちが現れ、前からの住民たちの詐欺や略奪に会い、新たな路上生活者になっていきます。彼らにはゴミや糞尿を回収するゴミ収集の仕事と、放棄された物の中から再生可能なものを集めて回る物拾いの仕事しかなく、死の一歩手前の生活を余儀無くされています。社命によりその街の取材に行ったまま行方不明になっている兄を探すため、私はこの街にやってきましたが、すぐに一文無しになり、今では物拾いの仕事でかろうじて命をつないでいます。たまたま命を救うことになった老婦人のイザベルの部屋に住まわせてもらえるようになりますが、現実を逃避し悪意の固まりと化している彼女の夫に体を求められてきた私は、彼の首を絞めます.。しかし、殺人の快楽を感じている自分に気付き、慄然として部屋を去ります。頭を冷やして部屋に帰り、翌朝起きると夫はイザベルによって絞殺されていました。イザベルもやがて衰弱して死に、彼女が残してくれた財産を処分したところ、噂を聞き付けた男たちに寝込みを襲撃され、私は再び路上生活者となります。そして路上の暴動の混乱から逃げ出して、たまたま身を寄せたところは国立図書館で、そこには既に死に絶えていたと思っていたラビたちなど様々な人々が暮らしていて、兄の後に派遣された記者サミュエル・ファーもそこにいることが分かります。そして彼に会った私は彼と愛し合うようになり‥‥。
読み始めは、サミュエル・ファーの名前は、ジャーナリストでもあった映画監督のサミュエル・フラーから持ってきたのかなあなどと考える余裕もありましたが、民間の救護所を運営するヴィクトリアと会うあたりから息せき切って物語が進行していき、最後は一気に読みました。「あらすじ」という概念が意味をなさないほどに、無駄な文章が一切なく、すべての文がストーリーを押し進め、またストーリーがすべての文を押し進めていくといったような、ある種奇跡のような読書体験だったと思います。読んでる最中はしきりにスピルバーグの『シンドラーのリスト』やポランスキーの『戦場のピアニスト』などのナチス下におけるユダヤ人のゲットーが想起されましたが、そうしたイメージに収まり切らない豊穣さを持つ、私小説の理想形のような小説でした。また、「人生は偶発的な出来事の総和」であるという真実、ジャック・ラカンの言う「想像界」から「象徴界」への飛躍による成熟の重要さ(簡単な言葉で言えば、一歩引いて全体を眺めることによって見えてくる「真実」)にも改めて気付かせてくれた小説であると思います。どんな方にもオススメできる傑作です!なお、「あらすじ」の詳細に関しては、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)の「Favorite Novels」の「ポール・オースター」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。
ナチス下のユダヤ人ゲットーを思わせる街に私は今います、と彼女は書いています。ここでは新たな命は一つとして生まれず、路上には死体がごろごろところがり、それを埋めるかのように全財産を持ち込む新たな住民たちが現れ、前からの住民たちの詐欺や略奪に会い、新たな路上生活者になっていきます。彼らにはゴミや糞尿を回収するゴミ収集の仕事と、放棄された物の中から再生可能なものを集めて回る物拾いの仕事しかなく、死の一歩手前の生活を余儀無くされています。社命によりその街の取材に行ったまま行方不明になっている兄を探すため、私はこの街にやってきましたが、すぐに一文無しになり、今では物拾いの仕事でかろうじて命をつないでいます。たまたま命を救うことになった老婦人のイザベルの部屋に住まわせてもらえるようになりますが、現実を逃避し悪意の固まりと化している彼女の夫に体を求められてきた私は、彼の首を絞めます.。しかし、殺人の快楽を感じている自分に気付き、慄然として部屋を去ります。頭を冷やして部屋に帰り、翌朝起きると夫はイザベルによって絞殺されていました。イザベルもやがて衰弱して死に、彼女が残してくれた財産を処分したところ、噂を聞き付けた男たちに寝込みを襲撃され、私は再び路上生活者となります。そして路上の暴動の混乱から逃げ出して、たまたま身を寄せたところは国立図書館で、そこには既に死に絶えていたと思っていたラビたちなど様々な人々が暮らしていて、兄の後に派遣された記者サミュエル・ファーもそこにいることが分かります。そして彼に会った私は彼と愛し合うようになり‥‥。
読み始めは、サミュエル・ファーの名前は、ジャーナリストでもあった映画監督のサミュエル・フラーから持ってきたのかなあなどと考える余裕もありましたが、民間の救護所を運営するヴィクトリアと会うあたりから息せき切って物語が進行していき、最後は一気に読みました。「あらすじ」という概念が意味をなさないほどに、無駄な文章が一切なく、すべての文がストーリーを押し進め、またストーリーがすべての文を押し進めていくといったような、ある種奇跡のような読書体験だったと思います。読んでる最中はしきりにスピルバーグの『シンドラーのリスト』やポランスキーの『戦場のピアニスト』などのナチス下におけるユダヤ人のゲットーが想起されましたが、そうしたイメージに収まり切らない豊穣さを持つ、私小説の理想形のような小説でした。また、「人生は偶発的な出来事の総和」であるという真実、ジャック・ラカンの言う「想像界」から「象徴界」への飛躍による成熟の重要さ(簡単な言葉で言えば、一歩引いて全体を眺めることによって見えてくる「真実」)にも改めて気付かせてくれた小説であると思います。どんな方にもオススメできる傑作です!なお、「あらすじ」の詳細に関しては、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)の「Favorite Novels」の「ポール・オースター」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。