海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「欧州連合に選択の余地はない」と題する『ツァイト』紙の論説。

2008年02月23日 | 国際政治
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ヨーロッパには子どもができた。古い世界の47番目の国家として、コソボは、地図の上に現れた。かってのユーゴスラビアの廃墟から生じた七番目の共和国として。
新しい国家は、アルバニア語を話すコソボ人によって、花火で歓迎された。彼らは200万人の人口のうち、90%を占めている。これに対して、約10万人のセルビア系住民は、新しい国家の誕生に怒りのデモ行進で答えた。半分はイスバルの北部に住み、後半分はコソボ全体に散らばっているセルビア系住民は、アルバニア系住民の報復を恐れている。1980年代90年代にミロシェビッチ・セルビア大統領の支配下で、彼らが加えた残虐な迫害や虐殺に対する報復である。
ベオグラードは、地方を失うことが我慢できない。セルビアは、独立国家としてのコソボを承認することは決してできないと、ヨーロッパびいきのボリス・タディッチさえ述べている。セルビア人にとっては、1389年にバルカン半島に侵入したトルコに対して致命的な敗北を喫したヴァルシュタットが残っている。民主主義的な考え方をするセルビア人でさえ、アルバニア系コソボ人がミロシエビッチ政権がしたことの後では、決して再びセルビアの支配下に生活したいと思わないということが見抜けない。われわれドイツ人が苦々しい仕方で学ばなければならなかった洞察を拒んでいる。つまり、ビスマルクが言ったように、歴史はプロシャの会計検査院よりもずっと厳密なのだという洞察である。
1999年にセルビアに対する戦争でアルバニア系コソボ人を救ったのはNATOだった。それ以来、西欧の同盟国は、国連と一緒に、コソボ州を管理し防衛してきた。合意に基づく解決は、マルッティ・アーティサアリ元フィンランド首相も、ドイツの優れた外交官のヴォルフガング・イシンガーも作り上げなかった。ロシアと中国が反対したのだ。今度は欧州連合が責任を引き受けた。NATOの1万6千人の兵士が引き続き秩序と安全を保障するだろう。
この解決は恐らく不可避である。(以下省略)
[訳者の感想]筆者はもと『ツァイト』紙の主筆だったテオ・ゾンマーです。
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