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「イスラム急進主義と共産主義に共通点はあるか」と題するブレジンスキーの論説。

2005年12月05日 | イスラム問題
12月4日付『ワシントン・ポスト』紙に掲載。
アメリカ国民に向けて最近行われた一連の演説において、ブッシュ大統領は、現在のテロリズムの脅威と20世紀の共産主義的全体主義とを同一視しようと試みた。テロリストの挑戦は、範囲がグローバルであり、本性において「邪悪」であり、敵に対して無慈悲さであり、生活と思想のあらゆる点をコントロールしようとしている。だから、テロリズムに対する戦闘は、「完全な勝利」以外にはないと彼は主張する。
大統領は、テロリズムに言及する際、繰り返し「イスラム的」という語を用い、「イスラム急進主義の残忍なイデオロギー」と「共産主義のイデオロギー」とを比較した。
イスラム急進主義と共産主義によって引き起こされた類似の危険という大統領の診断は歴史的に正しいであろうか?それらの間の類似性よりも相違のほうがもっと明白である。
「共産主義のイデオロギーと同様、イスラム急進主義はわれわれの新しい世紀の大きな挑戦である」と主張することによって、ブッシュは、暗黙の内に、オサマ・ビン・ラディンの地位と歴史的重要性をレーニンやスターリンや毛沢東と同等であるとしている。そしてそのことは、洞窟の中に潜んでいる(あるいは既に死んでいる)サウディ・アラビアからの亡命者が普遍的な重要性をもつ教説を述べていると示唆することになる。大統領のアナロジーによれば、ビン・ラディンの「ジハード」(聖戦)が国家や宗教の境界を越えて何千万にもの人々の心を支配する力を持っているということになる。これはビン・ラディンに対する全くのお世辞であって、正しいとは認められない。「イスラムの聖戦」は、せいぜい世界の多くの人の共感を殆ど得ない断片的で限られた運動に過ぎない。
これと比べて、共産主義は、疑いもなく、世界的なアッピールを持っていた。1950年代まで、その国がキリスト教的であるか、イスラム的であるか、ヒンヅー教てきであるか、ユダヤ教てきであるか、仏教的であるか儒教的であるかとは無関係に、行動的な共産主義運動がない国は世界に一つもなかった。ロシアや中国のようないくつかの国では、共産主義運動は、最大の政治的な組織であって、知的言説を支配していた。イタリアやフランスのような、民主主義国では、それは開かれた選挙で政権を争った。
産業革命によってもたらされた混乱と不公正の対して、共産主義は、完全に公正な社会というビジョンを提供した。確かに、そのビジョンは間違っており、ときにソヴィエト連邦の強制収容所や中国の再教育のための強制労働所や他の人権侵害に通じる暴力を正当化するのに使われた。にもかかわらず、共産主義の未来像は、文化的相違を越えたアッピールを生み出した。
それに加えて、共産主義イデオロギーの知的政治的挑戦は、巨大な軍事力によってバックアップされていた。ソヴィエト連邦は、巨大な核の貯蔵庫を持ち、アメリカに対して数分かかれば発射する能力があった。
現代のテロリズムは、イスラム的であろうと他のものであろうと、犯罪的であるけれども、共産主義ほどの政治的なリーチは持っていないし、物理的な能力ももたない。ソノアッピールは、限られていて、近代化とグローバル化という新しいディレンマに対して難の答えももたない。「イデオロギー」をもつと言われるが、それは宿命論とニヒリズムの奇妙な混ぜ合わせにすぎない。アルカイダの場合、それは孤立した集団によって支えられているが、その行動は、法皇からサウディ・アラビアの聖職者にいたる多数の宗教者によって断罪されている。
その力も限られている。それが頼りにしているのは、ありふれた暴力の道具である。共産主義体制とは違って、アルカイダは、テロを間欠的な戦術として用いているだけで、組織的な道具としては用いていない。その構成員は、イデオロギーによってではなく、戦術によって束ねられている。最後に、アルカイダや他の関連したテロリスト集団が本当に破壊的な力を手に入れるかもしれない。だが、われわれは、可能性と現実性とを取り違えてはならない。
共産主義との類比は、短期的な政治上の利益は持つかもしれない。なぜならば、それは再び過去の恐怖に火をつけるかも知れない。しかし、恐怖を宣伝することは、重要なマイナス面をも持つ。それは恐怖に駆られた国民を作り出す。
特に問題なのは、ブッシュが最近の演説で、多くのモスレムにとってイスラム嫌い的な言語に響くものに依存している点である。彼は全体としてのイスラムについて語っているのではないと断っているが、「イスラム急進主義者の殺人的イデオロギー」とか「イスラム的急進主義」とか「戦闘的なジハディズム」とか、「イスラム・ファシズム」とか、「イスラムのカリフ制」にしばしば言及している。
このような用語法は、意図しない帰結を持つかもしれない。穏健なモスレムを動かす代わりに、繰り返しイスラムのテロリズムに言及することは、穏健なイスラム教徒に腹を立てさせ、ブッシュの反テロ・キャンペーンは、イスラム全体に対するキャンペーンなのだ思わせる。彼らは、北アイルランドのIRAやスペインのバスク独立運動を断罪する際に、アメリカが「カトリック・テロリズム」であるとは述べないことに気づく。
ただ一人主要な外国の政治家で現代のテロリズムの脅威のイスラム的側面を強調する点でブッシュに近いのは、ロシアのプーチン大統領である。プーチンは、自己決定を主張するチェチェン人の運動に対する彼の容赦ない戦争を正当化するのに、「イスラム・テロリズム」という表現をしばしば用いる。それによって、ロシア国内のモスレム人口との間に緊張を生み出している。
アメリカに対するモスレムの政治的反感とより広範で強力なイスラムの宗教的同一性との融合を生み出すことは、中近東におけるアメリカの利害に反する。
この融合は、以前に共産主義によってもたらされた組織的軍事的脅威と比較にすることによってテロリズムが蒙っていた弱点を補うファナチックな強度をテロリズムに与えることになる。大統領が、テロリスト集団を孤立化させ、彼らの自爆者リクルート・キャンペーンを無効にする政策を追求するのに失敗すれば、アルカイダや類似の組織の限界は変わるだろう。
中近東におけるアメリカのプレゼンスの軍事的な性格は、この変化を生み出すのに貢献するかもしれない。シカゴ大学政治学教授のロバート・ペイプは、現在の自爆テロリストの動機づけを分析した。多くの場合、攻撃者の基本的きっかけは、外国の侵入者に対する敵意であることを彼は証明した。最近のテレビとのインタービューで、彼は、「われわれの軍隊がアラビア半島に長く留まれば留まるほど、第二の9.11の危険が増大する」と結論した。
イスラム嫌い的な用語法や共産主義に対する勝利を思い出させることは、中近東を平和化するためにどのような政策が必要であるかを公衆に理解させるのに役立たない。
[訳者の感想]ブレジンスキーは、カーター大統領時代の国家安全顧問でした。ブッシュ大統領の演説が反って広範なイスラム教徒の反感を呼ぶことを指摘し、大統領に用語に気をつけよと注意しているのです。ライス国務長官には出来ないようです。

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