杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

ウズベキスタン視察記(その1)温厚で親日の国

2017-12-26 18:33:54 | 旅行記

 だいぶ報告が遅くなってしまいましたが、今年10月13日から20日まで(一社)静岡県ニュービジネス協議会の2017年度海外視察事業で中央アジアのウズベキスタンに行ってきましたので、何回かに分けてレポートします。

 

 ウズベキスタン。サッカー日本代表が戦ったことがある国かなぁと記憶する程度で、世界地図で迷わず位置を示せる日本人、そうは多くないんじゃないかなと思います。

Google mapより

 かくいう私も、シルクロードのオアシス都市「サマルカンド」や「ブハラ」の名は知っていたものの、今のウズベキスタンがどういう国なのかまったくわからず。興味を持ったのは、2014年2月にFM‐Hi『かみかわ陽子ラジオシェイク』で、当時、総務副大臣だった上川陽子さんが政務三役としては初めて14年1月に訪問された話をうかがってからでした。トークの内容を一部ご紹介します。

 

 

(鈴木)ウズベキスタンというと歴女の自分にとっては中央アジア、シルクロードのオアシスというイメージが強いのですが、多民族国家で、かつてはモンゴル帝国やソビエト連邦に支配され、カザフスタンとかアフガニスタンなどと国境を接し、日本からは想像もできない歴史を背負った国なんですよね。

 (上川) そうですね。地政学的に言えば中央アジアの真ん中に位置する、海のない内陸の砂漠の国。しかも海に出るまで国境を2つ越えなければならない二重内陸国です。世界にはリヒテンシュタインとウズベキスタンの2カ国しかありません。おっしゃるとおり日本とはまったく違う風土を持つ国で、旧ソ連崩壊によって1991年に共和国として独立し、カリモフ大統領が91年の建国以来、政権をとっています。

 石油、石炭、天然ガス、金など豊富な資源を持つ国で、外貨を得るため積極的に外交に力を入れています。92年に国連に加盟したほか、欧州・大西洋パートナーシップ理事会 (EAPC)、平和のためのパートナーシップ (PfP)、欧州安全保障協力機構 (OSCE)、イスラム協力機構 (OIC)、中央アジア5カ国の経済協力機構 (EC)、上海協力機構(SCO)、ユーラシア経済共同体(EAEC)に加盟しています。ヨーロッパやアジア各国ともバランスをもって全方位外交に取り組んでいるようですね。とくにドイツやトルコとの関係が強いようです。一方で隣接するアフガニスタンの過激派が国に入ってこないよう神経を遣っています。

鈴木)日本とのかかわりというと、あまりピンとこないのですが。

(上川) 実は安倍政権は、ウズベキスタンを中央アジアのフロントランナーとして重視していまして、私が先駆けとなって政務三役として訪問し、この後、岸田外務大臣や麻生財務大臣も現地を訪問する予定です。

(鈴木)地政学的にはヨーロッパに近いようですが、ウズベキスタンの人々は日本にどんな印象を持っているのでしょうか。

 (上川) 資源エネルギー保有国としては未開拓の国ですから日本にとって魅力的であることは言うまでもありませんが、ウズベキスタンの方々は、実は非常に親日的なんです。

(鈴木)そうなんですか! 

 (上川) 年配の方はご存知かもしれませんが、第二次世界大戦後、シベリアに抑留された日本人捕虜は首都タシケントにも送られ、学校や劇場など首都の主だった公共建造物の建設工事に従事しました。中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場であるナヴォイ劇場もそのひとつで、設計者はボリショイバレエ劇場を設計した人です。この劇場は、1966年のタシケント地震で、他の多くの建造物が倒壊した中、全くの無傷だったそうです。日本人捕虜が過酷な強制労働にも関わらず、見事な仕事をしたということで、現在も、ウズベキスタンでは親日感情が非常に高いんですよ。

(鈴木)そうだったんですか、知りませんでした。

 (上川) 日本人墓地を訪問したときは、なんともいえない熱い思いがこみ上げてきました。亡くなられた方々の出身地が墓標に刻まれており、静岡県出身の方もお2人いらっしゃいました。タシケント市役所の方々にご案内いただいたんですが、国を挙げて墓地を整備されたようです。戦争捕虜という過酷な状況下でも、日本人としての矜持を決して失わず、手抜きをせず、与えられた仕事をきちんとこなし、後の世の友好関係の礎となった方々に対し、自分もこれから恥ずかしくない仕事をしなければ、と痛切に思いました。

 (鈴木)そういう地に、政務三役として初めて陽子さんが足を踏み入れたということですか・・・非常に重いミッションだったんですね。

 (上川) 大変タイトな日程で公式行事は1日しかありませんでしたが、有意義な会談ができました。カリモフ大統領は2020年までにICT分野で各省庁にミッションを与えており、各省庁のICT事業を統括するセクションのトップと覚書を交わしてまいりました。気象衛星を活用し、アラル海の灌漑用水を管理するプロジェクトを提案しました。

 ウズベキスタンは、かつて、ソ連の経済政策で綿花の栽培に力を入れ、大地から水をどんどん汲み上げていきました。しかしこの地域は元来、降水量が少なく、綿花の栽培には向いていない土地ですので、近年とくに砂漠化が進み、灌漑元であるアラル海の縮小や塩害などに悩まされています。また、綿花栽培に農地の大半を割いているため、食料自給率は半分以下という状況です。

 このことは、開発と自然保護のあり方、農業政策のこれからを考える上で、非常に大きな課題で、日本でも、世界でも、どの地域でも抱えている問題といえるでしょう。ICTの導入によって環境の変化をしっかりと分析し、アセスメントを行い、この地域で自然環境と人間の暮らしが共生できるあるべき姿を示していくことが、日本にできる大きな国際援助のひとつではないかと実感しています。

 さらに医療分野では周産期医療システムについて、日本でも過疎地で運用が始まっていますが、その分野でのICT活用を提案してまいりました。

 (鈴木)ウズベキスタン政府側の期待も大きいのでは?

 (上川) あちらからみれば、どれもこれもやってもらいたいというものです。人材を養成しながら具体的なプロジェクトを動かしていけるよう、力を尽くしてまいりたいと思います。

(鈴木)今まで縁のないと思っていた遠い外国の国が、とても身近に感じられるようになりました。写真で見ると、ウズベキスタンの人ってアジア系で、日本人にも似ていますね。

 (上川) 日本への憧れが強く、タシケント市には日本語センターがあり、語学やビジネスを学ぶ市民が多くいます。たまたま夜間コースを見学させてもらったんですが、20人ほどのクラスがチームになり、日本に行きたい、日本の企業で働きたいと熱心に学んでいました。非常に心強かったですね。

 実はJICAの技術研修制度を利用し、ウズベキスタンから日本へ研修にやってきて、母国に戻って活躍中、というビジネスマンがいます。ちょうど彼らとランチをともにする機会に恵まれまして、日本語や英語を交えて交流を図りました。日本で大変いい経験ができたと喜んでいました。

<かみかわ陽子ラジオシェイク 2014年2月18日オンエアより>

 

 

 このラジオトーク以来、ウズベキスタンという国名が頭に焼き付いて、静岡県ニュービジネス協議会の海外視察先を検討する会議があったとき、いち早くビジネスの芽を発掘に行ってみてはどうかと提案したのですが時期尚早だったよう。その後、外務大臣や財務大臣、そして2015年に安倍首相が公式訪問したことで日本―ウズベキスタンの国際交流がグッと促進され、2016年8月まで駐ウズベキスタン特命全権大使をお務めだった加藤文彦氏が静岡県ニュービジネス協議会の鴇田勝彦会長の経産省時代の後輩というご縁、協議会会員の矢崎総業が日本ウズベキスタン・シルクロード財団の法人会員だったというメリットが働いて、今年の視察先に決まったのでした。

 出発前には加藤前大使と日本ウズベキスタン・シルクロード財団のマンスール代表理事がわざわざ静岡へお越しになり、ウズベキスタンの国情や視察ポイントを解説してくださいました。

 加藤氏が挙げたポイントは7つ。

①人口が多く、若い。・・・1991年に旧ソ連から独立した中央アジア5カ国 “カトウタキ~カザフスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・キルギス” のうち、人口は最大の3200万人。うち30歳以下が過半数。面積は日本の1.2倍。

②緑豊かな土地・・・昔から農耕定住民族が暮らすシルクロードオアシス。2つの大河アムダリア・シルダリアがあり、農産物が豊富。主要作物は綿花とスイカ。

③豊かな地下資源・・・ガス、金、ウラン、レアメタルが豊富。天然ガスは世界7~8位の産出量。中国がガスパイプラインを敷設。

④安定した政治・治安・・・カリモフ前大統領(2016年9月逝去)が91年の独立以降、25年間統治。治安秩序を最優先し、国による強力なインフラ開発を進める。経済自由化は徐々に進展。GDP1人当たり2100ドル(ベトナム、ミャンマー並み)。

⑤温厚・親切な国民性・・・マハラ(町内会組織)が地域の共同体として機能し、失業者やホームレスがほとんどいない。マハラの清掃活動によって町にゴミはほとんど落ちていない。イスラム教国だが信仰の自由が保障されている。酒も豚肉もOK。

⑥親日的・・・国立ナヴォイ劇場の建設等で日本人抑留者の業績を高く評価。若者の日本語習得熱も高い。

⑦日本の技術への強い憧れ・・・日本企業や日本製品の高い技術に尊敬の気持ちを持つ。

 

 この7ポイントだけでもウズベキスタンに興味が湧いてきませんか? 個人的には10代の頃から憧れていたシルクロードの歴史都市に初めて足を踏み入れるワクワク感も相まって、10月13日、20名の参加者とともに成田発のウズベキスタン航空直行便に搭乗しました。(つづく)



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