海外のニュースより

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「トルコ人移民は犠牲者の立場に逃げ込んでいる」と題するネクラ・ケレクの論説

2009年11月25日 | イスラム問題
 あなた方がご存じのように、私はトルコに生まれ、1967年に10才でドイツへ来、ドイツ国籍を取得した。この経歴を私は何千人もの移民と共有しているが、私は次のような問いを自分自身に問わねばならない。私は私がドイツに来る前の1933年から1945年までにドイツで起こったことに対して責任があるだろうかと。何十年も前にトルコで起こり今日起こっていることが私に関わりがあるだろうか。
 私のトルコ系同胞の多くは、特に若い人たちは、今日、自分で選んだ歴史を持たない状況、無責任状態のなかで生活している。彼らはトルコの歴史や現状を知らずそれに影響を与えることができない。彼らは遠い故郷を悪く言われたくなく、歴史の暗い過程に光を当てようとすると、一種の集団的反射で抗議する。
 ドイツの歴史とも、彼らは無関係だ。ドイツの旅券を持たない人は、選挙することができず、責任を引き受けることができない。彼らは他人が彼らのためにやる政治の犠牲である。そう言うわけで、次のような広まった態度をとることになる。つまり、責任があるのはいつも他人であり、疑わしい場合は、ドイツ人である。
 移民は、他人に依存して生きている被後見人である。実際、犠牲者の役割は、トルコの政治によって当に祝われている。こういう風に歴史的健忘症のなかで生きるということは、悪い状態である。多くの移民もトルコ社会も幼児的な社会に生きている。それは自分自身に歴史的社会的責任を課さず、歴史を持たない世代になるのだ。
われわれドイツに生活する市民にとっては、しかし、この態度から解放される可能性がある。文句を言うことを止め、参加し関与し、この國の国民になるのだ。統合は、社会への参加であり、それは、移民に対しても反対給付を要求する過程である。自由は学ばねばならず、責任も担われなければならない。
 20年前、私はこの問題で、鍵となる体験をした。私は学生として、11月9日に、ハンブルクのユダヤ教会の祈念式式典に行った。そこでは、ラルフ・ジョルダーノが話をし、彼の家族や隣人達の収容所への輸送を描写した。私の中で奇妙なことが起こった。この物語は、ドイツ人の犯罪についてトルコ人としての私を怒らせることはなく、人間としての私を打った。私は人間として、他人にそう言うことを加える人間を恥ずかしく思ったのだ。
 ずっと後になって初めて、連邦共和国は責任問題を引き受けることを学んだ。1967年に激しい反応を引き起こしたある本が出版された。それは、戦後社会がそのときまで持っていた「意識の検閲」に基づく自己確信がどれほど脆いかを示した。それは、アレクサンダー・ミッチャーリヒとマルガレーテ・ミッチャーリヒの共著『悲しむことができないこと』という書物である。
 これは戦争世代が第三帝国でなされた罪に対して責任を取ることを拒否していることについて論じた本で、それは、二人の著者にとっては、独裁者アドルフ・ヒトラーに対する権威的な固着から自分を解き放し、追悼の仕事をなし得るためには、必要な前提であった。
 連邦共和国の歴史においては、この「想起の仕事」は、今日まで、繰り返し、日常茶飯事である。議論は大抵は非常に対立して行われるが、それは集団的な理解によって、一種の成熟過程を可能にし、それと共に、この共和国の民主的市民的性格を固定するのに役だった。(中略)
 1933年にトルコ共和国は、トルコに新しい大学を創設をするために、30人のドイツ人学者を、後には200人のドイツ人学者を招待した。彼らは多くは「外国におけるドイツ人学者の緊急共同体」に所属する人種的な被迫害者であった。その中には建築家のブルーノ・タウトや、組み込みキチンの発明者のマルガレーテ・シュッテ=リホツキーや作曲家のパウル・ヒンデミットやエルンスト・ロイターと彼らの家族、総勢1千人が含まれていた。
 1938年にケマル・アタチュルクが死ぬと、大抵の契約は延長されず、多くの移住民は、抑留民収容所に入れられた。「中立トルコ」は、ドイツ政府の圧力に基づいて、避難民に「アーリア人証明」を要求し、トルコ経由によるユダヤ人の逃げ道を閉ざそうとした。トルコ在住のユダヤ人とも上手くは行かなかった。ユダヤ人組織の陳述によると、戦争開始以前、2万人のトルコ系ユダヤ人がヨーロッパに住み着いていた。これは、トルコ政府が記録した8万2千人のトルコ系ユダヤ人と比べると大きな数である。彼らはベルリンにトルコ系ユダヤ人のためのユダヤ教会を持っていた。(後略)
[訳者の感想]『ヴェルト・オンライン』に掲載された論説です。中途半端な訳になりました。「トルコ系ユダヤ人」と言うのは、「トルコ国籍をもったユダヤ人」を意味しているのか、それとも「人種的にトルコ人であってユダヤ教を信じている人」であるのか私にはよく分かりません。どうも後者を意味しているように思います。統計によると、トルコには少数のユダヤ教徒が住んでいるようですが、これも「人種的にはトルコ人であって、ユダヤ教を信じている人」のように思われます。
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