杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

ウズベキスタン視察記(その8)~サマルカンドの今昔

2018-01-10 16:37:37 | 旅行記

 サマルカンド2日目の夜は自家栽培の野菜が味わえる農家レストランで家庭料理を堪能し、二次会には夜はダンスホールに早変わりするダイナーに。意外なことに、遅い時間でも女性客が多く、しかも、幼い子どもを連れた若いママ、その母親と祖母というように、母娘3代そろってお酒を飲んだりダンスを楽しんだりしていたのです。結婚式の二次会のようなファミリーグループもいました。ふつうの女性がとにかくみんなモデルさんみたいに美しくて、同じフロアに立つのを躊躇しちゃうくらいでしたが、彼女たちは日本人にとても友好的。向こうから一緒に踊ろうとか、一緒に写真を撮ろうと声をかけられ、ツアーの男性諸氏は終始デレデレ状態でした(笑)。

 今回の旅では、ホテルでは必ずといってよいくらい結婚式、レストランでは祝宴、観光地では新婚旅行中のカップルに出合いました。平日でも休日でも年がら年中、結婚式があるんだなあと驚いたのですが、通訳のマルーフさんによると、ウズベキスタンの結婚平均年齢は男性22~27歳、女性19~22歳ぐらいで学生結婚が多いそうです。女性は25歳を過ぎると完全に晩婚扱い。そういえば私が20代のころは日本でも「女性の賞味期限はクリスマス」なんて言われて憤慨してましたっけ(苦笑)。

 とにかくこちらでは結婚式というのは大変なイベントで、朝は新婦の家でプロフ(ウズベキスタンのピラフ)を招待客の1.5~2倍分(300人招待なら400~600人分)は用意し、お昼は新婦宅で新郎が食事。夜は新郎が正式な結婚式を執り行い、真夜中まで延々と宴会になります。2日目は朝、新婦が新郎の一族1人につき3回挨拶礼をし、昼は新郎がプロフを食べながら初夜のアドバイスを受けるそう。夜、新婦は処女である証拠!を紙3枚に残さねばならず、結婚後、すぐに子どもが出来ないと病気が疑われるそうです。そう聞くと、ギョッとしちゃいますが、日本がかつてそうだったように、国が成長発展していく過程で人権に対する意識も少しずつ変化していくのでしょう。

 イスラム教では、天国へ行くには死ぬまでにやらなければならない5つのことー①神に疑いをもたない、②毎日5回のお祈り、③年1度のラマダン(断食)、④年収の4分の1を寄付、⑤死ぬまでにメッカを参拝するーがあるそうです。社会主義体制から独立し、自らの力で国を豊かにしていこうとする若い世代がこのような戒律や伝統習慣をどんなふうに継承していくのか、日本の戦後の高度経済成長時代の社会と重なるのか異なるのか、注目していきたいと思いました。

 

 10月17日、サマルカンド3日目の朝は、早起きした男性諸氏とホテルの周辺を散歩しました。

 

 新市街の中心、ウニヴェルスィチェッティ大通りとレギスタン通りの交差点に建つのはティムールの堂々とした像。その近くのルハバット廟モスクで日の出時間のお祈りに参加することができました。外をうろうろしていたら、管理人さんが入れ入れと気さくに招き入れてくれたのです。意味は分かりませんでしたが人々が唱和するコーランはとても心地のよい調べ。後で調べたら、このルハバットとは「霊の棲家」という意味で、預言者ムハンマドの遺髪を治めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあるそうです。ちょっとビックリ。

 

  日中は中央アジア指折りの名所・シャーヒズィンダ廟群と、中央アジア最大級のビビハニム・モスク、そしてサマルカンド観光の名所ジョブ・バザールを巡りました。

シャーヒズィンダ廟群にはティムールゆかりの人々の11の廟がほぼ一直線に並びます。メインストリートの両側に立ち並ぶ霊廟の美しさは言葉にはできないほど。サマルカンドが「青の都」「イスラムの宝石」と称される意味がよくわかりました。

 

 ウルグベクが造った入口の階段は数えながら登り、帰りも数えながら下って同じ段数だったら天国に行けるそうです。私は後ろを振り向いては写真を撮ったりしていたので、途中から数えるのをあきらめました。

 「シャーヒズィンダ」は“生ける王”という意味で、なんでもムハンマドの従兄クサム・イブン・アッバースが布教中に異教徒に首をはねられてしまうが、自らの首を抱えて礼拝し続け、深い井戸に入って眠りにつき、イスラムが危機に陥った時、復活する・・・そんな伝説が残っているそう。アッバース廟はモンゴル襲来のときも破壊されずに残ったサマルカンド最古の建造物で、ここを3回参拝するとメッカに行ったのと同じ効力があると信じられているそうで、世界各地から観光や巡礼にやってきた人々でにぎわっていました。せっかくなので我々も礼拝所におじゃまして、伝説の英雄に黙とうを捧げました。

 

ビビハニム・モスクはティムールの美妃ビビハニムゆかりのモスク。1399年、ビビハニムはインド遠征から凱旋帰国する夫ティムールのために当代随一の巨大モスクを建て始め、5年後に完成。その1年後にティムールは亡くなります。なんでもいわくつきの建物らしくて、イケメン建築家がビビハニム妃に恋焦がれ、彼女の頬にキスをしたらその後がアザになってしまい、帰国したティムールに発覚。激怒したティムールは建築家を処刑し、妃は生涯黒いベールで顔を隠すことに。落成後は礼拝中の信者の上にレンガが落下する事故が続き、度重なる地震で一部崩壊もし、現在は完成直後の60%しか残っていないとか。あらら。

 モスクの中庭にはウルグベクが寄進した大理石の巨大なラウヒ(書見台)が置かれています。タシケントのハズラティ・イマーム・モスクにあった世界最古のコーランを置くためのもので、ラウヒの周囲を3回廻ると願い事が叶うという言い伝えもあるそうです。

 ビビハニム・モスクに隣接したジョブ・バザールは庶民も観光客も楽しめる一大青空市場です。クレジットカードや日本円は使えませんが米国ドルはOK。観光客向けの店では現地通貨よりも米国ドルのほうが計算もしやすく値切りもしやすく、日本では10万円ぐらいするペルシャ絨毯を見事3万円でゲットした人もいました。なにせ現地のお札スムは、1000(約14円)、5000、10000、50000と、とんでもないインフラ通貨。その場で円に換算して交渉するなんてとても無理でした(苦笑)。

 

ウズベキスタンの人気のお土産は干しブドウとナッツ類。バザールの業者さんで一人だけ異様に売れ行きの良いおじさんがいて、自然にみなが集まって、みんなで値切り交渉をして楽しいお買い物ができました。人気店だけあって、干しブドウもナッツも日本では味わったことのない美味しさでした!(つづく)


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