海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「グリーンスパンは、経済に関して間違っていたことを認める」と題する『ガーディアン』の記事。

2008年10月24日 | アメリカの政治・経済・社会
アラン・グリーンスパン前FRB議長は、グローバルな金融危機は、彼の18年間の米国金融政策を導いた自由市場のイデオロギーが「間違っていた」ことをさらけ出したということを認めた。
 規制緩和のチア・リーダーだったグリーンスパンは、昨日、米国議会の委員会で、銀行産業に対して規制しない自分のアプローチが「部分的に間違って」いたということを認めた。また、信用収縮が自分をショックによる不信状態に陥らせたということを認めた。彼は自分の経済哲学に言及して、「欠陥(flaw)があることが私には分かりました。それがどれほど重大でどれほど恒久的か私には分かりません。だが、その事実によって、私は非常にショックを受けました。」
 戦後の世界最長のブームを指導したともてはやされたこの男が、グローバルな金融システムを巻き込んだこの危機に対して「いくらか非難さるべき点」(any culpability)があることを受け入れたのは、これが初めてである。
 米国議会におけるけんか腰のやりとりの間に、彼は下院の監視委員会に対して、あるタイプの金融デリバティブに対する規制的抑制に対して自分が反対したことを後悔していると述べた。そのことがウオール街とスクウエア・マイル(ロンドンの金融街「シティ」の別称)の銀行に何十億ドルもの負債を残したのだ。
 「組織、特に銀行の利己心は、彼らが彼ら自身の株主や会社の自己資本を護ることが最も良くできるというようなものであると仮定した点で、私は間違いを犯した」とグリーンスパンは言った。
 彼のコメントは、新たに任命されたシティー大臣のマイナーズ卿が『ガーディアン』紙記者に対して、「新しい官庁は、ハイストリートの銀行に対する英国政府の持ち分である370億ポンド(4兆8000億円)を監視するために計画された」と語ったのと同時だった。
 金融危機がグローバルナ株式市場を冷やし続けているので、ヘンリー・ポールソン財務長官も部分的な告白をし、自分が危機の引き金を引いた米国の不動産産業の崩壊を予測すべきだったのにしなかったと認めた。「サブプライム危機がもっと早く到来するのを見ようと思えばできたのにしなかった」と彼は『ニューヨーク・タイムズ』紙に認めた。「もっとも、私は何か違ったことをすることもできたと言ってはいない」と彼は付け加えた。
下院で証言するする前に、グリーンスパン前議長(82)は、この金融危機を「百年に一度の信用の危機」と呼び、「私が想像していたよりも遙かに広範囲であることが分かった」と述べていた。(中略)
議会委員会の民主党議長であるヘンリー・ワックスマンは、「あなたは、あなたの世界観、あなたのイデオロギーが正しくなかったことが分かったのですね」とだめ押しをした。グリーンスパンは、「私がショックを受けた理由は、私が40年以上、それは例外的にうまく働いているという証拠をもってやってきたからです。」(後略)
[訳者の感想]日本のテレビでは「グリーンスパンは自分の誤りを求めていない」と報道されましたが、この『ガーディアン』の記事を読むと、彼はかなりの程度自分の責任を求めているように見えます。
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