6月11日は東日本大震災3カ月目の節目ということで、多くの被災地で追悼行事が開かれました。
私は4月中旬に上川陽子さんに同行して視察(こちらを参照)した福島県いわき市の『道の駅よつくら港』を再訪し、多くの被災者のみなさんと直接ふれあう貴重な時間を過ごしました。
今回の訪問は、上川陽子後援会事務所と静岡市内の農業や食品加工業の方々が協働で行う炊き出し支援です。ふだん事務所で『食育カフェ』を運営する女性スタッフを中心に19人の仲間が、小型バスをチャーターして前日22時に静岡を出発。11日朝7時に現地入りして、共同募金会と日本赤十字社福島県支部からお借りしたテントを設営し、静岡から持参したお茶、つきたて餅、黒はんぺん、葉しょうが、バラの花等を振る舞いました。
私は取材同行者としてただ見ているだけだったんですが、300~400人分の食材を手配して25人乗りの小型バスにぎゅう詰めし、現地では2時間足らずで無料配布できるようにした女性たちの手際の良さには、ほとほと感心。
しかも既製品は黒はんぺんぐらいで、無料配布した飴、マーマレード、わさびの茎酢漬けは手作り。各々家庭から持ち寄った鍋やフライパンなどを駆使して、わさび漬けは現地でお客さんにもわさび漬け作り体験してもらうなど、“組織化された支援隊”というよりも、静岡の家庭のおばちゃんたちがそのまんま台所を移動させてきたという感じ。準備には1週間かかったと聞いて、みなさんのやる気の程がひしひしと伝わって
きました。
『道の駅よつくら港』では、11日昼から、いわき青年会議所と福島中央テレビさんが『灯そうふくしまに光を IN 道の駅よつくら港』という3カ月追悼イベントが開かれました。クラシック音楽イベント、大道芸パフ
ォーマンス、炊き出し支援、衣類の配布、キャンドル点灯等、さまざまなイベントが行われ、スペシャルコーディネーターとしてCandle JUNEさんも来場されました。
そんなイベントがあることを現地に来るまで知らなかったので、ちょっとビックリしましたが、当初は天気予報が悪く、お客さんの出足を心配していたので、これである程度見込める・・・とホッとしました。
600本持参した静岡のバラの花は、Candle JUNEさんから「2時46分の献花式で使わせてほしい」という申し出をいただきました。また追悼イベントの冒頭では、Candle JUNEさんからこちらのブース
のことを紹介していただき、上川陽子さんも挨拶の時間を頂くなど、望外の待遇をしていただきました。ご配慮くださった関係者のみなさまに感謝いたします! なおイベントの詳細は道の駅よつくら港のブログをご参照ください。
朝、準備をしていた頃は小雨まじりで港一面に霧が立ち、その中でクレーン車がガレキの撤去作業をしている物寂しげな雰囲気だったのですが、地元の人が「朝、霧が立つと晴天になる。9時になれば陽が出てくるよ、安心しな」と声をかけてくれました。
でもその人が、「いつもとは違う北側(福島原発方面)から風が来てるから、親御さんは子どもを外に出したがらないかもしれないなぁ」と
ポツンとつぶやいた一言が胸を突きました。
言葉通り、本当に9時過ぎから天気が回復したのですが、お天気が良くても子どもたちが外で遊べないなんて…。今更ながらこの地が置かれた状況(いわき市四倉は原発から南に35キロ地点)の不条理さを実感しました。
そんな状況にもかからわず、お客さん第一号は、自転車に乗ってやってきた小学4~5年生ぐらいの男の子2人でした。女性スタッフたちは大喜びで、つきたて餅を焼いてきなこをまぶした安倍川もち、大根おろしのからみもち、海苔を巻いた磯辺焼きの3色仕立てにし、焼き黒はんぺん2枚を添えてふるまいました。そして手土産に手作り飴を渡し、「お父さんお母さんやお友達も連れておいで~」と見送りました。
お茶ブースでは、茶娘にふんした3人が大勢のお客様にとびきり美味い静岡茶を、何杯でも同じように美味しく淹れる裏技を発揮してくれました。煎茶をすり鉢に入れて細かくくだき、お湯で溶かしてから急須に移して淹れるのです。ひと手間加えるだけで、深蒸しじゃない煎茶でも、深蒸しのように色鮮やかで味も
濃く、栄養価もたっぷりの飲み応えあるお茶になります。
茶娘スタッフに後で「リピーターが多かった」「お連れ様に勧める人も多かった」「湯呑の準備が間に合わなくなって途中から紙コップを使わざるをえなかった」等など大評判だったと聞いて嬉しくなりました。
「ふだんから静岡茶を送ってもらっている」「いわきで静岡茶を売っていたお茶屋さんが被災して店を閉じてしまい、美味しいお茶が飲めなくて淋しかった」等という声も聞き、もともとお茶好きな方が多いのかな~と思っていましたが、やっぱり気になるのは静岡茶も放射線セシウムが基準値以上出たというニュース。道の駅の構内で豆腐を売っていた店主からは「今日はお茶売らないの?静岡茶支援のために買わせてもらいますよ」と激励されてしまいました。
道の駅よつくら港は4月に訪問したときからあまり変わらず建物が半
壊状態で、構内では豆腐やさん、漬物やさん、弁当やさん、お菓子屋さん、パン屋さん、野菜農家の方々等が、自分の店や工場が被災して商売が出来ず、かろうじて作れる分だけ持ち寄って細々売っているという状況でした。
そんな方々から励まされるなんて、申し訳ないという気持ちと同時に、「静岡市から来たの?葵区は大丈夫?」なんて声をかけていただき、原発放射能のニュースにどれだけみなさんが敏感でよくご存じかが判って、何か“つながる”ようなものを感じました。
静岡茶を飲みに来られたあるお店の女将さんは、「工場が流され、再建のめどは立っていない。子どもは親戚の家に“疎開”させ、今は主人と2人でなんとか踏ん張っているんです」と涙ぐんでおられました。道の駅内の女将さんのブースを訪ねて少しばかり購入させてもらい、「通販か何かで買う手段は?」と訊いたのですが、そういうところまで気が回る段階ではないようで、言葉に詰まる彼女の表情を通し、復興の遅れのしわ寄せが地域の個人事業者を追い詰めている現実をまざまざと見るようでした。(つづく)