今回は前回の続きで、いよいよ目的地であるニッケ社宅群です。ニッケパークタウンの駐車場にジュークを停め、加古川の土手沿いを歩いて目的地を目指します。JRの加古川橋ですが、何年か前に架け替えられました。
加古川の川べりをジョギングされている方もいます。加古川は市民の憩いの場ですね。
加古川に沿ったニッケのレンガ工場群です。クルマがこれだけ停まっているということは、現役で動いている工場なのでしょう。
R2を超えて、やっとこさニッケ社宅群に到着です。この洋館は明治時代の建物で、当初は外国人技術者(毛織技術者)の社宅として建築されたそうですが、後に社宅倶楽部となり、現在は公民館として使われています。
写真をよ~く見ると、窓枠もアルミサッシではなく木製であることがお分かりかと思います。
玄関ドアのノブと鍵穴です。こんなところにも歴史を感じます。
さて社宅群をご覧いただきましょう。大体、5軒長屋の社宅ですが、一部は一戸建の社宅もありました。一戸建は幹部(課長さん以上かな?)用の社宅と思われます。
この社宅群ですが、それほどたくさん残っていません。それでも路地裏や未舗装の土の道などの雰囲気は、まんま戦前です。驚きなのは、この社宅は現役であることです。一部のお家には表札が掛かっていました。
この日は偶然にもロケが行われていました。怖そうなディレクターらしき人が私をジロリと・・・カメラ片手にウロウロしている私が目障りなような感じでした(笑)。スタッフの一人は、ちり取りに置いた白い粉(コーンスターチかな?)を上から撒いて、ホコリの雰囲気を出していました。
映画「少年H」のロケだったのでしょうか。モンペ姿の女性が、「すみません。前を通ります」と言いながら私の目の前を横切りました。とってもキレイな方で、一目で女優さんだと分かりました。ウーン、記念写真を撮りたかったですね。
このニッケの社宅群も、何時まで残るか分からないです。古い建物ですから維持管理も大変でしょうし、道路は未舗装ですから雨が降ると足元が・・・私が小学生の頃の国鉄の寮(社宅)を思い出したものです。万博(1970年)の頃まで、西明石駅の南側はこんな社宅が一杯建っていました。
加古川の川べりをジョギングされている方もいます。加古川は市民の憩いの場ですね。
加古川に沿ったニッケのレンガ工場群です。クルマがこれだけ停まっているということは、現役で動いている工場なのでしょう。
R2を超えて、やっとこさニッケ社宅群に到着です。この洋館は明治時代の建物で、当初は外国人技術者(毛織技術者)の社宅として建築されたそうですが、後に社宅倶楽部となり、現在は公民館として使われています。
写真をよ~く見ると、窓枠もアルミサッシではなく木製であることがお分かりかと思います。
玄関ドアのノブと鍵穴です。こんなところにも歴史を感じます。
さて社宅群をご覧いただきましょう。大体、5軒長屋の社宅ですが、一部は一戸建の社宅もありました。一戸建は幹部(課長さん以上かな?)用の社宅と思われます。
この社宅群ですが、それほどたくさん残っていません。それでも路地裏や未舗装の土の道などの雰囲気は、まんま戦前です。驚きなのは、この社宅は現役であることです。一部のお家には表札が掛かっていました。
この日は偶然にもロケが行われていました。怖そうなディレクターらしき人が私をジロリと・・・カメラ片手にウロウロしている私が目障りなような感じでした(笑)。スタッフの一人は、ちり取りに置いた白い粉(コーンスターチかな?)を上から撒いて、ホコリの雰囲気を出していました。
映画「少年H」のロケだったのでしょうか。モンペ姿の女性が、「すみません。前を通ります」と言いながら私の目の前を横切りました。とってもキレイな方で、一目で女優さんだと分かりました。ウーン、記念写真を撮りたかったですね。
このニッケの社宅群も、何時まで残るか分からないです。古い建物ですから維持管理も大変でしょうし、道路は未舗装ですから雨が降ると足元が・・・私が小学生の頃の国鉄の寮(社宅)を思い出したものです。万博(1970年)の頃まで、西明石駅の南側はこんな社宅が一杯建っていました。
このニッケ社宅群ですが、意外と地元の方もご存じないようですね。私の会社の同僚は神吉町に在住ですが、そんなの知らんかったと申していました。
ちょっと場所が分かりにくいのですが、一度を訪れることをお勧めします。地元の郷土史もなかなか面白いものです。
okapyは加古川在住でして、ニッケといえばパークタウンに買い物に行くばかりで
ご紹介いただいている建物群に足を運んだことがなかったのですが、
とてもフォトジェニックなイイ雰囲気の場所ですね♪
このニッケ社宅群ですが、どうも戦前のようです。そんなところで、一部は老朽化が進んでいることや、ニッケの企業資産であるため保存するのは困難なようですね。
最近、昭和30年代の明石の写真を見ましたが、いやはやスゴイ街並みでしたね。本当にタイムスリップすると、懐かしさよりも驚きの方が大きいと思いました。
いつごろできたのでしょうか?戦後間もなくでしょうか?
明治から大正、昭和と日本は繊維産業が日本を支えたのでしょう。
このあたりをまるごと残す訳にはいかないものですかね。
このニッケの社宅群ですが、実際に使われているだけに余計に保存は難しいと思いました。一部の社宅は実際に使われているのですが、トイレは汲み取り(水洗ではない)でブレーカーの容量は少ないので、エアコンの設置もままならないと思ったものです。
エリアを限定しBSアンテナなどを取り外し、完全に文化資産として保存されないと将来は無いと思ったものです。
エディさん、あの~その~と言ったところでしょうか。ただ似たような長屋は、現在の明石にもあることは事実です。決定的な違いは建設年でしょうか。今回紹介のニッケは紛れもなく戦前のもののようです。
お隣との壁が、開き戸一枚とはスゴイですね。一応、建築基準法では界壁なんぞが義務付られているほか、防音処置も必要となっております。建築基準法の施行が昭和25年・・・エディさんの長屋はそれ以前かもしれませんね。
まささん、意外とありそうで無い風景です。私は子供の頃にタイムスリップしたかと思いました。
このニッケの社宅群ですが、映画「火垂るの墓」やTVドラマ「砂の器」のロケに使われたようです。記事には紹介しませんでしたが、地元の自転車に乗ったおばさんにお聞きすると、近所の方は「今日も撮影か・・・」という感じでロケ慣れされているようです。(笑)
T2さん、「女工」と聞くと映画「あゝ野麦峠」を思い出すのですが、実は私の地元のである明石のJR土山駅近くには、東洋紡の明石工場がありました。
この東洋紡の明石工場ですが、現在のイオンタウン(旧ダイエーハイパーマート)とウェステージ明石のマンション群の場所です。地元の長老さんにお聞きすると、朝夕方の土山駅は東洋紡の女工さんで大変な賑わいだったそうです。
今の中国・・・タイもそうかもしれませんね。こんなところにも就職難の原因が見えてきます。
今の中国あたりも、こんな感じなのでしょうかねぇ?
こうやって見ると映画の撮影にはもってこいだと思います^^
実際にロケの風景や美人の女優さんにも遭遇出来て良かったですね^^
こちらではまだフツーに現役です(笑
たかが10年前くらいまでうちの実家は
3軒長屋で家の中で開き戸1枚でお隣さんと
行き来できてましたから。
今の二世帯住宅の他人版?w
ニッケ社宅群、私も行ったことがあります・・・
桜の季節でしたが、非常に綺麗だったのを覚えてます・・・
ここ数年でいくつかの住宅は取り壊されたとか・・・(“火垂るの墓”のロケに使われた住宅も・・・)
なるべく長く残してほしいのですが・・・・・