
今回は、前回までの孫のお宮参りで行った千葉・東京の番外編で、新橋駅と駅前に置かれているSLを紹介しましょう。
SLは新橋駅の西側に置かれていますが、東側にもD51の動輪と鉄道唱歌の歌詞プレートが置かれています。

なぜ新橋駅にSLの動輪?ですが、これは日本で初めての鉄道営業となった、新橋~横浜駅間の記念です。もっとも当時の新橋駅は現在の日本テレビ近くであり、横浜駅は現在の桜木町駅となります。
新橋駅です。アーチ形の出入口は戦前の高架駅舎の特徴。レンガが張られています。


アーチ上部には、SLも描かれた駅名表示。

西側のSL広場に置かれたC11-292号機。前日の選挙の横断幕がメチャ邪魔。^^


横断幕が写らないアングルで撮影。手入れが行き届いており、C11にとっては安住の地のようです。C11-292号機の特徴として、戦時中の製造簡易化のため砂箱と蒸気ドームは角形です。




新橋駅と鉄道の歴史を紹介するパネル。

鉄道発祥を紹介するパネル。

C11を紹介するパネル。されど「姫路機関区所属」の紹介だけでは寂しい。(涙)

代わりに、私がC11-292号機の紹介です。(“デゴイチよく走る!-機関車データーベース”のサイトから引用)
1945.02.11 日本車輌名古屋で新製。配属は大阪局。配置は姫路区
1946.04.01 姫路区→姫路第一区
1972.08.09 姫路第一区→品川区
1972.09.16 廃車。品川区最終在籍SL。走行距離 1,083,975km
1972.10.14 新橋駅西口広場にて保存
1972.10.26 東京南鉄道管理局長と東京都港区長との間で無償貸与契約締結
上記のとおり、C11-292号機は、製造後、全て姫路機関区に配置され現役を終えたことになります。つまり、一度も新橋駅はおろか関東方面を実走したことが無いのです。1972年といえば播但線が無煙化となり、蒸気機関車が余剰となった年。そんなところで、展示蒸気機関車が欲しかった(必要だった)品川機関区に引き取られたのでしょう。私的には「姫路に返してください!」と言いたいところ。^^
こんなことを思っていると、選挙の横断幕の撤去が始まりました。

あらためて撮影。


これにてSLの撮影も終了。西側にも、井川遥さんのサントリー広告があります。

さらに盲導犬の銅像。

こんな銅板のパネルがありますが、川内康範さんは有名な脚本家。「月光仮面」や、アニメ「日本昔ばなし」が有名です。

それでは、新橋駅と西側に置かれているC11の紹介はこれぐらいで。この度のC11-292号機ですが、私が子供の頃に乗った播但線の客車を牽引していたかもしれません。私が小学生の頃の播但線は、まだまだ蒸気機関車が一杯走っていました。
そんなところで、帰宅して自身のPC内のSL画像を検索すると、C11-292号機の現役画像が見つかりました。ナンバープレートの292か293の判別が難しいのですが、293号機は門司や小倉方面に所属。ほぼ間違いなく、播但線か姫新線を走るC11-292号機でしょう。

またネット検索でも、画像を発見。ホームに入った画像は姫路駅かな?

こちらは新橋駅前に置かれる時でしょう。後方の「笑の泉」の建物は建て替えられ、現在は井川遥さんのサントリー広告が設置されている建物です。

SLは新橋駅の西側に置かれていますが、東側にもD51の動輪と鉄道唱歌の歌詞プレートが置かれています。

なぜ新橋駅にSLの動輪?ですが、これは日本で初めての鉄道営業となった、新橋~横浜駅間の記念です。もっとも当時の新橋駅は現在の日本テレビ近くであり、横浜駅は現在の桜木町駅となります。
新橋駅です。アーチ形の出入口は戦前の高架駅舎の特徴。レンガが張られています。


アーチ上部には、SLも描かれた駅名表示。

西側のSL広場に置かれたC11-292号機。前日の選挙の横断幕がメチャ邪魔。^^


横断幕が写らないアングルで撮影。手入れが行き届いており、C11にとっては安住の地のようです。C11-292号機の特徴として、戦時中の製造簡易化のため砂箱と蒸気ドームは角形です。




新橋駅と鉄道の歴史を紹介するパネル。

鉄道発祥を紹介するパネル。

C11を紹介するパネル。されど「姫路機関区所属」の紹介だけでは寂しい。(涙)

代わりに、私がC11-292号機の紹介です。(“デゴイチよく走る!-機関車データーベース”のサイトから引用)
1945.02.11 日本車輌名古屋で新製。配属は大阪局。配置は姫路区
1946.04.01 姫路区→姫路第一区
1972.08.09 姫路第一区→品川区
1972.09.16 廃車。品川区最終在籍SL。走行距離 1,083,975km
1972.10.14 新橋駅西口広場にて保存
1972.10.26 東京南鉄道管理局長と東京都港区長との間で無償貸与契約締結
上記のとおり、C11-292号機は、製造後、全て姫路機関区に配置され現役を終えたことになります。つまり、一度も新橋駅はおろか関東方面を実走したことが無いのです。1972年といえば播但線が無煙化となり、蒸気機関車が余剰となった年。そんなところで、展示蒸気機関車が欲しかった(必要だった)品川機関区に引き取られたのでしょう。私的には「姫路に返してください!」と言いたいところ。^^
こんなことを思っていると、選挙の横断幕の撤去が始まりました。

あらためて撮影。


これにてSLの撮影も終了。西側にも、井川遥さんのサントリー広告があります。

さらに盲導犬の銅像。

こんな銅板のパネルがありますが、川内康範さんは有名な脚本家。「月光仮面」や、アニメ「日本昔ばなし」が有名です。

それでは、新橋駅と西側に置かれているC11の紹介はこれぐらいで。この度のC11-292号機ですが、私が子供の頃に乗った播但線の客車を牽引していたかもしれません。私が小学生の頃の播但線は、まだまだ蒸気機関車が一杯走っていました。
そんなところで、帰宅して自身のPC内のSL画像を検索すると、C11-292号機の現役画像が見つかりました。ナンバープレートの292か293の判別が難しいのですが、293号機は門司や小倉方面に所属。ほぼ間違いなく、播但線か姫新線を走るC11-292号機でしょう。

またネット検索でも、画像を発見。ホームに入った画像は姫路駅かな?

こちらは新橋駅前に置かれる時でしょう。後方の「笑の泉」の建物は建て替えられ、現在は井川遥さんのサントリー広告が設置されている建物です。

姫路に置いていたら・・・ココまでは出来なかったかも???
機関車もいろんな機種があるんですね。
小さい頃、機関車というとデゴイチというものなんだと思い込んでいました。
ということは、やはり一番台数が多かったとか、普及していた機種なのかな?
しかし横断幕をそんなところにかけなくても・・・と思いました。
姫路でも、御立公園のC57はメチャキレイに保存されています。福崎町は無理かな?駅前広場には置くスペースがあります。
されど新橋駅前では、小型のC11。これは駅前広さの大きさで、全長の短いタンク型(C11,C12etc)になったのでしょう。
確かに、わざわざ蒸気機関車に付けなくても・・・ですが、新橋駅のホームからよく見えるのです。しかも凸凹があって、ロープで付け易い(^^)。こんなところで、横断幕が付けられたのでしょう。
されど、蒸気機関車ファンにとっては悲しい。最初見た時は、ガッカリでした。
ピッカピカのC11!・・・以前、ツーリングで一緒に行った“旧小松島駅のC12”とはエライ違いです・・・(-_-)
ワタクシは、小6の修学旅行でSLに乗った記憶が・・・とにかく、“汽笛の音と煙”が印象的だったのを覚えています・・・(^^)
旧小松島駅のC12は懐かしい。悲しいほどサビが進んでいました(涙)。経済的に管理するのが難しいのでしょう。
小学校修学旅行の蒸気機関車ですが、伊勢への修学旅行であれば、草津~柘植までの草津線でした。ただ1972年10月には無煙化(SL引退)となりましたので、グッチさんは最後の年のSL乗車だったと思います。(^^)
一日に何本かのSLが走っていましたよ!
駅に行く高架の上から見物していると
ものすごい煙と独特の香りと音で
迫力がありました。
煙突最上部の通称「クルクルパー」すなわち
排煙機が真面に見えるので子供心に
SLが近づいてくる音が聞こえると
一目散で高架の上へ走りました・・・(笑)
客車はC系の機関車で貨物はD51でした。
もっと幼少の頃は実の父親がSLで編成された
貨物列車の最後尾の車掌車「ヨ」に乗務しており
引っ込み線の待機所で母親と手作りのお弁当を
届けた記憶がございます。
客車のCと貨物のDは、一般的な蒸気機関車の運用。Dタイプの動輪径は小さいので、バイク・クルマでいうローギャード仕様。速度は出ませんが、牽引力はあるので貨物に向いています。
そうですか。車掌車に乗られていましたか。家内の父親は姫路機関区で運転手。この度のC11を運転していたかも?です。