杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

祝!「英君」静岡県知事賞受賞

2016-03-30 15:31:57 | しずおか地酒研究会

 先の20周年記念講演会でご紹介したとおり、今年の静岡県清酒鑑評会県知事賞(吟醸の部)は「英君」さんでした。

 ここ数年、県&全国の鑑評会出品酒をみるにつけ、英君さんの酒質の良さには目を見張るものがありました。1年前「杯が満ちるまで」の取材で現場に密着したとき、蔵元・杜氏・蔵人の一体感というか風通しのよさが酒質向上につながっているんだなと実感して、「杯が満ちるまで」のトリを飾っていただこうと思いました。

 

 蔵元の望月裕祐さんは、現場では早朝の蒸し米掘りの担当。蒸し上がった酒米を甑(こしき)からスコップで掘り起こして放冷機に移し、あら熱が取れた米を若い蔵人衆がカゴで麹室や仕込み蔵へと運びます。体力が要る作業ですが、皆さん、リズムと呼吸が見事に合っていました。

 

 

 取材したのは、昨年のちょうど大吟醸出品酒の搾りの日。出品酒は杜氏の粒来さんと頭の榛葉さんが、袋吊りで搾ります。

 

 

 

 以下は「杯が満ちるまで」の最終章のトリに書いた英君さんの原稿(草稿)の一部です。

 

蔵元と杜氏が共に刻む酒造の「いろは」

 私は平成10年(1998)の『地酒をもう一杯』執筆時に、県内全蔵元に長時間インタビューを行ない、酒蔵の経営者には社長、教授、エンジニアの3タイプがいることを実感した。中でも県内屈指の学者研究家だと思ったのが『英君』(由比)の故・望月英之介さんだ。

 望月さんは、仕込み水に使う由比川上流の桜野沢の湧水を良水にしようと、10メートルのタンク上から消防用ノズルを改良した霧吹き装置を考案し、上空1500メートルから降る雨水と同じ大きさの水滴にし、地下に溜め、ヤシガラ炭でろ過した。酒の大敵である鉄分が0.01ppmから、0.001ppmになり、この水で仕込んだ2期目の平成10年、全国新酒鑑評会で金賞受賞。受賞直後の取材だったので、望月さんは、この自家製湧水ろ過装置の話を夢中でされていた。そして「百人の飲み手のうち、英君を飲む人がたった一人しかいなくても、その一人を裏切らない酒を造ろうと努力してきた」と自身の哲学を語った。

 英君の代表ラベルにもなっている『いろは』は、縁戚にあたる芹沢介氏(染色家・人間国宝)に初めて全国で金賞を受賞したときの祝いに贈られたものだという。百人中たった一人の飲み手のために惜しまぬ努力とは、まさに酒造りの「いろは」だろうと思った。

 

 現蔵元の望月裕祐さんは、大手菓子メーカーでチョコレートの製品開発を6年経験している。ここで培った消費者向けの製品企画力を活かし、取引先の酒販店や飲食店が主催する試飲会にこまめに顔を出し、飲み手の声に真摯に耳を傾ける。蔵元が、製造開発メーカーの経営者兼開発担当者だと考えれば、大事な仕事である。これを可能にするのは、社員杜氏粒来保彦さん、経験豊富な副杜氏榛葉武さんの存在だろう。

 仕込みの時期、望月さんは毎朝の蒸し米作業で欠かせない掘り出し要員を務める。この作業に一般の見学者を参加させることもあるという。ファンにはたまらない体験サービスだが、昔なら余所者立ち入り禁止の仕込み蔵で働く杜氏や蔵人が、こういうことを容認するとは、いろいろな意味で時代の変化を感じる。

 杜氏の粒来保彦さんは昭和38年(1963)岩手県生まれ。といっても南部杜氏ではなく、岩手でサラリーマン生活を送った後、脱サラしてこの道に。英君に長く勤めていた南部杜氏古川靖憲さんのもとで20年修業し、平成23酒造年度から杜氏職を引き継いだ。副杜氏榛葉武さんは昭和44年(1969)生まれ。開運(掛川)の杜氏榛葉農さんの実兄にあたる。武さんは県内、県外の蔵を1社ずつ経験した後、英君に。別の蔵で会ったときに比べ、一目で「落ち着いたんだな」とわかるほど蔵に溶け込んでいた。

 昭和39年(1964)生まれの望月さんにとって、同世代の杜氏・副杜氏の存在は得難い経営資源である。古川さんが杜氏だった頃、英君では強カプロン酸系酵母を使用していた時期があった。全国新酒鑑評会で入賞するための常套手段だった。「今だから言いますが、カプロン系の香りが高すぎる酵母の酒は飲み疲れする。居酒屋でちびちびやるような酒ではない。静岡酵母や協会9号・14号の酒のほうが間違いなく杯が進む」と望月さん。「平成18年の全国金賞を区切りにして、カプロン系とはきっぱり決別した。静岡酵母一本でいくと決めたらすっきりした」。

 企業経営の“集中と選択”―限られた資源を最大限に無駄なく投下するという理論を当てはめるとしたら、望月さんは「静岡酵母でやる。外から杜氏は呼ばない。自分では造らない」との決断をした。この判断を、同世代の粒来さん、榛葉さんが受け止め、共有し、酒質の軌道修正に努めた結果、おこがましい言い方になるが、英君は、ひと皮向けた酒になったと思う。

 一般見学者が蔵の中で仕込み体験できるのも、2人の支えがあってのことだろう。「面白いからあれやろう、これやってみようと、彼らのほうから積極的に提案し、動いてくれる。本当に風通しがよくなりました」。そう言いながら、彼らの仕込み作業をスマホに撮り、せっせとSNSに投稿する望月さん。試飲会で出会った一人ひとりの客の顔を思い浮かべ、自社杜氏への信頼感を愚直に伝えているのだろうと思った。

 私は毎年欠かさず、東広島で開催される全国新酒鑑評会に参加し、静岡県の出品酒をいの一番に試飲している。平成27年(2015)5月27日に開かれた鑑評会では、あいかわらず強カプロン系の香り全開の会場でホッとしたのが静岡県コーナーであり、英君は、静岡酵母らしい酢酸イソアミル系のさわやかな香りと静かな余韻をきちんと表現していた。入賞は逃したが、間違いなく「杯が進む」酒だろうと実感した。

 蔵元と杜氏が歩みをそろえ、静岡らしい酒質の向上に汗を流す―30余年前に吟醸王国建設を始めた先達の「いろは」を、彼らはしっかり受け継いでいる。時代を共有する我らも、次の世代の飲み手に静岡の酒の味をしっかり伝えていかねば、と思う。

 

 自分にとっても感慨深い英君受賞をお祝いする会を急きょ、4月18日(月)にJR清水駅近くの店で開催することにしました。蔵元の望月さん、杜氏の粒来さん、蔵人の榛葉さんはじめオールキャストを囲んで、酒造りのディープな話を楽しみたいと思います。

 参加希望者は鈴木までメールでお問合せください! mayusuzu1011@gmail.com