杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

静岡県の葬のローカル・ルール②葬を支えるライスパワー

2022-09-01 14:40:53 | 歴史

 前回の続きです。

 葬儀や法事のときにお供えするお餅やお酒。米というものが日本人の生死に寄り添うかけがえのない存在なんだと、今回の調査であらためて思い知らされました。葬を支えるライスパワーと題して、各地の風習を拾ってみました。

 

 

葬を支えるライスパワー

 稲作文化を持つ日本人は、米を生命力の源と考え、冠婚葬祭の場にも活用してきました。

 葬送儀礼では生米を始め、握り飯、餅、団子、酒といった米加工品がさまざまな形で使われます。全国各地に伝わる主な風習を挙げてみます。

〇危篤の病人の枕元で、竹筒に少量の米を入れて振って音を聴かせ、生き返るように願った。

〇亡くなると、近隣から手伝いの者がやってきて、喪家の戸外に炊事場を構えるか、別の家の炊事場を借りて玄米を炊き、死者のための「枕飯」「枕団子」を作る。「枕飯」は山盛りのご飯に箸をつきたてる。

〇湯灌や納棺、墓地の穴掘りなど、死者の身体と直接触れる者も、この「枕飯」「枕団子」を共食し、酒を飲んで作業に当たった。

〇墓地の穴掘り役が食べる握り飯は、必ず真ん丸にする。火葬の場合は、焼き場の担当者は夜通し酒を飲みながら作業した。

〇出棺前後には「食い分れ」の儀式として、ご飯、味噌汁、煮しめをそろえた膳、または握り飯、汁掛け飯、団子、餅を食べ、酒を一献飲む地域もあった。

〇葬儀のとき、死者と同年の者は絶縁のため、訃音が鳴るたびに「耳塞ぎ餅(小さな餅片)」で耳を覆った。

〇四十九日の席では「四十九餅」が振る舞われる。大きな丸餅1個と小さな丸餅49個を供え、49個のほうは本来、忌明けまでの49日間供えた風習に拠る。大きな丸餅は近親者で引っ張り合ってちぎって食べた。

〇四十九餅を人の手形や足形に見立てたり、大きい丸餅を胎盤、小さな49個を人の骨に見立てて食した地域もある。火葬の後、骨を噛んだり粉骨を食べる風習に関係していると思われる。

 

 

静岡県の“食い別れ”あれこれ

 静岡県にも、さまざまな名前の食い別れ餅が伝わっています。代表的なものでは静岡市清水区で盆の迎えや彼岸の入りのときに供える「チイチイ餅」。今も、区内の和菓子店が共同で、地域の行事菓子として伝承しています。

 実は、志太・榛原にはチイチイ餅によく似た「ハト」「サンコチ」という正月餅があります。「サンコチ」は女性の陰部を指す隠語。五穀豊穣や子孫繁栄を願って正月に供えられたと思われます。「ハト」は山梨のホウトウ、東北のハットウ、長野のオハット等、全国に似たような名前の郷土料理があり、いずれも手でちぎって握るカタチが基本とされます。

 似たような餅が、慶事にも弔事にも使われる意味について、民俗学者柳田國男によると―

 

「食物が人の形體を作るものとすれば、最も重要なる食物が最も大切なる部分を、構成するであらうといふのが古人の推理で、仍つて其の信念を心強くする為に、最初から其の形を目途の方に近づけようとして居たのでは無いか」と(柳田國男『食物と心臓』より)。

 

 柳田は、信州地方でミタマと呼ばれる三角形の握り飯を供える風習から着想し、餅はもともと心臓を模したものではないかと考察したのです。

 食い別れの餅であるチイチイ餅が、正月餅のハトやサンコチと形がよく似ているのは、ミタマをまつるという共通の意味があり、しかも米の力によって、ミタマ=いのちを指し示すよう心臓や女陰を模して作る。葬の場に用いられたのは、死者が浄土へたどり着くまでの力餅になれば、という思いがあったのかもしれません。

 餅をはじめ、県内各地で弔事に使われたさまざまな儀礼食について紹介します。

 

〇下田・南伊豆では玄米で作る黒団子を枕団子として供えた。近年は白米を搗いて醤油をからませ、着色した。

〇伊豆では彼岸の「入りボタ餅にアケ団子」を供える。彼岸の入りにぼた餅を、明けに団子を仏壇に供え、寺に白米や餅を持って墓参する。

〇御殿場付近では、戸外で3本組の棒に鍋を吊り、松明の火を用いて「オモリダンゴ」という枕団子を作った。作った団子をすべて盛りきることからその名が付いた。

〇裾野では出棺のとき、庭で餅搗きをした。臼と杵で出来る限り大きな音をさせて搗いた。搗いた餅は塩餡にし、葬儀や夕食でも振る舞った。

〇沼津・三島・御殿場の一部では葬儀でおはぎを出す。

〇富士・富士宮では弔事で「茶飯」を出す。水の代わりに番茶で米を炊く。

〇清水・庵原の「チイチイ餅」は子ネズミが丸まったような形の塩餡。出棺前後に死者と生者が最後に共食して縁を絶つ食い別れとして食べ、四十九日、盆や彼岸のときも寺へ持参する。ネズミのかたちに似ているから、その名が付いたというのが定説だが、 〈キチュウ(忌中)〉が語源ではないかという説もある。

〇静岡の竜爪山麓では明治頃まで「ボンメシ」という子どもの行事があった。盆の15日に14~15歳の娘たちが村の辻に集まって小豆飯を炊き、ナスやキュウリを煮て子どもたちに振る舞った。この飯を食べると夏病みしないといわれた。

〇大井川筋では米をすり鉢で摺り、食紅と砂糖を加えて棒状にし、薄く切って焼いた「すり焼き餅」を彼岸に供える。

〇榛南地区では焼香が済むと、「足軽餅」というあんころ餅を食べる。場所によっては出棺前、朝食べるところもあった。食べ方は、お箸1本で餅を突き刺して食べる。

〇浅羽では葬儀から3日後に精進落とし(=ミッカノモチ)として夜なべして餅を搗き、親類や寺などに配った。

〇遠州地方では四十九日に喪家の男性が米一升で一臼餅を搗く。「一生こんなことがあってはいけない」と一握りを除き、搗いた餅から「頭」「膝」「肘」と言いながら四十九餅を作り、寺へ納める。残った大きな餅は一升枡を伏せ、その底に乗せて包丁で切って塩を付けて食べた。これを食べると虫歯にならないといわれた。

〇精進落としの膳には豆腐やコンニャクが必ず付くが、遠州地方では、ひりゅうず(がんもどき)が出され、近年、持ち帰りに便利な堅パン「お平パン」に代わった。形が草履に似ていることから、故人の履物に見立て、2枚一組で売られるようになった。


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