杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

消えた朝鮮通信使伝承

2008-11-20 18:08:08 | 朝鮮通信使

 夕べ(19日)はアイセル21で静岡県朝鮮通信使研究会の総会があり、映画『朝鮮通信使』の監修でお世話になった北村欽哉先生の講話「消えた朝鮮(通信使)伝承」に聞き入りました。

 

2008111919080001  朝鮮通信使の研究は県内外はもちろん、日韓両国でも現在進行中の分野なので、昨年の映画脚本執筆時には解明されていなかったことや、北村先生ご自身が新たに発見したことなどがたくさんあって、夕べのお話もすごく刺激的で面白かった! あまりにも面白かったので、時間があった今日の午前中、先生のお話に出てきた日本坂や丸子の周辺をさっそくドライブしてきちゃいました。

 

 

 

 静岡には『日本平』と『日本坂』という地名があります。地元の人間にはおなじみですが、静岡以外の人は、日本平といえば富士山の景勝地、日本坂は東名高速道路のトンネル火災事故を記憶する人も多いと思います。両方とも日本武尊にちなんだ呼び名と言われ、昔は“やまと平(ヤマトタケルが平定した地)”、“やまと坂(ヤマトタケルが越えた坂)”と呼ばれていたそうです。

 

2008111919060000  平凡社の「静岡県の地名(2000年)」、角川書店の「静岡県地名大辞典(1982年)」、静岡新聞社の「静岡大百科事典(1978年)」など最新の調査結果に基づいたであろう地名関連書籍などでも、この説を採っていますが、北村先生は、1834年に記された「駿河国新風土記」に、“日本坂という地名は日本武尊が越えた道だからと伝えられているが、本当だろうか? 神祖(=徳川家康)がこの地に遊行した折、この地を朝鮮ヶ谷と命名したという説もある”とあるのを見つけました。家康が朝鮮ヶ谷と命名した説は、1842年に書かれた「なこりその記」、1843年の「駿国雑志」にも紹介されています。

 

 

 ところが1861年の「駿河志料」以降の文献には、日本武尊のことしか載っておらず、家康命名説は1956年に松尾書店から発行された「史話と伝説」にあるものの、“家康が狩りの時にここに来て、日本一の景色だと褒め称えたことから日本坂と言うようになった”とあり、朝鮮の文字は見当たらないそうです。

 

 

 静岡と焼津の境にあり、日本坂につながる満観峰(標高470m)のハイキングコースには、「朝鮮岩」と呼ばれる眺望ポイントがあります。ここから静岡の長田方面に広がる一帯は、「朝鮮ヶ鼻」と呼ばれていたそうです。北村先生の調査では、「駿河国新風土記」「駿国雑志」「駿河村誌」(1881年)に“朝鮮岩”もしくは“朝鮮巌”の記述があり、家康が用宗城を攻めたとき、朝鮮岩と呼ばれる大きな岩の上に幕を張り、陣取りしたとか。

 また「朝鮮ヶ鼻」は、1806年に書かれた「東海道分間延絵図」と「駿河志料」に地名が書き込まれています。いずれも、なぜ「朝鮮」の名が付けられたかは説明がありません。

 

 

 

2008111919080002  日本坂周辺に「朝鮮」の地名が点在する確かな理由は、北村先生にもわからないそうですが、朝鮮渡来人は古来より絶えず日本にやってきて、秦氏のように織物や土木技術を伝えた優秀な一族も多くいました。朝鮮の人々は、今よりもずっと身近な存在だったと思います。

 もっとも、「朝鮮」という言葉は、李氏朝鮮王朝ができてから、日本では室町以降のことなので、先生は「秀吉の朝鮮侵攻で拉致されてきた被虜人がこの一帯に住んでいたのかもしれない。彼らは奴隷売買されて各地に連れてこられたから」と推測します。その後、朝鮮との国交を回復させ、朝鮮通信使を招聘した家康が、日本坂を“朝鮮ヶ谷”と命名した、と考えるのも不思議ではありません。

 

 

 

 

 

 国道1号線の丸子から岡部・藤枝方面に向かう途中に、赤目ヶ谷というところがあり、起樹天満宮という小さな神社があります。1843年の「駿国雑志」によると、神社の梅の木が街道側に傾いて、朝鮮通信使の行列の妨げになるので切り倒そうとしたところ、一夜にして梅の木は神社側に起き上ったという故事があるそうです。

Dsc_0008  ところが1861年の「駿河志料」では、建久元年(1190)に源頼朝が上洛するとき、社前の梅が駅路に横たわっていたので枝を切ることになったが、梅の木は一夜にして起き上ったとあり、それ以降の文献やガイドブックはこの頼朝説のみを採用しています。

 

 

 一方で、延享4年(1747)の史料に“朝鮮通信使が通る道に支障があってはいけないと、並木や枝を整えるよう代官がこまかく指示をした”という記述もあります。

 梅の木が一夜にして起き上ったという伝説はさておき、頼朝一行の通行よりも、旗鑓を高く掲げて行進する通信使一行の支障になるという理由のほうが現実的です。

 

 

 

 なぜ、日本坂や起樹天満宮の縁起が、日本武尊や頼朝伝承に書き換えられたのか…。記述に大きな変化が表れたのは、いずれも、1861年に書かれた「駿河志料」からです。

 「駿河志料」の筆者は、なぜ、わずか27年前に書かれた「駿河国新風土記」にある日本坂=家康の朝鮮ヶ谷命名説を無視したのでしょうか?

 なぜ、わずか18年前に書かれた「駿国雑志」にある起樹梅=朝鮮通信使通行説を無視して、頼朝説を用いたのでしょうか?

 そして、明治以降の研究家は、なぜ「駿河志料」の説だけを採るのでしょうか?

 

 幕末当時、ガタついていたとはいえ、まだ治世者だった徳川方が書かせたのなら、神祖家康や家康の功績である朝鮮通信使のことを無視したとは考えにくく、この手の地方誌を手がけた市井の学者レベルにも、反徳川・国学至上主義が浸透していたのではと思われます。

 

 北村先生は、「明治になって征韓論が勃興したといっても、明治政府が作った教科書には、朝鮮通信使のことがきちんと記されている。むしろ、市井の研究家のほうが時代の雰囲気に流され、客観性を見落としがち。はるかに情報が進んでいるはずの20世紀以降の研究家たちも、過去を正しく見ようとしていない。歴史研究家ならば、伝説まがいの話であっても、文献が書き残していることを無視してはいけないし、文献を選り好みしてはいけない」と言います。

 

 

 私も、一応、大学で歴史を専攻してきたんですが、夕べの先生のお話で初めて、歴史を学ぶ上で最も基本的で最も大切な姿勢を教わったような気がしました。

 

 

 

Dsc_0012  今日は小坂から車で行けるところまで行ってみようと思ったのですが、あいにく通行止め。長田方面から入ろうとしましたが、朝鮮岩までは「歩いて1時間はかかる」と地元の人に言われ、満観峰ハイキングはあきらめ、起樹天満宮の参拝だけで終わりました。

 冬の快晴日、満観峰からの富士山の眺めは絶景のようです。家康公が好んで遊行したという日本坂。地元なのに、知名ひとつ取っても、まだまだ知らないことがたくさんあって、家康公ゆかりの知られざる場所があるんだなと実感しました。

 

 

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  なお、今朝(20日)の静岡新聞でも紹介されていた、県文化政策室発行の『朝鮮通信使散策ガイド』は、北村先生の監修によるもので、家康と通信使の関係などをわかりやすく紹介しています。

 

 先生監修で私の脚本デビュー作『朝鮮通信使』DVDも、静岡市内の図書館で無料レンタルできますので、ぜひご覧くださいね!


静岡吟醸 in NPO自治体フォーラム

2008-11-19 11:23:10 | NPO

 17日(月)~18日(火)は、静岡市内で『NPO活動推進自治体フォーラム静岡大会』が開かれ、県NPO情報誌ぱれっとコミュニケーションの取材&裏方サポートで、2日間、びっちり会場に詰めていました。

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 今年で5回目を数えるこのフォーラムは、10年前にNPO法制定に尽力した堂本暁子千葉県知事(当時は参議院議員)らが呼びかけ、新たな公共の担い手となりつつあるNPOが行政といかにパートナーシップを築いていけるかを考えようとスタートし、千葉、横浜、滋賀、佐賀と巡回して今年は静岡の番。17日にグランシップで開かれた全体会では、基調講演者に堀田力氏(財団法人さわやか福祉財団理事長)、シンポジウムには堀田氏、千葉県の堂本知事、静岡県の石川知事、渡部勝氏(NPO法人たすけあい名古屋)、飯井野雄二氏(NPO法人赤目の里山を育てる会/三重県)、駒崎弘樹氏(NPO法人フローレンス/東京都中央区)が登壇し、意見交換を行いました。

 

 正式な?レポートはぱれっとコミュニケーション誌面に回すとして、以下は、一個人としての感想です。

Dsc_0030_2  まず、堂本知事の来静で、なぜか異様なほどの警備体制だ、上川陽子さんの大臣時代より厳しかったとあちこちで聞き、何か特別な事情でも??と思いつつ、ぱれコミ制作担当者に「舞台に近づいて写真を撮ってもいいよね」と確認をして撮りに行ったら、県側に「前3列より後ろへ下がれ」といきなり肩を掴まれました。スタッフ証を見せ、「県の情報誌取材ですよ」と言ってもダメ。ところがその横を、千葉県と静岡県の腕章をつけた人がスーッと通って最前列でバチバチ撮り始めました。

 

 後で制作担当者に「ごめん、堂本さんのセキュリティで会場スタッフがピリピリしているみたいだ」と言われました。私も、その制作担当者も、情報誌の制作を県から委託されているNPOの一員として末端現場を走り回っているのに、こんな“差別”をされると、壇上で「行政とNPOの協働」を謳っているのが虚しく聞こえます。

Dsc_0007  写真は後で県にもらうからと言われましたが、行政記録用の写真と、雑誌掲載用の写真では当然、撮り方が違います。情報誌の誌面や本文に添えるにはどの角度から、どういう表情を使うべきか、特にライターもエディターも兼ねている私は、それなりに誌面をイメージして写真を撮っているので、“足を引っ張られた”感はぬぐえません。いい情報誌を作ろうという思いは、委託側も受託側も同じなはず…。やっぱり、これだけの規模の大会となると、県民向けの情報誌の存在なんてチリみたいな扱いになっちゃうんですかね。

 

 

 そんな忸怩たる思いでシンポジウムを聞いていたら、若干29歳で病児保育支援活動を都内屈指の福祉NPO事業に育てた駒崎さんが、発足当初「事務所が中央区にあるため、中央区の職員から“うちに問い合わせが来て困る”とクレームをつけられ、行政を頼れないと実感した」と吐露し、名古屋の渡部さんは「NPOは安い下請けではない、“対等な協働相手”だという意識を徹底してもらいたい」、三重の飯井野さんは「行政は、もっとこういう地域にしたい、だからこの協働事業もこうしたい、という主張を示してほしい。でなければ、そのうちにNPOが行政を見放す時代になる」と明言され、溜飲が下がる思いがしました。

 

 

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  翌18日、あざれあで開かれた分科会では、40~60人ぐらいのグループ5つに分かれて、テーマに応じた活発な意見交換がなされました。そもそも参加者の7割が自治体職員なので、なんとなく行政マンの研修会的な雰囲気で、雑誌の画としては面白みはありませんでしたが、一人ひとりの職員は、少しでも情報や人脈を持ち帰ろうと真剣な表情でした。

 Dsc_0062 私は、パワーポイントで事例発表するのをただ一方的に聞く、といったいかにも研修会的な画ではなく、「この人、何を求めてこの大会に来たんだろう」「何をつかんだんだろう」という視点で写真を撮り、各会場の参加者をウォッチングしました。

 

 

 

  ところで、1Dsc_00387日夜、グランシップ6階の交流ホールで開かれた歓迎交流会は、NPO法人活き生きネットワークが運営を任され、大道芸のパフォーマンスや、一人該当アンケートによる静岡みやげのプレゼント&自己紹介タイムなどを企画し、盛り上がりました。

 

 Dsc_0031 参加者は北海道から鹿児島まで全国から集まっているので、ここは地酒でもてなそうと、活き生きネットワークから頼まれて吟醸酒のブースを設置したところ、おかげさまで2時間、客が途切れることなく、ひっきりなしで、たくさんの方に喜んでいただけました。「ふだん自分じゃ買えないクラスの酒を味見させてあげるから」と急きょ手伝いに呼び寄せた天晴れ門前塾の学生も、味見する間もないほど大忙しでした。

 

 酒通の集まりではないが、日頃、全国各地の地域活動に尽力していて、静岡の特徴は何だ?とある意味、鋭い眼で見る人たちです。ここは、ベストなラインナップを揃えようと、セレクトしたこの5種。

 Dsc_0032 ふだん日本酒は飲まないが、せっかく静岡に来たんだから地酒の一つも覚えて帰ろうという人、地元で地場産品の普及振興にかかわっていて、静岡ではどんなPRをしているんだろうという人、酒どころ(新潟、広島、山形)からの参加者として日本酒はチェックしておかねばという人、この手の宴会で酒がすべて純米大吟醸だったことに驚く人、サミット晩さん会の銘柄(磯自慢)を目ざとく見つけた人など、目的は実にさまざま。

 それでもほとんどの人が、「どれもおいしい!」「ついお代わりしたくなる」と笑顔笑顔。「どこで買えるの?」とさんざん聞かれ、市内の酒屋さんや居酒屋さんの紹介までするはめに。大会時の緊張した表情はどこへやらです。

 

 

 人だかりに目をつけた地元の銀行マンが、ブースに割り込んでお客さんに勝手に酒を注ぎ、ついでにちゃっかり自分の名刺を撒いています。ストップをかけようにも、本人もさんざん飲んで真っ赤な顔で「静岡の酒、美味しいでしょう?」と幸せそうな笑顔を振りまくので、とめようがありません。自分が酒ブースの主みたいな顔で名刺交換してました(苦笑)。

 

 

 18日の分科会でも、さかんに言われていたのが、「行政も、NPOも、とにかくお互いの考えをよく理解し合う努力が必要。まずノミュニケーションで腹を割って話し合おう」ということ。「飲み会のために予算を使ったっていいじゃないか」という意見もありました。もちろん、飲み会は、協働事業を円滑に進めるための手段であって、目的になってはいけませんが、行政マンも、こうして一人ひとり、酒を仲介に話をすると、ホントに地元への愛着が深くて一生懸命で真面目な人たちなんだということがわかります。

 

 

 しずおか地酒研究会でも、いろんな肩書きを持つ人が集まり、肩書きだけでは分かり合えないものがたくさんある、ということをつねづね感じています。酒は、そんなときにやわらかな接着剤になってくれます。いい酒であればあるほど、多くの人をつなげてくれます。

 初めて飲んだ静岡吟醸をいたく気に入って、初対面の人にも「これ、うまいから呑んでみなよ」と薦め、そのうちに名刺交換して、その場で地域談義に花が咲く・・・そんな光景がたくさん見られたこの夜は、静岡吟醸の存在に、改めて、感謝感謝の思いでいっぱいになりました。

 

 

 最後に、私もめったに一度に飲めないラインアップのひと言感想を、ライター的表現で。

①磯自慢 純米大吟醸ブルーボトル ~錦織のマントを羽織った貴婦人の風格

②國香 純米大吟醸斗ビン囲い生 ~黒髪のクールビューティー

③喜久醉 純米大吟醸松下米40 ~貝の中でふっくら丸く輝きを帯びた真珠

④正雪 純米大吟醸 ~キャリアウーマン、休日のハジけたお洒落

⑤開運 純米大吟醸 ~セレブ女性誌のグラビアマダム

*丸数字は、空瓶になった順番です。


天晴れ門前塾スタート

2008-11-17 09:25:33 | しずおか地酒研究会

 県内大学生の自主運営による課外ゼミ『天晴れ門前塾』第4期がスタートしました。5人の社会人講師がそれぞれの得意分野をテーマに、来年3月までの約5ヶ月間、学生たちにさまざまな学びの機会を提供する講座。過去ブログでもご紹介したとおり、私が組長(講師)を務めることになった<素頭記(すずき)組>では、以下のようなテーマで、地酒そのものと、地酒を伝える手段について考えるワークショップを行います。

 

 

天晴れ門前塾第4期 素頭記(すずき)組

「テーマ/呑む、観る、伝える」

 

日本酒のことを知っておくと、年上の友人が増えます。海外の人ともコミュニケーションがはずみます。
地酒のことを知っておくと、地元の水環境、農業、酒蔵のある地域の歴史もわかります。

酒造りは、自然の発酵物をコントロールする日本人のモノづくりの繊細さとプライドの証し。
知っておくと、日本人であることが、なんだか嬉しくなってきます。
そんな地酒の価値を、今、ドキュメンタリー映画に残すプロジェクトを進めています。

目に見える価値と見えない価値・・・どうやったら第三者に伝えられるか、映像作りの価値も含めて、現場でいろんなこと、体験してみませんか?

 

 

 

 

 昨日(16日)夜は、アイセル21の会議室で最初の顔合わせ。集まった4人は女子ばかりでビックリしましたが、日曜の夜に、単位が取れるわけでもない課外講座に、わざわざ出向いてくるなんて、マジで学ぶ意欲のある学生たちです。頼もしい! 

 

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  ゆうべは挨拶がわりに、私が過去に執筆や編集にかかわった地酒関連の雑誌を回覧してもらい、県が制作したビデオ『名水あり静岡県は酒どころ』と、私が作っている『吟醸王国しずおか予告パイロット版』の2本を観てもらいました。

 

 映像に真剣に観入りながら、メモを取ったりする彼女たちを見ていると、自分が学生だったときの自堕落さが思い起こされ、心の中で赤面してしまいました。

 

 

2008111619430000   彼女たちが生まれた頃から地酒を取材をしていた自分に、こうして地酒を語り伝える機会が与えられたということは、もちろん、いろいろな方々の紹介や配慮があってことですが、何か、目に見えない力に導かれて、今、こういう境遇に置かれているんだなぁと思います。

 

 

 目下の悩みは、参加者の一人がまだ未成年(大学1年生)だということ。彼女に、地酒の美味しさを伝えるのに、どんな“現場体験”をさせようか、悩ましいところです。呑めない相手に酒の価値を伝える手段を考える…これはこれで、やりがいのある“挑戦”かもしれませんね!

 

 

 素頭記組への参加は、今からでも大丈夫。県内の大学・短大・専門学校に籍を置く人なら誰でもOKですから、ぜひ事務局へお問い合わせください!


災害救助犬静岡を訪問

2008-11-16 10:31:01 | NPO

 昨日(15日)は静岡県NPOネットワーク情報誌『ぱれっとコミュニケーション』の取材で、菊川市のNPO法人災害救助犬静岡を訪問しました。

 

 

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 今夏、富士山麓のオートキャンプ場で行方不明になった幼児の発見・救出に貢献した救助犬ピピのことは、ニュース報道等でも耳にされたと思いますが、ピピが所属しているのがここ。発足は、阪神淡路大震災の年なので、かれこれ12年余、活動している団体ですが、私自身、ピピのニュースを聞くまで、静岡県で救助犬を養成している団体があることを知りませんでした。

 

 

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 地震や洪水といった大災害はもちろん、地域で起きるさまざまな行方不明事故に出動しながらも、ニュースになることがほとんどないそうで、応対してくれた専務理事の清水隆さんは「今回、ピピの活躍によって注目していただけたことは、長年活動に携わってきた者として本当に嬉しい」と実感を込めて語ります。清水さんの表情は、この手の活動が生半可な気持ちでは続けられないということを如実に語っていました。

 

 

 救助犬が警察犬と基本的に違うのは、一般の家で飼われているペットであるということ。災害救助犬静岡は現在、会員が60名ほどで、うち、犬を飼ってここで救助犬訓練を受けている人が20名ほど。毎週土曜日、菊川町にある訓練施設に集まって、飼い主が愛犬を訓練させるのです。一般的な躾ではなく、ガレキや倒壊家屋に見立てた場所に、サポート役の人が隠れて、それをひたすら探し出すという、あくまでも救助能力を鍛える訓練です。

 

 

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 警察犬の場合は、ある特定の臭いをひたすらかぎ分け、その痕跡を追うという訓練をしますが、救助犬の訓練は、生命反応があって、なおかつ身動きできない人の気配を探すというもの。動き回る人には反応しません。ピピに発見された坊やも、あちこち動かず、一ヶ所でじっとしていたことが発見につながったそうです。

 そして、うまく見つけたときには、これでもか!というぐらい褒めてやって、犬が喜ぶボールや餌を与えます。

 

 

 

 当たり前のことですが、ワンちゃんたちは人間を救出するぞ!なんて高尚な精神で危険な現場に足を踏み入れるわけではなく、見つけたらご主人さまに褒められる、ご褒美がもらえる!という目的のため、ひたすら探し続けるわけですね。他の犬より要領が悪かったり、時間がかかると、「お前はホントにバカ犬だなぁ」とこづいたりする人も、無事、発見できたときは、顔をくしゃくしゃにして「よーしよしよし」と全身で抱きとめる…。

 

 昨日は、静岡朝日テレビの取材クルーとバッティングしてしまったので、訓練の様子を遠巻きで眺めていただけですが、犬というのは、人からこんなにも愛情を注がれる対象なんだ…と改めて思い知らされました。「がんばればご褒美がもらえる」という人への信頼と服従が、犬は他の動物よりもケタはずれに強いからなんですね。

 

 

 

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 そんな、人と犬との絆の深さがしみじみ伝わる救助犬訓練。菊川の訓練施設には、西は三重県や愛知県、東は裾野や御殿場あたりからも会員が通ってきます。

 そして捜索要請があれば、会員は一般の災害ボランティアと同様に、現場まで自費でかけつけ、すべて自前で活動します。

 報酬といえば、生存救出に成功した際にいただく感謝状ぐらい。といっても、生き埋めになった人の救出は時間との勝負なので、現場で犬が捜索活動を始めるまでタイムラグがあると、当然、救出率は低くなります。救助犬の活動があまりニュースにならない、スポンサードしてくれる人も少なく、活動運営も楽ではないというのは、そういう事情もあるようです。

 

Dsc_0008  ちなみに、警察犬や救助犬と聞くと、シェパードやゴールデンレトリバーといった大型犬を想像しますが、コーギーや柴犬みたいな小型犬でも大丈夫。大型犬は広くて高い場所、小型犬は狭くて低い場所を捜索するというように、災害現場で想定されるあらゆる捜索個所に応じられるよう、どんなサイズの犬でも受け入れています。

 

 いろんな犬と一緒に訓練するので、ちゃんと躾ができていないと、訓練どころじゃなくなりますが、ひととおりの躾はちゃんと付けてある!と自信のある愛犬家は、一度、見学に行かれてはいかがでしょうか? もちろん、躾からお願いしたいという場合は、会に所属している訓練士さんに個別依頼することもできるそうです。

 

 

 私はペットを飼った経験はありませんが、愛犬の秘められた能力を引き出し、それが社会貢献につながるなんて、想像するだけでも素敵なこと!

 何より、茶畑に囲まれた広々とした訓練所で、ワンちゃんが得意そうな障害物をかいくぐって思う存分走り回っている姿だけでも、見る価値ある!と思います。

 

 


記憶に残る文書の書き方

2008-11-14 09:31:58 | 国際・政治

 今週は、日中は農業の取材、合間に来週開催のNPO活動自治体フォーラム静岡大会の打ち合わせ&天晴れ門前塾(静岡大学課外講座)の準備、夜は衆議院議員上川陽子さんの政策ニュースの編集と、一日のうちで、いくつもの作業が同時並行していて、頭がこんがらがってます。どれ一つ手が抜けないんですが、前回紹介したセルリー農家田邊さんの「楽しんでやらなきゃ」の笑顔を思い出しては、しんどい中でも楽しいこと、ワクワクすることを見つけようと努力しています。

 

 

 ゆうべ読んでいた上川陽子さんのインタビュー集の中で、これは記録というよりも、記憶に刻み込んでおきたいと思える一文を見つけました。

 

 

  陽子さんは8月まで内閣府特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画・公文書管理)を務めていました。少子化対策や男女共同参画は、すぐにイメージできるのですが、公文書管理って何?と思いますよね。わざわざ担当大臣を付けてまで政府が取り組むことなの?と。

 

 

 私は、政治や行政にかかわる原稿を書くときは、いい意味での“素人目線”を軸にするので、最初にパッと見て感じた「これって何?」「どんな意味がある?」という素朴な疑問に、自分で答えを見つけるような構成を意識します。

 

 

 

 公文書管理とは「年金記録問題や防衛省関係文書の問題などで、行政文書には統一的な管理ルールが確立されておらず、公務員自身の意識が薄い。そこで、もっと構造的に本来あるべき文書管理の在り方を見直し、民主主義の基盤を作っていこうということ」なんだそうですが、こういう書き方だと、行政資料みたいでサラ~ッと目を通して終わりって感じ。記憶には残りません。

 私がチョイスしたのはインタビューのこの部分。

 

 

 

(尾崎)7月に有識者会議の中間報告をさせて頂いたのですが、この報告書のタイトルが『時を貫く記録としての公文書管理の在り方~今、国家事業として取り組む~』。実はこのタイトルは上川議員が考えられたんですね。非常に良いタイトルなので委員全員大賛成で決まったのですが、意図していることは何でしょうか?

(上川)これは論語の『わが道は一を以て之を貫く』という言葉に基づいて考えました。孔子の心の中には確固たる理想があり、その考えはひとつに統一されているというような解釈があります。孔子の人生観だと思います。

 人としての人生観と同じように、国としての国家観という哲学も、やはり貫かれていなければいけない。では何を貫いているのか。

 たとえば私自身の人生の営みというのは一定の限界があるけれども、国家としての営みは「記録」というところに集約することによって、過去から現在、未来へと時を貫いていくことが出来る。国家として正しい仕事をし続けるための背骨の部分だと思います。

 この「記録」という国民の共有財産を大切にしていく文化を育むこと。これを国家の事業として取り組んでいこうということです。

 昔、奈良の大仏様を国民の力を結集して国家事業としてつくり、国家としての拠りどころ・アイデンティティーを造った。同じように「公文書管理」を国家事業として取り組むことによって「記録」をベースにしたアイデンティティー、日本人としての誇りを持つことにもつながる。そういう思いを織り込みました。(以下略)

 

 

尾崎護氏との対談「公文書管理の在り方」 ~トーハン発行「新刊ニュース」200811月号より

(尾崎 護氏/元大蔵事務次官。083月より「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」座長)

 

 

 

 

 

 

 公文書管理という硬~いテーマの読み物に、一見、縁のなさそうな「孔子」「人生観」「奈良の大仏」「アイデンティティー」といったキーワードが出てくると、オヤッと興味がわいてきます。硬くて難しそうなテーマであればあるほど、誰もがイメージしやすい簡易な言葉で、しかもテーマとは異なるジャンルや一見、脈略がなさそうな言葉を使うことで、意外なツボが刺激される…ミステリー小説なんかに見られる手法かもしれません。

 

 

 内容自体は硬いものですが、陽子さんのこの受け答え、知性と配慮が行き届いた、記憶に残るメッセージだと思います。

 と同時に、ライターという職業を得た私には、「書いて残す」という作業の普遍的な価値を、改めて実感させる一文でした。