5月28日の朝日新聞の朝刊にTICAD(アフリカ開発会議)の親善大使としてこの春、昨年末の大統領選挙をきっかけにした民族対立で千人以上が犠牲になったケニアと、20年以上続いた内戦で約200万人が死亡したスーダンを訪れた鶴田真由さんに関する記事が載っていました。
記事を引用すると「(前略)ケニア中部ナクルの避難民キャンプでは、いまも約1万6千人がテント生活を送っている。その中に、虐殺を目撃したショックで話すことができなくなった子どもがいた。『トラウマが憎しみに変わらないうちに取り除かなければ、歴史は繰り返されてしまう』。現地で子どもたちの世話をしている女性からそう聞かされた。『モノだけでは救えない現実』を実感した瞬間だった。
十数年前にテレビの旅番組で訪れて以来、アフリカへの思いを深めてきた。『お金を得たことで先進国が失ったものを、アフリカの人たちはまだいっぱい持っている』と感じるからだ。例えば、底抜けの明るさ、切なくなるくらい、自然に対して正直な感覚。そして太陽の下、大地に立ちつくすまっすぐな姿。笑っている子どもの数も日本よりはるかに多かった。
『彼らが本当に困っていて、私たちに何かできることがあれば、助けてあげたい。そういう“気持ちの循環”が大切なのでは』
これまで訪れたアフリカ6カ国で撮りためたものを集めた写真展が1日まで横浜市内で開かれている。」
先進国は失ったけれども、アフリカの人たちはまだいっぱいもっているもの。底抜けの明るさ。切なくなるくらい、自然に対して正直な感覚。そして太陽の下、大地に立ちつくすまっすぐな姿。つい発展途上国として下に見てしまうアフリカに対して、これほどアフリカの大切さを伝えてくれた文章に私は初めて出会いました。特に「切なくなるくらい、自然に対して正直な感覚」というフレーズに、自然からの恵みに対する感謝、自然の脅威を恐れる気持ち、自然を大切にしようと思うエコ感覚、私たちが自然破壊をして地球温暖化を招き、今までの自然に対する態度を見直さなければならないことにようやく気付き始めた今日、私たちはアフリカの人々から多くのことを学ばなければならないようです。
そして「太陽の下、大地に立ちつくすまっすぐな姿」。堂々として、また美しい情景が目に浮かびます。小説でしか知らないその姿をアフリカの人たちはまだ持っています。この美しい人たちが困窮している今、私たちはまだ助けの手を差し伸べる方法があるのではないでしょうか? 自戒とともにアフリカへの援助をこれからは積極的に考えていこうと思っています。
記事を引用すると「(前略)ケニア中部ナクルの避難民キャンプでは、いまも約1万6千人がテント生活を送っている。その中に、虐殺を目撃したショックで話すことができなくなった子どもがいた。『トラウマが憎しみに変わらないうちに取り除かなければ、歴史は繰り返されてしまう』。現地で子どもたちの世話をしている女性からそう聞かされた。『モノだけでは救えない現実』を実感した瞬間だった。
十数年前にテレビの旅番組で訪れて以来、アフリカへの思いを深めてきた。『お金を得たことで先進国が失ったものを、アフリカの人たちはまだいっぱい持っている』と感じるからだ。例えば、底抜けの明るさ、切なくなるくらい、自然に対して正直な感覚。そして太陽の下、大地に立ちつくすまっすぐな姿。笑っている子どもの数も日本よりはるかに多かった。
『彼らが本当に困っていて、私たちに何かできることがあれば、助けてあげたい。そういう“気持ちの循環”が大切なのでは』
これまで訪れたアフリカ6カ国で撮りためたものを集めた写真展が1日まで横浜市内で開かれている。」
先進国は失ったけれども、アフリカの人たちはまだいっぱいもっているもの。底抜けの明るさ。切なくなるくらい、自然に対して正直な感覚。そして太陽の下、大地に立ちつくすまっすぐな姿。つい発展途上国として下に見てしまうアフリカに対して、これほどアフリカの大切さを伝えてくれた文章に私は初めて出会いました。特に「切なくなるくらい、自然に対して正直な感覚」というフレーズに、自然からの恵みに対する感謝、自然の脅威を恐れる気持ち、自然を大切にしようと思うエコ感覚、私たちが自然破壊をして地球温暖化を招き、今までの自然に対する態度を見直さなければならないことにようやく気付き始めた今日、私たちはアフリカの人々から多くのことを学ばなければならないようです。
そして「太陽の下、大地に立ちつくすまっすぐな姿」。堂々として、また美しい情景が目に浮かびます。小説でしか知らないその姿をアフリカの人たちはまだ持っています。この美しい人たちが困窮している今、私たちはまだ助けの手を差し伸べる方法があるのではないでしょうか? 自戒とともにアフリカへの援助をこれからは積極的に考えていこうと思っています。