杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

中條先生の思い出

2008-11-04 12:24:00 | アート・文化

 過去ブログで何度か身体に染み付いたと紹介した“ナムカラタンノートラヤーヤー”のお経『大悲呪』。夕べもこれを唱える場にしばし身を置きました。

 夕べのナムカラタンノーは、読誦された宝泰寺のご導師が、不思議なリズムをつけて読まれたので、興聖寺の座禅で唱えるときとは何か別モノのような気がしました。同じ臨済宗妙心寺派なのにいろいろ流儀があるんですね。

 

 駿河蒔絵師の中條峰雄先生のお通夜。

 69歳で逝ってしまわれた先生のお顔は、映画『おくりびと』で納棺師が施したような、ていねいな化粧顔で、闘病で苦しまれた最期のご様子は想像できませんでしたが、私が知っている先生のふくよかなお顔よりも一回り小さくなられて、「人は肉体から魂が抜けると本当に小さくなるんだ、魂って大きいんだなぁ…」と実感しました。

 

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 先生に初めてお会いしたのは20年前。当時、編集を担当していたJA静岡中央会の情報誌『四季ORIORI』の、“私とお茶”というコーナーで、県内の芸術家のアトリエを訪ねて創作の合間のいっぷくのお茶の時間について語ってもらうという取材でした。

 以来20年、このコーナーでお会いし、今も変わらずおつきあいいただいているのが、中條先生と、先生が紹介してくださった松井妙子先生でした(笑っていいとものテレフォンコーナーみたいに、作家が次の作家を紹介するという連載でした)。

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 昨年5月に清水で行われた映画『朝鮮通信使』の完成披露上映会には、作家仲間とご一緒に足を運んでくださいました。

 「ぼくら、徳川さんに召集された職人の末裔だからね」と言われ、改めて、「そうか、駿河の漆器や蒔絵の伝統が、こうして今もつながっているんだ」と実感したものです。

 自分が手がけた映画が、そういう方々に観てもらえたということも、想定外の喜びでした。

 

 

 中條先生は、お酒にお強い方というわけではありませんでしたが、私が始めたしずおか地酒研究会に発足当初から入会してくださり、お時間のあるとき参加してくださいました。そのうちに奥様の良枝さんもご一緒されるようになり、PTA仲間と初亀醸造の蔵見学を企画され、私が案内役を買って出たり、6月の志太平野美酒物語には毎年ご近所のお仲間を引き連れて参加されました。ある年には、吟醸酒の抽選にご夫婦で2本当たり、大喜びされたことも。

 

 いつもは先生のために入手困難なチケットを事前に確保していたのですが、今年は映画撮影やら何やらでウッカリしていたら、チケットがほとんどなくなっていて、先生から問い合わせのお電話をいただいた時は完全ソールドアウト。「真弓さんに頼めば何とかなると思ったのに~」と恨み節を買ってしまいました。電話口でひたすら謝り、10月の県地酒まつりのチケットは必ずご用意しますとお約束をしました。

 

 先生が具合を悪くされたのは、その電話のやり取りの直後だったと良枝さんから聞き、なんて不義理をしてしまったんだろうと歯ぎしりしました。

 

 

 先月見送った高島さんも、中條先生も、私が必死に酒を追って、会を作って、いろんな壁にもぶち当たってもがいていた頃から応援してくださった大切な方。

 覚えたての『大悲呪』を、大切な方を見送るためにこうも立て続けに唱えることになろうとは。 

 

 夕べはほかに、白隠禅師の『坐禅和讃』も唱えました。

 「私たち凡夫も、もともとは仏で、水と氷のようなもの。水を離れて氷はなく、凡夫のほかに仏はない」と温かく語りかける白隠さんのお経は、先生に志太美酒のチケットを渡せなかったことを今も後悔している私の心をほんのり癒してくれましたが、今度は、先生に『白隠正宗』を呑んでいただきたかったな、と新たな後悔が生じます…。

 

 悔いて悔いて、初亀や白隠正宗を呑むたびに先生を思い出してまた悔いる…。これも供養のカタチ、なのかもしれません。