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杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー「藤田千恵子さんと行く奈良京都酒造聖地巡礼」その2

2016-08-08 10:43:43 | しずおか地酒研究会

 奈良京都酒造聖地巡礼のつづきです。

 8月1日、大神神社はお朔日詣りの日。毎月1日のお朔日詣りは昨年の元旦にお詣りして以来です(こちらをぜひ)。このときは取材執筆中の「杯が満ちるまで」が無事刊行できるようにとお祈りし、今回は無事の刊行に感謝の報告をするお詣り。せっかく門前の宿に前泊したのだから早朝の静寂した時間帯にお詣りしようと、朝風呂に入って身を清め、7時前に出かけたら、参道や境内はお朔日詣りの人々でいっぱい。特別な例大祭でもない月次のお詣りにこれだけ多くの善男善女が集まるとは、この神社がいかに地域の人々に愛されているかが伝わってきました。

 今回のお詣りは、大神神社の分社である岡部の神神社を信仰する「初亀」の蔵元橋本謹嗣さんが、神神社を通じて事前に連絡を入れてくださったようで、焼津ご出身の大神神社権禰宜・神谷芳彦さんが我々一行の巡礼導師となってくださいました。ポケモンGO禁止の貼り紙は今年限定のトピックスかも!と橋本さんをモデルにみんなが記念撮影(笑)。

 

 

 大神神社のご神体は高さ467mの三輪山です。全山が杉、松、ヒノキで覆われ、太古より神が鎮まる聖なる山と仰がれ、大国主命が自らの魂を「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」の名で三輪山に鎮めたと記紀神話に記されています。

 大物主大神は国造りの神であり、農工商すべての産業、方除、医薬、造酒など人間の暮らし全般の守護神。境内には寛文4年(1664)徳川家綱によって再建された拝殿(重要文化財)以下、商売繁盛の「成願稲荷神社」、杜氏の祖先神である「活日神社」、薬の神様である「磐座神社」、知恵の神様「久延彦神社」などさまざまな摂社が点在し、全部をじっくりお詣りしたら丸一日かかってしまいそうでした。

 神谷さんが真っ先に案内してくださったのが、杜氏の神様活日神社(いくひじんじゃ)です。

 日本書紀によると、10代崇神(すじん)天皇の御代、疫病が大流行。天皇は大物主大神のお告げを受け、三輪山大神の祭祀を行い、高橋邑の活日命(いくひのみこと)にお神酒を醸す掌酒(さかひと)の任を命じます。活日命は一夜にして大変な美酒を醸し、天皇に

「この御酒は わが御酒ならず 倭なす大物主の醸みし御酒 いくひさ いくひさ」

という歌を捧げたそう。これによって、三輪の大神は酒造守護の大神になり、活日命は杜氏の祖神になったということです。

 

 神話の世界のお話ですから、いかようにも解釈できると思いますが、国が危機的状況に陥ったとき、酒がどのような存在感を示したのかを想像し、実際に酒造業にかかわる橋本さんや杉井さんはもちろんのこと、我々のような周辺の者もあらためて身が引き締まる思いがしました。

 

 こちらの記事にも書きましたが、大陸から稲作が入ってきて農耕社会が構築された弥生時代、もっとも大切にされたのはその年に最初に実る初穂で、初穂には大いなる霊力があると信じられていました。初穂と、初穂で醸された酒を神々に供え、そのお下がりを収穫祭でいただく。穀霊が宿った酒に対する人々の畏敬の念は計り知れなかったと思います。今の日本人が酒を必要とするのは、国が揺れ動くとき、というよりも、個人の心が(いいほうにも悪いほうにも)揺れる時、かもしれませんが、このような場所をお詣りすると、日本酒が日本人の民族の酒であると強く確信できる。昔から歴史が好きで神社仏閣巡りをしていた自分が、酒を伝える仕事をするのも、ごく自然に日本人たる己のルーツを辿る営みなんだろうと思えてきます。

 

 神谷さんにご案内いただいた最後のお宮が、大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)。三輪の若宮さまとして親しまれているそうですが、パッと見は神社じゃなくてお寺。それも道理で、明治以前は大御輪寺(だいごりんじ)という神宮寺で、仏像ファンならお馴染み天平仏の傑作・聖林寺の国宝十一面観音がご本尊だったそう!明治の廃仏毀釈で大御輪寺は神社に変わり、観音様は多武峰の聖林寺に移されたのです。明治以前、三輪の大神様のご子孫・大直禰子命と十一面観音様が並んでお祀りされていたころは、今でいう凄いパワースポットだったんだろうな…と想像し、日本の神と異教の仏をごく自然に受容していた神仏混合時代の日本人を、どこかうらやましく思いました。

 

 拝殿向拝の大杉玉、11月13日に架け替えられ、翌14日には醸造安全祈願祭(酒まつり)が斎行されます。今年はぜひ参拝したいなと思っています。ご神体の間近にレンズを向けるのははばかられましたので、写真はいただいた資料からコピーさせていただきました。

 


しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー「藤田千恵子さんと行く奈良京都酒造聖地巡礼」その1

2016-08-05 14:28:57 | しずおか地酒研究会

 7月31日~8月1日、しずおか地酒研究会の設立20周年特別企画として、日本酒ライターの大先輩で敬愛する酒食エッセイスト藤田千恵子さんと、奈良京都に点在する日本酒ゆかりの聖地を巡礼するツアーを催行しました。

 地酒研に藤田さんをお招きしたのは、2003年に東伊豆稲取での宿泊サロン以来。このときは観光地のホスピタリティや地酒の扱われ方について、静岡県の蔵元4人と藤田さんでトークバトルしていただきました(こちらこちらに記録してあります)。今年のお正月、20周年アニバーサリー企画として過去20年間に開催した好評企画にリトライしようと考えていたとき、藤田さんに真っ先に連絡をし、快くご協力いただき、実現できたのです。


 今回廻った聖地は、酒林(酒蔵の軒に吊るす杉玉)発祥の大神神社(奈良県桜井市三輪)、日本清酒(菩提もと)発祥の正暦寺(奈良市)、酒の神様松尾大社(京都市)の3か所。昨年上梓した『杯が満ちるまで』で酒造の起源について執筆したのがきっかけで、大神神社の分社である岡部の神神社を信仰する「初亀」の橋本謹嗣社長、菩提もと再現に取り組む「杉錦」の杉井均乃介社長に同行をお願いしたところ、お2人も快く参加してくださいました。

 行先はこれに加えて、藤田さんが懇意にされる久保本家酒造(奈良県宇陀市)、精進料理をいただいた酬恩庵一休寺(京都府田辺市)、イオンモールKYOTOに新規オープンしたオール純米酒の酒販店「浅野日本酒店」、最後は私が懇意にしている京町家「亀甲屋」でフィニッシュと、1泊2日のドライブ旅行にしてはかなりタイトなスケジュール。もともと20周年アニバーサリー企画を陰日向でサポートしてくれた会員と、車に乗れるだけの人数でこじんまり行くつもりでしたが、藤田さんの酒友を含めた計13名でのにぎやかな珍道中となりました。


 7月31日(日)は車2台で静岡を朝8時に出発。昼過ぎに奈良大宇陀の久保本家酒造に到着しました。旧伊勢街道一帯に広がる城下町として戦国時代から発展し、今も歴史的街並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている宇陀松山。その一角にある同蔵も、街並みを象徴するように、切妻造りの桟瓦葺(さんかわらぶき)、白漆喰の外壁に囲まれた堂々たる伝統家屋です。

 敷地内には昨年7月に「酒蔵カフェ」がオープン。水曜日から日曜日(午前11時〜午後4時)の営業で、3種の利き酒セット、酒粕を使ったスイーツ、糀(こうじ)ドリンク、仕込水コーヒーなどが楽しめます。3月に下見にうかがったときは平日午後の訪問で、利き酒セットを頼みましたが、土日にはランチ営業もしているということで、今回は到着後さっそくランチをいただきました。

 ランチは酒蔵らしい発酵食メニューがいっぱい。これで1200円はコスパ高!と全員大喜びでした。

 

 

 食事後は蔵元久保順平さんの案内で仕込み蔵の見学です。久保本家酒造といえば「初霞」「生もとのどぶ」で知られ、南部杜氏の加藤克則さんは生もと造りの名手として注目の人ですが、この時期は当然ながら蔵にはいらっしゃいません。久保さんは「僕なんかの説明ですみません」と恐縮しながら1階の釜場や仕込みタンク、2階の麹室や酒母室を丁寧にご案内くださいました。ちなみに久保さんは加藤さんを杜氏に雇用する前の数年間、ご自身で杜氏を務めた経験もおありです。

 酒蔵の環境や宇陀松山の土地柄についての解説では、さりげなく「万葉集の●●に詠われた」とか「大化の改新のころ」なんてフレーズが出てくる。日本広しといえども大化の改新を語る酒蔵なんて奈良の蔵しかないだろう~とみんなで唸ってしまいました(笑)。

 夏場、杜氏や蔵人不在で、“物置状態”になった蔵をいくつか見たことがありますが、不在中とは思えないほどピカピカで整理整頓が行き届いていました。酒母室の広さと清潔さは、この蔵が酒母造りをいかに重視しているかを体現しているよう。同じく生もとや菩提もと造りを手掛ける杉錦の杉井均乃介社長が、かなり突っ込んだ質問をされていましたが、同業他社の人にも過度なガードを張らず、技術をディスクローズするのが酒造業者のいいところ。逆に言えば、同じ道具・同じ手法で造っても同じ酒にならない酒造業の奥深さを、同業者同士の対話からもどことなく感じました。

 

 

 

 いただいた資料によると、久保本家酒造は元禄15年(1702)の創業。吉野から転居した初代久保官兵衛が「新屋(あたらしや)」という屋号で造り酒屋を始め、この地が交通の要所ということもあって手堅い商売をされていたようです。幕末期、6代目伊兵衛氏の2人の弟は吉田松陰、緒方洪庵、林豹吉郎、福沢諭吉等と親交があり、明治以降は洪庵から譲り受けた天然痘ワクチンを使って地域医療に従事したそうです。

 酒造業は8代目伊一郎氏の時代に大いに発展し、灘(兵庫県)に進出したり、県内初の乗り合いバスの松山自動車商会(現・奈良交通)や銀行(現・南都銀行)を創業。伊一郎氏は衆議院議員を4期務めた実力者で久保家も隆盛を極めたそうです。氏が急逝したとき後継の9代目順一氏はまだ19歳。バス、銀行事業は親戚に譲り、灘の酒蔵も手放し、本家での酒造業に専念するも戦争の時代に入って厳しい経営を余儀なくされます。戦後はいち早く製造復活をはたし、地域に初めて信号機を寄付したり万葉集の歌碑を建立するなど地域貢献に尽力。禅宗を信条にされていた順一氏は、大徳寺長老の立花大亀老師を自宅に招き、知人を集めて毎月禅講義を開催されたそうです。

 

 我々を迎えてくださった久保順平さんは1961年生まれの11代目。10代の頃は祖父の順一氏、父・伊一氏に反発し、大学卒業後は大和銀行(現・りそな銀行)に入行し、ロンドン勤務も経験されたそうです。しかし海外に出て初めて、家業や地域の得難い価値に気づき、1994年に退職してUターン。家業は曾祖父の8代目伊一郎氏の時代をピークに曲がり角に差し掛かり、灘に桶売りをしていた状況でしたが、静岡県の酒蔵が吟醸酒で“自立”の道を切り開いたように、久保さんも地酒蔵の強みを模索し、酒造りの同志を求めて全国を回って、生もと造りの技術を持つ南部杜氏の加藤克則さんと出合います。

  加藤杜氏と二人三脚で新たに確立した「初霞」「睡龍」「生もとのどぶ」は大きな評判を集め、今では生もと造りの銘醸として知られるようになりました。
 



 こちらは2008年、ウォールストリートジャーナルに掲載されたSAKEの特集記事。私が撮影した青島酒造の写真が掲載されたことは、こちらのブログでも紹介済みですが、偶然にも同じ紙面に久保本家酒造が掲載されていたことに気が付いてビックリ。「喜久醉」青島酒造の蔵元杜氏・青島孝さんも久保さん同様、家業継承を嫌って金融の世界に進み、海外で仕事をし、そこで改めて日本の地に足の着いたモノづくりの価値や自身のアイデンティティを見つめ直した人。不思議なご縁を感じます。


 蔵見学の後は、宇陀松山の歴史的街並みを散策し、16時に出発。約30分で宿泊地の桜井市三輪・大神神社門前旅館「大正楼」へ到着しました。夕食時には持ち込ませていただいた静岡の酒をたっぷり味わい、夜は大正楼の前から宿の浴衣のまんま、大神神社おんぱら祭り花火大会を見物しました。私にとってはこの夏初めての花火。なおかつ大好きな酒友たちと旅先で、ほろ酔い気分で見上げる夜空の大輪と打ち上げの音は、いっそう心に沁み渡りました。(つづく)



しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー第4弾「お酒の原点お米の不思議2016」

2016-07-17 14:56:40 | しずおか地酒研究会

  7月3日(日)、しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー企画第4弾として、静岡県の酒米・誉富士の育種を手掛ける静岡県農林技術研究所作物科三ケ野圃場(磐田市)を訪問しました。研究会発足直後の1996年6月、8月、10月と延べ3回にわたって、県内で本格的に栽培が始まった山田錦の圃場見学を行い、まさに「お酒の原点」である「お米の不思議」をフィールドワークで学んだ20年前を振り返ろうという企画(ちなみに誉富士の開発が始まったのは2年後の1998年)。当時参加したのは蔵元や酒販店など業界関係者だけでしたが、今回は一般参加者がメイン。20年前にも参加してくれたのは片山克哉さん(地酒かたやま店主)、松下明弘さん(稲作農家)の2人だけでしたが、この2人のおかげで交流会も大いに盛り上がり、20年の酒縁のありがたみをひしひしと感じました。

 

 作物科の研究は主に、水稲・畑作物の①新品種育成、②優良品種の選定、③水田の病害虫・雑草などの管理技術研究、④小麦の大敵・ネズミムギの防除技術研究、⑤新しい除草剤の適応性検定、⑥水稲小麦の低コスト&エコ&安定栽培のための新素材研究、⑦水稲小麦の原原種、原種の育成ーの7つ。今回は①②⑦について、研究スタッフの宮田祐二さんと外山祐介さんに丁寧に解説していただきました。

 米の新品種というのは、人工交配や突然変異の誘発(放射線を当てる等)によって優れた特性を作出し、選抜可能な世代まで3~5年間実験と観察を繰り返し、形質が優れた個体を選抜し、遺伝的特性などを系統的に見極めて選抜を進め、純粋な種を取るための『採種用』と、一般栽培特性(収量・食味・耐病性など)を検討する『試験用』に圃場を分けて実験を繰り返します。試験用圃場では、疎に植えたり密に植えたり、さまざまな植え方も実験していました。

 

 約3万6千平方メートルある三ケ野圃場。原原種・原種を育てる『採種用』の田んぼでは飯米用のコシヒカリ、にこまる、きぬむすめ。酒米では誉富士とその親筋にあたる山田錦の原原種が大切に育てられていました。米の原原種は原産地が管理を厳しくしており、兵庫県が原産地である山田錦の原原種を他県で育種する例はまれでしょう。

 宮田さんによると、山田錦の原種は昭和40年代に兵庫から静岡県農業試験場に入ったようで、それを累々と今まで継続して試験用の種を取っており、今年度、原原種を育成するために大規模に採種を始めたとのこと。また昨年度から、岡山県より「雄町」の正式な種子を譲ってもらい、これをベースに新品種の開発をスタートしたとのこと。正式に種子を譲ってもらえたのは望外の喜びだったそうです。
 長年、酒どころのイメージ同様、酒米産地のイメージが薄かった静岡県ですが、多くの研究者の地道な研究活動によって、純正種子を育種できるようになった。そのベースがあって生産者が安心して栽培に臨める。醸造家の手元に来るまでさまざまな人々の知られざる努力があったのです。ふと20年前の見学会を思い起こし、目頭が熱くなりました。 

 左下の写真、真ん中のブルーのポールから右が山田錦、左が誉富士の原種です。静岡県の酒米の生命線ともいえる貴重な田んぼです。

 

 見学会終了後は菊川に移動し、手打ちそば処「だいだい」で交流会。20年前、静岡新聞社より「そばをもう一枚」を上梓された先輩ライターである山口雅子さんがコーディネートしてくれたお店で大いに盛り上がりました。ピリッとわさびが効いたそばがきのまろやかさが、誉富士の軽やかな丸さに調和し、絶妙の味わいでした!

 

 

 しずおか地酒研究会の20周年アニバーサリーでなんとしてでも実現したかった20年越しの「お酒の原点お米の不思議」。強く願ったきっかけは、昨年上梓した「杯が満ちるまで」での取材でした。

 以下は収録しきれず、大部分を削らざるをえなかった草稿ですが、地元で酒米を育てるー名ばかりの地元米ではなく、真に静岡県の地酒としての酒質・品格を実現できる米作りについて粗削りに書き込んだ内容です。興味のある方はご笑覧ください。

 

 

酒米の王者・山田錦と松下米

 酒米の代表格といえば山田錦(兵庫県原産)と五百万石(新潟県原産)。この2品種で、全国の酒米作付面積の6割以上を占める。これを筆頭に、現在、約90品種の酒米が栽培されており、中でも平成12年(2000)以降、新品種に登録された米が36ある。まさに酒米百花繚乱時代であるが、栽培上や醸造上の欠陥があって、未だに昭和初期に生まれた『山田錦』を凌駕する米は出て来ない。

 大正末期に兵庫県で生まれた山田錦は、雄町の系統『短桿渡船』を父に、在来種の『山田穂』を母に持ち、昭和11年に命名登録された。

 酒米は食用米に比べ、大粒で、米の中心の心白(注)がクッキリ発現するという特徴がある。心白があると麹米を造るとき、麹の菌糸が中心部まで食い込みやすく、糖化力の強い麹米になる。この糖を栄養にしてアルコールにするのが酵母。酵母の働きを左右する醸造の要を、麹米の糖化力が担っているわけだ。この糖化力を左右するのが米の心白であり、菌糸の食い込みをコントロールするのが杜氏の手腕といえる。

 山田錦の重さは千粒重にして27g(コシヒカリは22g前後)とビッグサイズながら、心白は線状の一文字型でやや小ぶり。線状心白は精白したときに心白の位置が片寄って、部分的に露出することもあるが、この表面から心白までの距離の不均一さが、酵母の作用速度をうまくコントロールするようだ。心白の形状には他に「眼状」「菊花状」等があり、楕円や球形に近いほど高精白すると胴割れしてしまう。

 山田錦の線状心白は、親の山田穂、雄町、渡船から受け継いだ遺伝的特徴で、どういうわけか山田錦を親にして交配しても、線状心白はなかなか子孫にあらわれない。これが、山田錦を超える米がなかなか出てこない理由の一つと言われてきた。

 兵庫県で育成された米だけに、西日本が主産地で、静岡県は栽培適地ではないというのも通説だった。

 山田錦研究で知られた故・永谷正治氏(元国税庁酒類鑑定官室長)は全国各地で栽培適地を発掘する名人でもあった。平成8年(1996)、ちょうど私がしずおか地酒研究会を立ち上げた年、静岡県酒造組合が永谷氏を招聘し、県内を視察するというので研究会も便乗し、山田錦の試験栽培に取り組む開運(掛川)と花の舞(浜松)の契約農家を、永谷氏を先導役に蔵元や酒販店主と廻った。花の舞の杜氏土田一仁さんは「酒造りは装置産業ではない。原料をけちってはいいものは出来ない。山田錦の酒をしっかり造る蔵はファンがちゃんと支持してくれると思う」と、栽培への期待を熱く語っていた。   

 

 この年、藤枝でも一人の稲作農家が山田錦の栽培を始めた。松下明弘さんである。

 背丈の高い山田錦は、田植えの際は間隔を開け、一カ所1~2本という極少量の苗付けが望ましいが、到底、多収穫は期待できない。松下さんが平成8年に初めて有機無農薬栽培で作った山田錦は、永谷さんに言われるまでもなく少量ながら太く健康的で、空に向かってまっすぐ伸びた、それは素晴らしい稲だった。稲刈りを手伝った私も、素人ながら、「稲とはこんなに強く美しいのか」と感激した。山田錦の完全有機無農薬栽培を成功させた生産者は兵庫にもおらず、自分が刈入れを手伝ったあの稲が日本で最初だったということを後で知って、感動もひとしおだった。

 松下さんは、やせた田んぼをあえて耕さず、苗を疎に植えた。1本1本の苗を厳しい土壌でしっかり根付かせ、たくましく育てるためである。田んぼにはタニシや豊年エビが現れた。土や稲が健康である証拠だ。彼は20代のころ青年海外協力隊でアフリカに渡り、人が土に生かされていることを学び、農の根本を考えたという。彼の稲作観については本人が著した『ロジカルな田んぼ』(日経プレミアシリーズ)を参考にされたい。

 松下さんの山田錦=松下米は、「酒米を作りたい」と飛び込みでやってきた彼に、「どうせなら山田錦を作ってみろ」と種子を与えて背を押した喜久醉(藤枝)が引き取った。たとえ失敗してクズ米になったとしても、社長の青島秀夫さんがポケットマネーで全量買い取るつもりだったという。

 今でも忘れられないが、最初の年に仕込まれた精米歩合40%の純米大吟醸を搾った直後に試飲したとき、「何?この水みたいな味も素っ気もない酒・・・」と言葉を失った。ところが同じ酒が、3ヶ月、6ヶ月、1年と熟成していくうちに、米の実力がじわじわ発揮され、永谷氏から「山田錦で醸した酒では最高レベル」と称賛されるまでになった。山田錦の酒は春の搾りたてより、ひと夏を越して秋になると味がのってくると言われるが、まさに定説どおりだったのである。 

 松下米は山田錦なのに心白の出現率は全量の3割程度。化学肥料を使った通常の栽培では5割は確実、といわれるため、有機無農薬栽培が何らかの影響を与えているのかもしれないが、はっきり分からないそうだ。ただし杜氏の青島孝さんは「心白の有無は気にしない」という。硬く引き締まった米でよいと。心白がない分、米の中心はでんぷん密度が濃く、麹の菌糸が容易に食い込んでいかない造り手泣かせの米のようだが、慎重で精密な発酵を旨とする静岡吟醸の醸造スタイルにしっくり合うのでは、と想像する。

 現在、喜久醉純米大吟醸松下米40(40%精米)と喜久醉純米吟醸松下米50(50%精米)の2タイプ、この蔵のコンセプト商品として造られる。コンセプトを綴ったしおりの作成を手伝った縁で、私はこの酒を平成8酒造年度から毎年欠かさず、愛飲している。鑑評会の出品経験がないため、全国数多の山田錦の酒の中で、どれだけのレベルなのかは分からないが、私にとっては、山田錦の酒といったら、この酒が基準値になる。

 

注)心白とは細胞内のデンプン粒密度が粗く、光が乱反射して不透明に見える部分

 

<参考文献>山田錦の作り方と買い方/永谷正治、日本の酒米と酒造り/前重通雅・小林信也、山田錦物語/兵庫県酒米研究グループ、酒米ハンドブック/副島顕子、毎日新聞1997年10月30日付「しずおか酒と人」/鈴木真弓、ロジカルな田んぼ/松下明弘

 

 

 

静岡県の酒米・誉富士

 静岡県の『誉富士』は平成15年(2003)にデビューした。山田錦の変異系の品種である。

 山田錦は稲穂の背が高い。つまり背が高く穂先の重量が重いため、倒れやすいという栽培上のネックがある。酒にするには最高だが、農家にとっては作りにくい。そこで静岡県では、静岡酵母の成功に続き、「山田錦と同等レベルで、山田錦よりも作りやすい(=背が低い)酒米を」と考え、平成10年(1998)、静岡県農業試験場(現・静岡県農林技術研究所)の宮田祐二氏が中心となって育種がスタートした。

 まず山田錦の種子籾に放射線(γ線)を照射させ、翌年、約98,000固体を栽培し、その中から短稈化や早生化など、有益な突然変異と思われる約500個体を選抜。平成12年(2000)以降は、特性が優れた系統を徐々にしぼり込み、穂丈が山田錦よりも低い“短足胴長タイプ”で栽培がしやすく、収穫量も安定し、米粒の形状や外観が山田錦とよく似た『静系(酒)88号』という新品種を選抜した(注)。

 平成15年(2003)より精米試験や小仕込み醸造試験を実施し、一般公募で『誉富士』と命名。平成17年(2005)、県下5地域(焼津市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市)16名の農家が試験栽培を行い、酒蔵7社によって試験醸造が行なわれた。結果は良好で、誉富士を使ってみたいという蔵元は年々増え、平成26年酒造年度は25社から発注があった。

 誉富士を多く仕入れる『白隠正宗』(沼津)の高嶋一孝さんは「沼津では五百万石を栽培していたが、新潟生まれのせいか、酒にすると線が細くて熟成に向かないという欠点がある。山田錦の系統である誉富士の酒は、熟成にも耐えるふっくら感があり、仕入価格は五百万石クラスということで、当社では五百万石使用分をすべて誉富士に切り替えた」と振り返る。宮田氏も「山田錦以外の血は混じっていない米だから、醸造適正は山田錦と同等と考えていいと思う」と自信をのぞかせる。

 誉富士は、残念ながら山田錦の小ぶりな線状心白のDNAを受け継がず、心白が粒全体の9割近くを占める大きさで、並みの精米機で高精白すると胴割れしてしまう。一方、高精白の大吟醸や純米大吟醸が売れていたバブル時代とは違い、マーケットでは低価格酒が主流。静岡県では精米60%クラスの純米・純米吟醸酒でも大吟醸並みの丁寧な仕込みをモットーにしており、コストパフォーマンスの高い良酒であることは飲めば分かる。事実、このクラスが最も売れており、まだまだ伸びる余地はある。蔵元では必然的に誉富士をこのクラスに使うようになり、ご当地米の話題性が追い風となって注目された。

 各蔵元は「誉富士の酒は、春に仕込んでも9~10月には欠品してしまうので、もっと量を増やしたいが、栽培農家が増えてくれないことにはどうにもならない」とため息をつく。 

 富士山の世界文化遺産登録以降、「富士」の名がついた酒に対する人気はうなぎのぼり。蔵元のニーズに対し、栽培が追いついていない。

 一般的な考えとして、生産者を増やすには、誉富士を「高く売れる米」にすることが肝要である。漏れ聞いた価格は1俵(60kg)あたり2万円未満。高嶋さんが指摘されたように、酒米では五百万石と同レベルと考えてよい。

 山田錦は一時期、一俵3万円を超える時代もあったが、山田錦を主原料とする大吟醸クラスの高級酒が市場で低迷し、山田錦の価格も頭打ちとなり、現在、平均2万4千円程度に落ち着いている。最近では精米歩合60~70%程度の純米・本醸造クラスでも山田錦使用を堂々と謳う酒が登場している。価格は頭打ちでも需要が高い分、産地は拡大しており、販路も多様化し、蔵元にとって“高嶺の花”だった時代に比べるとずいぶん買いやすくなったようだ。ちなみに全量山田錦で純米大吟醸を仕込む『獺祭』(山口)は「クールジャパンで海外に日本酒の売り込み攻勢をかけたくても、原料の山田錦が足りない。減反政策が足枷となって栽培面積を増やせないからだ」と政府に直談判し、規制緩和の道筋をつけた。

 誉富士は当初、静岡県では作り難い山田錦に代わる、山田錦レベルの高品質・高価格米だと生産者にアピールされた。実際に試験醸造が始まり、山田錦ではなく五百万石クラスの米だと判ると、誉富士の価格もそれに準ずることになった。結果、「(山田錦並みに)高く売れるなら作ってみようか」という意識の生産者は、一人二人と脱落していった。

 現在、誉富士の主産地である静岡県中部の志太地域(焼津、藤枝、島田)には、酒蔵が集積していることから、もともと山田錦や五百万石を栽培する意欲的な生産者がいた。食用米の価格はここ数年値崩れ気味だが、酒米の価格は下落幅が少なく、誉富士の価格はほとんど下がっていない。そこに着目し、生産者も少しずつ増えてきている。

 稲作ひと筋の人ばかりではなく、野菜や温室メロンの生産者も誉富士栽培に挑戦している。宮田氏は「彼らは稲作初心者だから、砂漠で水をゴク飲みするかのように、こちらの指導を貪欲に聞いてくれる。果菜作りの繊細さが活かされ、丁寧に育てる」と期待を寄せる。こういう人たちは「高く売れる米だから作る」というよりも、新品種と聞けば挑戦せずにはいられないアグレッシブな農家だ。

 毎年6月初めには、志太地域の酒米生産者グループ『焼津酒米研究会』が誉富士の田植えイベント、10月には稲刈り体験を行なっている。毎回多くの蔵元や酒販店・飲食店オーナーたちが家族や従業員を伴って参加し、生産者を激励する。他県生まれの山田錦や五百万石では、こういう絆は生まれてこないだろう。

 宮田氏は、稲作の未来について「田んぼでは今、減農薬・減化学肥料という名目で、散布が1回で済むような高性能の農薬や肥料が使われている。稲がいつ肥料をほしがっているのか、いつ頃なぜ虫がつくのかを理解しないまま、作業効率だけを追い求め、坦々とこなす生産者が増えている。日本の稲作技術は先細りしないだろうか」と危惧する。そのためにも、山田錦や誉富士のように、少々手間のかかるやっかいな米に挑む生産者が必要なのだ。

 吟醸酒という大いに手間のかかる酒に市民権を与えた静岡県には、挑戦者を育てる土壌があると思う。河村氏や宮田氏のような、頑固だがトコトン熱い研究指導者がいて、松下さんのような開拓者もいる。静岡県の酒米づくりには、日本の稲作の未来がかかっている、といったら言い過ぎだろうか。

 

(注)現在、静岡県農林技術研究所では誉富士の改良種として『静系(酒)94号』を各蔵で試験醸造中。研究所では『静系(酒)95号』を試験栽培中。


しずおか地酒研究会アニバーサリー第4弾&朝日テレビカルチャー藤枝スクールご案内

2016-06-04 23:05:26 | しずおか地酒研究会

 この春からはしずおか地酒研究会20周年アニバーサリーがスタートし、4月からは毎月、京都の花園大学国際禅学研究所の古文書講座に通い始めたりしてあっという間に6月になってしまいました。実になる仕事が枯渇していて暮らしに全く余裕がないにもかかわらず、動きたくなる或いは動かざるを得なくなる状況に、必死に身の丈を合わせながらも、今というこの瞬間の、一つ一つの出来事やご縁を大事にしようと、あくせく生活しています。「日々是好日」とか「而今(にこん)」という禅語がしっくりくる毎日でしょうか。

 

 しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー企画では、第3弾として5月10日に藤枝のダイドコバルで「実験&挑戦!日本酒ブラインドテイスティング」を開催しました。フリーアナウンサーで地酒チアニスタの神田えり子さん&ダイドコバルの平井武さんが、銘柄を伏せた地酒7種に凝りに凝った酒肴を用意し、フリーハンドで自分の好みを再認識してもらうという楽しいプログラム。私はすっかりお客さん気分でどっかり座って楽させてもらいました。

 

 

 第4弾は7月3日に以下を予定しています。

お酒の原点・お米の不思議2016&県産米の地酒と蕎麦で乾杯

 1996年の発足年に開催した「お酒の原点・お米の不思議」復活企画。当時は山田錦の研究家で知られる故・永谷正治氏(元国税庁醸造試験所鑑定官室長)をお招きし、静岡県内で山田錦栽培に取り組む生産者の圃場を見学。袋井市の可睡斎講堂に90名を超える酒徒が集まり、永谷先生の講話をお聞きし、可睡斎の精進料理を味わいました。

 

 それから20年。静岡県では山田錦の突然変異から育種に成功し、待望の県独自の酒米「誉富士」が誕生。各蔵で商品化され、地米で醸した正真正銘の地酒として不動の人気を確立しました。山田錦に試行錯誤をしていた20年前のことを思うと感無量です。

 今回は誉富士の育種を手掛けた静岡県農林技術研究所の宮田祐二先生の実験圃場(磐田市)をお訪ねし、コメの新品種をモノにするまでの長い道のり、育種の面白さ、試験栽培中の「新型誉富士」についてじっくりうかがい、田植えから1か月弱のみずみずしい圃場の様子を見学します。

 圃場視察後は「蕎麦をもう一枚」著者として知られるそば通ライター山口雅子さんのコーディネートで、菊川駅近くの人気蕎麦処「だいだい」にて、宮田先生おススメの県産米地酒と打ち立てそばを味わいます。静岡県の酒米づくりの20年に思いをはせ、コメとソバ―日本食に欠かせない大地の糧の価値をじっくり味わってみようと思います。興味のある方はふるってお申し込みください! 

 

■日時 7月3日(日)13時30分 JR袋井駅集合

 袋井駅よりタクシー分乗 ⇒ 14時~16時/県農林技術研究所三ケ野圃場 ⇒ JR袋井駅 ⇒ JR菊川駅 ⇒ 徒歩にて移動 17時~蕎麦処「だいだい」にて交流会

 

■会費 5000円(交流会費)*移動タクシー代は別途割り勘でお願いします。

 参加者のお名前と連絡先電話(携帯)番号を鈴木のメールまでお知らせください。

*圃場見学のみの参加もOKです(参加費無料・交通費実費)。

 mayusuzu1011@gmail.com

 

 

 また7月からは朝日テレビカルチャー藤枝スクールにて全3回の地酒講座を担当することになりました。

 昨年10月から今年3月までは静岡スクールにて酒蔵見学をメインプログラムにした講座をやらせてもらったのですが、今回は座学のみで、地酒本『杯が満ちるまで』の取材秘話をお聞きいただき、世界に誇る志太美酒の魅力をじっくり味わっていただこうと考えています。

 きき酒師や日本酒学講師といった専門資格を持つ酒販プロの皆さんと比べたら役不足なのは重々自覚していますが、人に教えるということは自分の勉強になるということも深く実感し、今まで自分に酒を指導してくれた多くの先達から受けたバトンを次に受け渡す使命があるんだと自らを奮い立たせているところです。

 6月から募集がスタートしましたので、藤枝在住の方もそうでない方も、3日間だけですが、ぜひご一緒に志太の美味しいお酒について語り合いましょう!

 

 詳しくは朝日テレビカルチャー藤枝スクールのサイト(こちら)をご覧ください。

 

 

 最後に、ブログ読者のかたに先行告知。年内の地酒研アニバーサリー開催予定(決定分)です。関心のある方はぜひスケジュールを空けておいてくださいね!

 

■第5弾 喜久醉松下米の20年 (青島酒造&松下圃場見学) 9月22日午後

 

■第6弾 サールナートホール共催特別企画 日本酒ドキュメンタリー「KANPAI!世界が恋する日本酒」先行上映&トークセッション「あなたと地酒の素敵なカンケイ」 10月1日午後

 

■第7弾 杉錦の生もと造り体験! 10月2日時間未定

 


しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー第2弾「ZEN to SAKE ~白隠禅師の松蔭寺と白隠正宗酒蔵訪問」

2016-05-01 16:59:18 | しずおか地酒研究会

 このブログでも再三紹介しているとおり、私は日本酒と同じぐらい、いやセーラー服を着ていた頃から歴史や仏教が好きで、地酒の取材をライフワークにしてからも、酒の味わいや、味わうスタイルの追求もさることながら、地酒が育まれてきた地域の歴史や文化を正しく理解し、後世に伝える仕事が出来たらなあと願ってきました。

 今年1年間、予定している地酒研20周年アニバーサリー企画でも、地酒ファンに歴史の面白さを、歴史ファンに地酒の魅力を相互に伝える機会をつくろうと、まずは4月29日、実験的なツアーを開催しました。タイトルはずばり「ZEN to SAKE~白隠禅師の松蔭寺&白隠正宗蔵元訪問」。以下は会員に宛てた企画趣旨です。

 

◆当会設立20周年アニバーサリー企画第2弾は、「駿河に過ぎたるもの二つあり、富士のお山と原の白隠」と謳われた白隠禅師のふる里・沼津の「白隠正宗」高嶋酒造を訪問します。

◆近年とみに人気うなぎのぼりの白隠正宗。ANAの国際線ビジネスクラス機内食にも採用されるなどブランド力は国内外に浸透しています。既成概念にとらわれず、新たな米や酵母や製法にも果敢に挑戦する若き蔵元杜氏・高嶋一孝さんの酒造りに熱い注目が集まっています。

◆酒銘となった白隠禅師(1685~1768)は、禅宗において500年に一人といわれる中興の祖。ジョン・レノンもスティーブ・ジョブスも心酔したZENを確立させた功労者です。とはいえ、実際にどのような功績を遺されたのかよく知らない・・・という静岡県民は少なくないと思います。

◆今年から来年にかけ、白隠禅師遠忌250年の記念行事が全国各地の博物館や宗門施設で行なわれます。当会でも蔵元見学に加え、白隠禅師が生涯を過ごした松蔭寺で年に1度開かれる寺宝展を鑑賞し、専門家の解説を聞きながら、白隠禅師の人となりに触れてみたいと思います。

◆当日は、寺宝の白隠禅画(通常非公開)が“虫干し”され、全国から白隠ファンが詰め掛けます。白隠正宗のラベルに描かれたおなじみの達磨像(真筆)も間近に鑑賞できます。

◆現在、高嶋酒造の井戸から汲み上げる仕込み水は、白隠禅師が生きておられた250300年前に富士山に降り積もった雪が地下を浸透し、湧き出た雪解け水だといわれます。沼津の原から世界に発信するZENSAKEのクロスオーバーを、しかと体感しましょう!


 募集後すぐに定員20名が満席となったものの、地酒研の会員さんはやっぱり蔵元見学がお目当てだろうなぁ、私の個人的な趣味に付き合わせる独りよがりな企画かもなぁと一抹の不安。4月29日当日は13時に原駅に集合してもらい、まずは松蔭寺を訪問しました。

 

 白隠禅画についてはここ数年、にわか勉強を始めたばかりで、天下の松蔭寺で弁を立てるほどのスキルはまったくないため、駿河白隠塾の運営委員としてお世話になっている県観光政策課の久保田豪さんに白隠禅画の解説をお願いしました。


 久保田さんは県の職員ながら、歴史や仏教の知識は玄人はだし。昨年、プラザヴェルデ開館1周年記念「国際白隠フォーラム」を仕掛けた人で、そのまんま歴史番組のコメンテーターになれるぐらいトークも玄人はだし。「難しい禅の話はそこそこでいいから早く蔵元に連れていってくれよ~」と内心思っていただろう(笑)参加者も、いつの間にか久保田解説に聞き入り、我々以外の一般のお客さんも便乗し、ゆうに30人を超える聴衆が久保田さんの白隠禅画トークに魅了されました。


 当日は松蔭寺の本堂で、所蔵の白隠書画30数点が鴨居から吊るされ、「南無地獄大菩薩」「すたすた坊主」「出山釈迦像」「布袋隻手音声」といった白隠ファンお馴染みの傑作がズラリ。国立博物館級の名品が目と鼻の先で凝視できるのですから、ファンにはたまらない唯一無二の展覧会です。堂内撮影禁止ゆえ、文字報告だけになりますがお許しください。

*白隠画については2012年に渋谷Bunkamuraミュージアムで開かれた白隠展の動画が花園大学国際禅学研究所のサイト(こちら)で閲覧できますので参考にしてみてください。

 

 参加者が目を引いたのは、やはり、白隠正宗のラベルに使われた達磨像。白隠さんが描かれる達磨像に必ずといってよいほど書かれる賛『見性成仏(けんしょうじょうぶつ)』を、この機会に地酒ファンにも覚えてほしいと、久保田さんにしっかり解説してもらいました。

 元は、禅語『直視人心 見性成仏』。心の根っこをずばり指し示し、人が誰でも持っている仏性に目覚めなさい、という意味です(詳しくは禅宗のネット解説(こちら)を)。カッと目を見開き、睨み付けるような厳しいお顔の達磨大師ですが、仏は外にいる誰かではなく、あなた自身の内側にいるんですよ、と励まし、勇気づけてくれているんです。

 このラベルの白隠正宗特別純米誉富士を飲むとき、私は「誰かの評価ではなく、自分自身が心底、美味しいと思える呑み方で味わおう」と勝手に解釈しながらいただいています。後で訪ねた高嶋さんが、図らずも「冷でも常温でも燗でも、どんな呑み方でもちゃんと呑める酒を造りたい」「そのためにも、吟醸造りと同等に酒質を磨く努力を怠らない」と語っていましたが、造り手が目指すそのような酒の本質をしっかり理解し、感じられる呑み手でありたいと思うのです。

 この酒は今年6月まで、ANAの国際線ビジネスクラスの機内食に採用されています。大吟醸や生もと・山廃のような特殊な造りではなく、日常酒として愛飲される純米クラスの酒が、ANA社内で全国の銘酒100品をセレクトした中から選ばれた2品のひとつだったと聞いて、溜飲が下がる思いがしました。

 


 松蔭寺を後にし、旧東海道をブラ歩きしながら、高嶋酒造へ到着。すでに造りは終了し、連休休みに入っていて、高嶋さんお一人でお出迎え。日本の酒蔵では一番旧型と思われる精米機や、県内唯一の縦型ヤエガキ式上槽機(写真は昨年1月の上槽作業中に撮ったもの)、高嶋さんが発案したパストライザー(加熱殺菌機)など珍しい酒造機械の解説に、メカ好きの男性会員が熱心に聞き入っていました。私はパストライザーの上にディスプレイされたミニフィギュアに思わずクスッ。

 釜場と洗い場のそばには、湧き水が流れる音が絶え間なく響く水槽があり、その上にしめ縄がさりげなく吊るされていました。酒蔵にとって水質・水温・水量が大きく変化することなく年間を通して湧き出づることがいかに重要か、「仕込みはもちろん、米洗い、道具洗いにも半端のない量の水を使うから」と高嶋さんも強調します。高嶋酒造のこの水は約300年前に富士山頂に降り積もった雪が地中で自然にろ過されて湧き出たものといわれます。前述の企画趣旨にも書いたように、白隠さんが生きておられたころに降った雪、ということ。日本酒の歴史は約2000年、臨済禅師が日本に禅宗を伝えて約1200年・・・長い長い時間軸の中で、こういう偶然に立ち会えるというのは、ある意味、とても幸せなことですね。



 


 見学&試飲を終え、白隠正宗をお土産に買って帰りたいという参加者リクエストに応えるべく、電車で沼津まで移動し、駅前の松浦酒店で爆買い。ちょうど連休中のサービスイベントとして、店頭でちょい呑みが出来るということで、ベアードビールで乾杯しました。まだ陽が明るいうちから駅前の大通りに机と椅子を出して堂々と呑めるなんて、この上ないサービスです!


 ツアーの〆は地酒本「杯が満ちるまで」で紹介した『くいもんや一歩』。カウンター10席の店に20人無理やり押し込めた全然くつろげない、すし詰め状態の宴会でした(苦笑)が、酒縁を結ぶのに程よい密着感だったんじゃないかな。ちょうど一歩で盛り上がっていた時間、沼津は大雨に見舞われていたようですが、まったく気が付きませんでした。


 


 二次会はオーセンティックバーFRANKに移り、ゆったり座ってじっくり酒談義。別の酒の会に参加していた高嶋さんも合流してくれて、終電ギリギリまで楽しく過ごしました。

 半日のツアーながら、これだけ盛り沢山のプログラムが組めたのは、沼津に日本屈指の禅文化と酒文化が根付いているおかげです。このことを再認識できただけでも、まあまあ企画として初志貫徹できたかなと独りよがりの自己満足に浸っています(笑)。


 静岡には東海道の歴史があり、街道沿いに酒蔵も多く点在していますので、いろいろなツアー企画が可能ですね。次回は夏ごろ、今度は日本酒の源流を訪ねる奈良・京都の酒造聖地巡礼を予定しています。会員限定でのご案内になるかもしれませんが、ぜひとも有意義なツアーにし、いずれ酒と歴史と文化を訪ねるガイドブックとしてまとめられたらいいなあ、なんて思います。出版関係の皆さま、よろしくお願いします!