舞子駅東側の自由通路を渡って海側に到着です。そして東に向かって進むと孫文記念館となりますが、先ずは遠方の旧武藤山治邸に向かいます。
旧武藤山治邸に到着です。
旧武藤山治邸とは武藤山治氏が明治40年に建てた洋館ですが、武藤山治氏が亡くなった後は鐘淵紡績(鐘紡)に寄贈され、「鐘紡舞子倶楽部」という保養施設として利用されました。
前回の旧木下邸よりも古いですが、やはり洋館ということで現代的な感じです。
それでは、いくつかの部屋を紹介しましょう。食堂と居間です。どちらも暖炉があります。
そして応接室です。家具も当時の物がありますので、座ることはできません。
階段を上がり2階に行ってみます。
書斎です。
2階の居間です。家具類も含めて、これだけのものが明治時代に造られたとは驚きです。庶民が下駄やわらじで歩いていた頃、都市部では恐るべき財力を持った方がいたのです。
この日はGX7でしたので、ちょっと気合を入れて撮ってみました。(イマイチかな~)
旧武藤山治邸を後にして、最後に向かうは孫文記念館です。舞子に住んでいた私にとっては孫文記念館ではなく八角形の移情閣です。この建物も明石海峡大橋建設のため、やや東側に移築されています。
ここでも、お花を入れての気合写真です。
さて孫文記念館ですが、この建物は旧木下邸や旧武藤山治邸とは違い、孫文や辛亥革命などを紹介する施設となっています。そんなところで、こんな展示内容です。
孫文や辛亥革命についての解説は割愛しますが、孫文は評価するのが難しい人物です。あえてコメントは止めておきましょう。
肝心の移情閣ですが、ワンフロアだけ入ることができました。天井を見れば、八角形であることがお分かりかと思います。
ちなみに、こんな苦しいポジションで撮影しています(笑)。写真は体力を要する趣味です。家内撮影です。
最後は、グッチさんの総理風写真です(笑)。孫文は、まさか淡路島に橋が架かるとは想像もしなかったでしょう。
最近は何かとバタバタの上、この日は天候も不安定だったので近場でのジュークとなりました。ゆっくりとマジェで走りたいですね。
旧武藤山治邸に到着です。
旧武藤山治邸とは武藤山治氏が明治40年に建てた洋館ですが、武藤山治氏が亡くなった後は鐘淵紡績(鐘紡)に寄贈され、「鐘紡舞子倶楽部」という保養施設として利用されました。
前回の旧木下邸よりも古いですが、やはり洋館ということで現代的な感じです。
それでは、いくつかの部屋を紹介しましょう。食堂と居間です。どちらも暖炉があります。
そして応接室です。家具も当時の物がありますので、座ることはできません。
階段を上がり2階に行ってみます。
書斎です。
2階の居間です。家具類も含めて、これだけのものが明治時代に造られたとは驚きです。庶民が下駄やわらじで歩いていた頃、都市部では恐るべき財力を持った方がいたのです。
この日はGX7でしたので、ちょっと気合を入れて撮ってみました。(イマイチかな~)
旧武藤山治邸を後にして、最後に向かうは孫文記念館です。舞子に住んでいた私にとっては孫文記念館ではなく八角形の移情閣です。この建物も明石海峡大橋建設のため、やや東側に移築されています。
ここでも、お花を入れての気合写真です。
さて孫文記念館ですが、この建物は旧木下邸や旧武藤山治邸とは違い、孫文や辛亥革命などを紹介する施設となっています。そんなところで、こんな展示内容です。
孫文や辛亥革命についての解説は割愛しますが、孫文は評価するのが難しい人物です。あえてコメントは止めておきましょう。
肝心の移情閣ですが、ワンフロアだけ入ることができました。天井を見れば、八角形であることがお分かりかと思います。
ちなみに、こんな苦しいポジションで撮影しています(笑)。写真は体力を要する趣味です。家内撮影です。
最後は、グッチさんの総理風写真です(笑)。孫文は、まさか淡路島に橋が架かるとは想像もしなかったでしょう。
最近は何かとバタバタの上、この日は天候も不安定だったので近場でのジュークとなりました。ゆっくりとマジェで走りたいですね。