杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

3・11ふくしま?プロジェクト

2012-03-12 09:19:06 | 東日本大震災

 夕べ(3月11日)は静岡市の青葉イベント広場で慰霊のキャンドルナイト『ふくしま?(はーと)プロジェクト』が開かれました。先にもご案内したとおり、福島県いわき市四倉地区のみなさんを支援するプロジェクトで、静岡市役所西隣の葵スクエアに、311個の竹筒に収まったキャンドルが灯され、夜空にハート模様が浮かび上がりました。

 

 

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 キャンドルを収めた竹筒はこの日のために静岡市内から切り出し、手作りで用意されました。

 

 このイベントを事前に知Imgp5710って来てくれた人、通りがかりで飛び入り参加してくれた人・・・いろんな人がキャンドル点灯に参加しました。

 

 

 

 

 

 

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 袋井市出身のキャンドルアーティストKENTA‐ROHさんも、作品を特別出品してくれました。

 さすがプロの作品、暗闇に浮かびあがるキャンドルは、もしも人の魂に色があるなら、こImgp5720
んな色彩だろうかと想像させるものでした・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 会場では、ハートをモチーフにしたはり絵アート制作に来場者も参加。静岡デザイン専門学校の学生さんがデザインしたImgp5705絵で、完成したら、今夏再建予定の福島県いわき市『道の駅よつくら港』へ寄贈します。私もイの一番にはり絵しました?

 

 

 

 

 

 

 

 受付には、昨年4月と6月にいわき市を訪れたときの写真が紹介されました。生々しい被災現場にカメラを向けたときの重苦しい気持ちがよみがえってきましたが、こImgp5730うしてみると、静岡市民に「伝える」役割が果たせたのかな、と少し気が楽になりました。

 

 

 

 

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 これは静岡市の中山間地で古くから使われていた「タンコロ」。切り目に着火剤を挿入し、そのまま燃やして灯火にしたのです。切り目のある位置まで燃えて、底の部分は残るので後処理が楽なんですね。

 

 夕べは会場の都合で着火できませんでしたが、同時刻に道の駅よつくら港で行われた慰霊祭に使われたようです。昨年11月に四倉ふれあい市民会議のみなさんが来静されたとき、産業フェアしずおかの会場で見つけて「3・11の慰霊祭で使いたい」と購入のオファーがあり、そういうことなら無償提供させてもらいたいと静岡市側が申し出たそうです。

 

 

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 会場の一角では静岡茶業青年団のみなさんが温かいお茶のサービスもしてくれました。このキャッチコピー、いいですねえ!

 

 

 風が強くて寒くて、スタッフがキャンドルの灯を付け直すのに苦労していましたが、とにもかくにも、静岡市のど真ん中で、温かいハートが灯されました。数多くの「支えたい」思いが、思いで終わることなく、実のある支援につながればと心から願います。参加された市民のみなさん、スタッフのみなさん、本当におつかれさまでした。

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コメント (1)
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3・11キャンドルイベントのお知らせ

2012-03-05 20:07:06 | 東日本大震災

 3月11日が近づくにつれ、テレビでも震災関連の特集番組が増えてきました。一般の人が記録した映像等を観ると、息が苦しくなりそうです。よくカメラを回していられたなあと思いますが、目の前の出来事があまりにも非現実的で、どこか信じられなくて第三者的な感覚に陥り、撮らずにはいられないと思ってしまう感覚、すごく解ります。

 

 規模は比較になりませんが、私も3年前の地震の時、部屋の有様に茫然として、片付け云々よりも先に「とりあえず撮っておこう」と自然にカメラに手が行ったものです。こちらにUPした写真はその後、県広報(県民だより)に載せていただくという栄誉?を得ました・・・。

 

 

 

 

 それはさておき、3月11日は、静岡市の青葉イベント広場でキャンドルイベントが予定されています。上川陽子さんが企画したものですが、政治色は一切ナシ。趣旨に同意した学生・市民が実行委員会を作って、若者らしい素敵なプログラムを準備中です。

 

 

 こちらの記事の通り、上川さんと私は、福島県いわき市の道の駅よつくら港を訪問し、その後も交流を続けています。

 

 いわき市は被災地であると同時に、隣接する原発警戒区域から逃れてきた多くの人々が、長期の避難生活を余儀なくされているまちでもあります。沿岸部に位置する道の駅は建物が半壊したものの、震災直後から人々の連絡拠点になり、復興のシンボルにもなっています。今回の3・11イベントでは、そんな道の駅よつくら港へ静岡からエールを送るべく、ぜひ多くの方にキャンドル点灯に参加していただければ、と思います。

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 2月26日(日)にオンエアされたFM-Hi「かみかわ陽子ラジオシェイク」でも触れていますので、こちらもぜひご一読を!


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福島いわき・四倉ふれあい市民会議ご一行来静!

2011-12-03 10:47:53 | 東日本大震災

 今年は東日本大震災の後、お酒の呑み方もずいぶん変わりました。個人的には年々、外で呑まなくなってきていたのですが、震災後はチャリティ目的の試飲会や交流会の機会も多かったことから、世間の家呑み派増加に反して積極的に外呑みしました。おかげで(仕事の減少もあって)家計は火の車ですが(苦笑)、この国に、日本酒という酒があってよかったなあと、改めてしみじみ噛み締めています。

 

 

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 先週も、そんな思いを強くする酒宴がありました。11月26(土)~27日(日)、福島県いわき市のまちづくり団体『四倉ふれあい市民会議』のみなさん14名が静岡へ来てくださり、上川陽子さんが世話人を務める『しずおか食と未来実現会議』のメンバーと交流を図ったのです。

 震災から8カ月余り。いImgp5370わきのみなさんが、静岡に足を運ぼうという気持ちになるまで元気を取り戻されたんだ・・・と考えるだけで、涙が出る思いでした。

 

 

 

 

 いわき市四倉。いわき市に合併する前は、太平洋に面した四倉町という面積63・73キロ平方メートル、人口1万5千人余りの自治体で、四倉海岸は広大な白浜が広がるいわき屈指のシーサイド。海水浴やサーフィンのメッカでもありました。7月最終土曜日には、青森県から譲り受けたねぶたを使った「四倉ねぶた」で盛り上がるそうです。

 

 

 今年4月、初めて訪ねた四倉には、当然ながらそんな明るいシーサイドリゾートの面影はありませんでしたが、唯一、眼をひいたのは、半壊した道の駅の広場で、悠々と泳ぐ鯉のぼり。かろうじて残った屋根の下で、人々が物資を持ち寄り、隣近所の消息を確かめ合っていました。どんなに悲惨な状況下でも、生き残った人には三度のご飯が必要だし、生きるよすがが必要なんだという現実を、リアルに、目の当たりにしたのでした。詳しくはこちらをご参照ください。

 

 

 上川陽子さんは震災3カ月目の6月11日に『しずおか食と未来実現会議』のメンバーを引き連れて炊き出し支援隊に行き(こちらを参照)、その後もずっと、静岡市内で街頭募金活動をして静岡の水を送り続けてきました。そんないきさつもあって、道の駅よつくら港の代表Imgp5395
佐藤雄二さんが、道の駅を運営するNPO法人よつくらぶの主力メンバーである『四倉ふれあい市民会議』のみなさんを連れてお礼に来てくださったのです。

 

 

 

 今回初めて知ったのですが、道の駅よつくら港って、市民の力による民設民営の道の駅だったんです。国や自治体がハコを造って民間に運営を任せる・・・というのが定石だと思っていたので、ビックリしました。しかもオープンして1年ちょっとでこの震災。市民のみなさんの落胆ぶりはいかばかりかと想像します。・・・それでも、というかそれゆえに、自分たちが一から造ったという強い思いがバネになって、あの鯉のぼりを泳がせたんだろうと思います。・・・きっと。

 

 

 

 佐藤さんからは、こんなチラシをいただきました。年明け1月に地鎮祭、春~初夏頃のリニューアルオープンを目指しておられるとのこと。改めてそのバイタリティに感動です。詳しくはこちらをご覧ください。

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 来静メンバーの中に、地元在住の画家・渡辺哲さんがいらして、9~10月にいわき市立美術館で『いま。つくりたいもの、伝えたいこと。』という展覧会があったことを教えてくださいました。いわきのアーティストやクリエイターが震災後に創った新作60点と全国から公募した平面作品200点を展示したそうです。

 

 

 自信作だった道の駅よつくら港の壁絵を津波で流されたという渡辺さん。いただいた展覧会の図録には、こんな新作が紹介されていました。

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 静岡市内のビジネスホテルで開いた交流会では、まぐろのカマ、桜えびのかきあげ等を味わっていただき、地酒はホテル側が『正雪』『臥龍梅』『花の舞』を用意。福島からは『央』『ロ万(花泉)』『又兵衛』を差し入れていただきました。

 なんでも私のブログを読んだ佐藤さんが、“ぜひ地酒交流を”と意気込んで来てくださったそうです。嬉しいですねえ

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 その後、青葉メインストリートのイルミネーションと青葉おでん街にご案内。威勢の良いおでん街の店のおばちゃんと、居合わせた大阪の若いカップルと大盛り上がりで、佐藤さんたちが福島から持ってきてくださった地酒『又兵衛』と静岡の地酒『天虹』&『お茶割り』を呑み干し、さらに3次会でMANDOにご案内して、『磯自慢』『喜久醉』を堪能していただきました。

 

 MANDOの平井マネージャーが、いわきから来たと聞いて焼津のカツオのたたきをサービスしてくれたりして、本当にありがたかったです。最後まで残った3人でホテルのそばのビアパブで4次会。今年の外呑みでは一番呑んだ~って実感ながら、翌朝はきわめて爽快な目覚めでした。・・・私は至極楽しかったんだけど、四倉のみなさんは満足されたのかなあ

 

 

 

 四倉のみなさんの踏ん張りはこれからです。酒にかこつけてでも、出来る限りのエールを送り続けたいと思っています。


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被災地のカメラマンの矜持

2011-09-07 10:19:14 | 東日本大震災

 昨日(6日)は久しぶりに一日家にいて、資料の整理や取材の段取り、新しく始める茶道研究会(後日報告します)の準備にあけくれました。午後の情報番組(情報ライブミヤネ屋)で、故郷福島・いわき市の海岸沿いをモーターパラグライダーで撮り続ける地元在住の空撮カメラマン・酒井英治さんが登場し、私が4月17日に直接視察した久之浜・薄磯・豊間・小名浜の映像が紹介されていて、思わず見入ってしまいました。

 

 

 4月の視察で真っ先に訪ねた久之浜は、原発30キロ圏ギリギリにあって、津波と大火事に遭い、まるで爆撃を受けた後のようでした。自分が生きている時代に、日本国内でこんな光景を目の当たりにするとは、今もって信じられない思いです。そんな久之浜に、今週、プレハブ建ての商店街がオープンしたと紹介され、自然にボロボロ涙が出てきました。

 

 薄磯は、美空ひばりの「みだれ髪」の舞台にもなった塩屋崎灯台の手前にある海岸で、液状化した沿岸道路の様子が今も生々しく思い出されます。番組では、酒井さんが昨年夏に撮った海岸の映像が紹介されていて、「ホントに福島!?」(失礼!)と目を見張るほど美しいエメラルドグリーンの海が広がっていました。遠浅で波も穏やかで、灯台が見え、漁村の集落が立ち並び、「これぞ日本の海水浴場という場所でした」と酒井さんも誇らしげに映像を紹介していました。

 

 同じ場所を、4月初めに撮影した映像には、人々に恩恵を与えてきたはずの海が、人々からすべてを奪い去った恐怖の痕跡が・・・。その事実だけでも受けとめ難いのに、酒井さんにしてみれば、まだ行方不明者が大勢いて懸命に救出活動をしているところにカメラを向けるのは、本当につらかったでしょう。私のようなヨソ者ならともかく、地元の方ですから・・・。でもカメラマンとしての矜持が彼を奮い立たせたのだと思います。東海地震が起きて生まれ育った町や親しんできた酒蔵が壊滅状態になったとき、自分ははたしてどういう行動が取れるんだろう・・・。

 

 

 灯台をはさんで南側にある豊間は、視察当時、死者行方不明者が100人と聞いた後、横倒しで放置されていた冷蔵庫の中に卵のパックを見つけたとき、ほんとうに普通の暮らしが一瞬に奪われた現実にうちひしがれました。現在、その被災地はガレキが撤去され、むき出しの地面から雑草が生え、俯瞰の映像だと青々とした芝生が敷かれたよう。植物というのは、ほんとうに逞しいんだなと感心してしまいました。

 

 

 活字でも映像でも、時間が経てば、ある程度整理された状態で、節度ある表現で伝えることができると思います。私も、現地を見ることなく半年後の映像がテレビに映っていたら、“半年経てばそれなりに復興するんだな~”と、他人事のように見過ごしていたでしょう。

 

 でも昨日の映像を見て私は涙が止まりませんでした。他人事にはとても思えなかった。現地を見たから、静岡でも大地震の危険性があるから等など・・・いろんな理由があるけど、一番心揺さぶられたのは、地元の美しい映像を長年撮り続けてきたカメラマンが、震災直後、そして半年後と、地元に寄り添う目線で撮った映像だったからだと思えます。震災直後に、自分自身も混乱し、葛藤し、震える思いで伝えた映像や活字は、もう、それだけで十分に価値があると思う。二度と撮れない、書けないものですから。

 

 そんな状況に出くわさないで一生過ごせたら幸せなんだろうけど、もし(というか、かなりの確率で東海地震は起きるわけだから)自分がそうなったら、酒井さん同様、長年地域で活動してきた者として、伝えるべき使命をまっとうできるプロでありたい、と思います。酒井さん、価値あるお仕事をまっとうし、地域の情報クリエイターの糧となってくださいね!

 

 

 


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中日新聞掲載『産業廃棄物処理の最前線』

2011-06-27 09:09:15 | 東日本大震災

 

 6月25日(土)の中日新聞朝刊では「環境特集エコを考える」が組まれました。その中で静岡県産業廃棄物協会を取材した記事を掲載しましたので、中日新聞をお読みにならない方もぜひご一読を!

 

 

 

環境特集~循環型社会づくりに向けて―産業廃棄物処理の最前線<o:p></o:p>

 現代に生きる我々の生活は、限りある資源に支えられている。いずれは枯渇する資源を湯水のように使い果たし、ごみや温室効果ガスを吐き出す暮らし方を続けていれば、地球では人類が生存できない時代が来る―。

 東日本大震災という未曽有の災害を経験し、日本人にとってエネルギーやゴミ・廃棄物の問題は一層切実なものとなった。今のライフスタイルの点検・見直し―すなわち、ゴミを減らし、資源や物資を大切に使う循環型社会のしくみづくりに必要なものは何か。今回は廃棄物処理の最前線に立つ静岡県産業廃棄物協会の活動を紹介する。<o:p></o:p>

 

産業廃棄物の定義

 廃棄物は、家庭から出される一般ゴミやし尿と、会社・工場・商店など事業活動にともなって出た事業ゴミに大きく分けられる。事業ゴミのうち、がれきや廃油や汚泥など法令で定められた20種が『産業廃棄物』と定義され、事業者に処理責任が課せられている。処理の形としては、事業者自らが行うケース、処理業者に委託するケース、行政機関が公共サービスとして処理するケースがある。<o:p></o:p>

 

静岡県産業廃棄物協会―処理業者と排出業者が両立する稀有な団体

 静岡県産業廃棄物協会は、産業廃棄物(以下産廃)処理を担う事業者756社と、産廃を排出する事業者362社の計1147社が加盟する団体。昭和50年に設立、52年に公益法人化した。<o:p></o:p>

 同類団体はほとんどの都道府県に置かれ、全国を束ねる連合会組織もあるが、静岡県のように処理業者と排出業者がともに加盟する団体は珍しいという。梅原秀夫会長は「静岡県には規模の大小にかかわらず、幅広い業種の製造業者が生産拠点を置き、日本を代表するモノづくりメッカでもある。産廃を取り巻く諸問題に対し、実践的な解決を導くためには、産廃の“入口”と“出口”の協調が必要不可欠」と語る。協会には産廃処理業務に大きなウエートを占める提出書類作成を行う行政書士やコンサルタントも会員に名を連ね、さまざまなサポートを行っている。<o:p></o:p>

 

静岡県の産業廃棄物の現状と目標値―7年間で12%減

 平成20年度データによると、静岡県内で一年間に排出された産廃は、1199万トン。一般のゴミ(約145万トン)の8・3倍にあたる。産廃の種類では「汚泥」「がれき」「動物の糞尿」が上位3位で、この3品目で全体の83%を占める。<o:p></o:p>

 これらをどのように処理しているかといえば、焼却・脱水等による中間処理によって減量化させる量が55%、リサイクルが37%、埋め立て等の最終処分に回されたのが8%だった(平成20年度)。<o:p></o:p>

 産廃は、当然のことながら排出量自体を減らすことが望ましく、段階的にはリサイクルや減量化の割合を増やし、環境汚染が懸念される最終処分の量を減らす努力が求められる。県でも平成27年度までに最終処分量を20年度実績の12%減とする目標を打ち立てている。<o:p></o:p>

 

3R運動、電子マニフェストの推進

 リサイクルや減量化にあたっては、モノづくりのレベルでリサイクルや減量化がしやすい材料ならびに製法を用いることが肝要だ。県ではゴミを出にくくする(Reduce)、再使用(Reuse)、再生利用(Recycle)を呼び掛ける「3R」運動を、事業所にも広く呼び掛け、研修会を各地で開催している。<o:p></o:p>

 また廃棄物を適正に処理するために有効な「電子マニフェスト」の加盟登録を事業所に呼び掛け、静岡県は平成22年度までに、東京都、神奈川県に次いで全国3位の登録件数(6222件)となった。27年度までに8000件を目指す。<o:p></o:p>

 

「捨てればゴミ、活かせば資源」

 事業所に求められるこれら様々な取り組みは、静岡県産業廃棄物協会が“推進部隊”となっている。「3Rの徹底に向け、“捨てればただのゴミ、活かせば貴重な資源になる“を合言葉に一社でも多くの会員事業所の意識改革に努めたい」と梅原会長。<o:p></o:p>

 平成23年度からは、廃棄物処理法の一部が改正され、不法投棄や不適正処理への対策、最終処分場の環境汚染対策、廃棄物の循環的利用の促進等が強化された。法令遵守を徹底・指導する上でも、協会の果たす役割はますます重要となっている。<o:p></o:p>

 

産廃処理業の社会的使命―大震災を経験して

 3月11日に発生した東日本大震災では瓦礫や汚泥等の災害廃棄物が2500万トン。阪神淡路大震災の1・7倍という甚大な結果をもたらした。阪神淡路の被災地では処理に3年を有したというから、東日本でも“長期戦”を余儀なくされるだろう。梅原会長は「どんなに時間がかかっても、我々の業界がきちんと責任を持って処理しなければならない」と真摯に語る。<o:p></o:p>

 静岡県産業廃棄物協会では静岡県ならびに静岡市と『災害援助協定』を結んでおり、地震災害はもとより、近年頻発する水害等に際し、被災地の復旧・復興のため、産廃処理のノウハウを発揮している。<o:p></o:p>

 

さんぱい探偵団―環境教育プログラムの実践

 社会的使命の高まりを受け、協会では日頃から産廃処理事業への理解や啓蒙にも努めている。県内7支部ごとに、地域の小・中・高校で環境教育プログラム事業を実施中。会員事業所の視察や環境ゴミ問題についてのレクチャーを行い、児童・生徒に身近な問題として考える機会づくりに尽力している。小学生対象の見学会は「ぼくらさんぱい探偵団」と銘打ち、毎年夏休みに各支部の会員事業所見学会を行っている。いずれも協会側が学校に呼び掛けて実施している。

 協会専務理事の三島文夫さんは「子どもたちには“食べるものも着るものもゴミじゃない。再び資源になるんだという認識を持ってもらうことが大事」と環境教育の意義を強調する。<o:p></o:p>

 

社会に不可欠な事業として

 協会では大学生向けの研修視察会も開催しており、22年度には環境問題に関心のある静岡大学や富士常葉大学の学生が参加した。アンケートでは「このような事業がないと社会が成り立たないと強く実感した」という声も。産廃業界への理解は少しずつ深まっているようだ。<o:p></o:p>

 「産廃処理の技術は日進月歩。日本の処理技術は世界最先端を行く。焼却灰の中から貴金属を取りだすような特殊技術を持った業者もいる。我々の業務が社会の仕組みを変える一助となると信じています」と梅原会長。「一般県民のみなさんにも、産廃処理に対する見方や理解を一歩進めてほしい」と力を込める。 (文・鈴木真弓)<o:p></o:p>

 


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