海外のニュースより

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「イスラム批判は、ユダヤ嫌いとは比較できない」と題する『ヴェルト・オンライン』の論説。

2010年01月13日 | イスラム問題
世界の中のすべてのように、社会科学も流行がある。「ジェンダー研究」、「ホロコースト研究」、「メディア学」のような研究分野の設立は、必然性から生じるのではなく、単に時代精神を反映しており、それは、アリス・シュヴァルツァーやシャルロッテ・ロシュに位置を提供している。
偏見研究の下部分野である社会心理学も、時代精神を免れてはいない。目下流行しているのは、「アンチセミティズムとイスラム嫌い」についての研究であり、その代表者は、自分たちが一方を他方と同等に扱っているのではなく、比較しているのだと保証している。「比較をする」ということは、学問的に保証された確かな方法であると彼らは言う。
それは正しい。原則的に、何でも比較することはできる。国防軍と救世軍、ビキニとブルカ、「公共ラジオの料金徴収センター」と「ナポリに本拠があるマフィア」とは、比較可能だ。
それゆえ、理論的には、アンチセミティズムとイスラム嫌いとを比較することはできる。一方は、少なくとも2000年ぐらい古い現象であり、他方は、30年前にホメイニ師によってつくり出されたとしても。実際上、比較によって、モスレムは、現代のユダヤ人であり、いわゆるイスラム嫌いは、構造的にアンチセミティズムに似ているという結果になる。河馬が人間といくつかの共通点を持っていると考えるなら、それは、全く間違っているとは言えない。それは餌を食べ、眠り、消化し、生殖を行う。
彼らを否定するために、類比を呼び出すこと、それがホーマンの方法である。元CDUの国会議員ホーマンは、ある演説で、一時間かけて、歴史上のユダヤ人の悪業を報告し、最後に、ユダヤ人はひどい犯罪に責任があるけれども、丁度ドイツ人をそう称すること出来ないのと同様、ユダヤ人を加害者民族だと称することは出来ない、と述べた。これこそ彼の類比に基づく論証の目的だったが、それは大胆であると同時に恣意的だった。
ドイツ統一の日の式典への派手な登場のせいで、このフルダ市選出議員は、CDUから除籍され、さらに連邦議会の議席を失った。しかし、彼はそこから何も学ばなかった。
彼は、そうこうするうち、真面目な学問の世界で応用される模範を提供したがゆえに、ホーマンを思い出さねばならない。歴史家で、ベルリンの「アンチセミティズム研究センター」の所長であるヴォルフガング・ベンツは、一週間前、『南ドイツ新聞』に寄稿し、そこで19世紀のアンチセミティズムと21世紀のかなり多くの「イスラム批判者」の間の類似性を指摘した。
それをする権利が彼にはある。しかし、小さなジブクが彼の持ち物に手を出したかとベンツ教授に質問する十分な権利が読者にはある。たとえば、20世紀のアンチセミティズムの痕跡がまだいたるところに見られるのに、彼はなぜ19世紀のアンチセミティズムに限ったのか。
彼はなぜ彼の研究所でも使用される「イスラム嫌い」という概念を断念し、その代わりに、19世紀のアンチセミティズムがユダヤ人を中傷したと同様に、モスレムを中傷するイスラム批判が疑わしいと仮定することによって、「イスラム批判」について語るのだろうか。「ユダヤ人敵視の偏狭さについて腹を立てる人は、イスラム敵視も批判的に見なければならない」とベンツは言う。
だが、19世紀のアンチセミティズムの研究から得られた洞察が、21世紀の現代のアンチセミティズムを研究するのに役立ってはいけないのか。(中略)
アンチセミティズムがヒステリックな不安や虚構や投影や嫉妬心に基づくとすると、「イスラム嫌い」には、現実的な根拠がある。それは、自分たちの信仰を引き合いに出すイスラム教テロリストのテロ攻撃であり、伝統に基づく名誉殺人であり、アフガニスタンにおけるタリバンの憤激であり、姦通したものの石打刑であり、サウディ・アラビアで行われている児童との結婚であり、同性愛者の絞首刑であり、イスラムが「平和」を意味していることへの固執であり、人質の処刑をテレビで流す場合に犯人が用いる野蛮とハイテクとの混合である。(後略)

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